早寝記録

スマイル0円

 つまらない色って、何色だろう。あの客が落として踏んだポテトの残骸のような色だろうか。
 こんなことを適当に接客しながら考える。つまらない毎日だ。本当につまらない。
 つまらないなんていうとこれだから最近の若者はなんて説教をされることが多いから人前では言わないが、生きることはつまらないと思う。
 みんな、どうせ死ぬのに、死んで百年もすれば大抵は誰からも忘れられて生きた事実さえ埋もれてしまうのに、みんな必死に何かを成し遂げようとして、そんなものを見ているととても滑稽で、そんなことを思う自分がつまらないやつに思えて、って、なんかよくわからない。思考を停止して目の前で真剣にメニューを見ている高校生を眺める。
 ちょうど空いてる時間帯。並んでる客はいないから、好きなだけ悩めと心のなかでエールを送る。それほどに彼は真剣だった。西高の制服を着ているから頭はいいはずだ。頭が良い奴はたとえハンバーガーでさえも本気で選ぶのだろうか。

 まじまじと眺める。おそらく1年生。制服もよれよれしていないし、体つきもなんだかそんな感じだ。けれど、この先身長も伸びて格好良くなるんだろうなあなんて思わせる雰囲気を持っていた。

「あの、」
「はい」

 そいつが顔を上げる。熱でもあるのか、頬が真っ赤だ。目もどこか血走っているように見える。大丈夫だろうか。

「スペシャルトマトバーガーひとつと……」
「はい、トマトおひとつ」
「あ、あとっ」

 この後のこいつのセリフは、俺は死ぬまで映像と音声付きで覚えていると思う。それほど衝撃的で、俺の人生が変わった瞬間を百年後に尋ねられたら俺は絶対この時のことを答える。まあ、百年後は生きてないけど。とにかく、そいつは顔を真赤にして上を向いて気を付けをしながら叫んだのだ。

「ススススススすすスマイルください!!!!」
「3000円です」

 必死な高校生がおかしくて俺は至極真面目な顔をして答えた。あたりからくすくすと笑う声が聞こえてくる。

「地味に現実的!!」

 目を見開いて驚くそいつがおかしくて結果的に俺は笑ってしまった。

「あたり前じゃん! 俺のスマイルはたけえよ?」

 うははと笑ってからかうと、誰かに首根っこを掴まれ息が止まる。

「こら夏木!」
「あ。店長代理」
「すみませんお客様!」

 突然出てきた店長代理が俺の頭を押さえつけ強引に謝罪の体勢にさせてきた。

「いいいいいいいいいいいいいいいいえ! 良いんです!」

 そいつはスペシャルトマトバーガーを頼んだくせに顔を真っ赤にしながら店から出て行ってしまった。

「あっ! ほら、夏木何をしてる追って謝ってこい!」


 * * *

 かなりの勢いで駆け出していったからもう追いつけないと思ったが、案外すぐそいつは見つかった。店近くの公園。さっきも思ったが黙っていれば多分モテるだろうに、そいつはなんだか不運というか残念な何かを漂わせていて、それは遠くからでもよくわかった。ベンチにうなだれて座っているそいつに気配を忍ばせて近づく。余程深く思考に潜り込んでいるのかそいつは俺がすぐ正面に立っても気付く気配がない。

「ねえ、3000円で買う?」
「え? あああああ!!」

 大きく口を開け目を見開いた顔がおかしくて謝りに来たっていうのに俺はまた笑った。おどおどしてスマイルくださいなんていうのも、このアホみたいな顔もおかしい。こんなんなのにどうしてスマイルくださいなんて言えたのか。理由が気になった。

「ごめんね、スマイル君。0円って書いてたのに3000円とか詐欺だよね」
「え? ああ、い、いやっ」
「罰ゲームかなんか?」
「い、いや……」
「あ、違うの?」
「う、うん。あの、俺……って、やっぱいいわ。理由きもすぎるから」

 制服が汚れるが、構わずスマイル君の隣に腰掛ける。どうせ一度外に出たし着替えなければいけない。

「俺のこと好きとか?」
「いや、それはない」

 真剣に否定をするスマイル君に面白さとわずかな失望を覚える。たぶんそうだよと言われたらつまらない世界が少し変わる気がしたのだろう。

「即否定したね。スマイルくださいとか言っといて」
「いや、まあ、うん……。なんていうか、あんた、は失礼か……ねえ、名前」
「レシート見てみて。なんか、スマイルくださいとか言われたのに、俺に興味ない感じでむかつくからー」
「ご、ごめん」

 スマイル君は謝って財布の中を探し始めた。会計をする前に出てきたのを忘れたのだろうか。今はさっきよりも落ち着いて見えるがもしかしたら見た目以上に混乱しているのかも。

「まじに見ちゃう? つうかおもいっきり俺名前呼ばれて怒られてたのに」
「ご、ごめん」
「謝りすぎー」
「うん、ごめん。……あ、あった」
「え?」
「確か、2週間前接客してくれたから。夏木くん?」
「2週間前とかレシートずっと取ってるわけ? すげー」
「俺、あんまり買い物しないから」
「そうなんだ」
「うん」

 スマイル君はなんだか満足そうに頷いてレシートをまた財布にしまった。その所作が意外と品が良く育ちの良さを窺わせた。余計になぜ頬を真っ赤にしてスマイルくださいなんて言えたのか気になった。

「ねえ、理由教えてよ」
「……うーん」

 やはりスマイル君が言いよどむ。

「引かねえから。俺友達いねえから誰にも言いふらさないし」
「嘘だ……」

 スマイル君が怪訝そうに眉を顰めた。友達いないからということにだろうか、それとも、言いふらすように見えるのだろうか。きっと前者だ。スマイル君が失礼なことを言うわけがない。

「あ、ねえ、そもそも名前なんていうの?」
「山下」
「山下くん?」
「うん」
「ねえ、教えてよ。興味でも好奇心でもなんとなくでもなんでも良いけど、すげえなんか必死な感じだったから理由知りたくて」

 なぜか俺も必死だ。あの時の山下くんを笑えない。こんなに一生懸命になったのなんて小学校5年生の時の水泳の授業くらいだ。俺は当時ちびで、25メートルプールの中腹で足がつりそうになり溺れかけた。その時は溺れても先生が助けれくれるなんて考えがなく俺は必死で泳ぎ切ったのだ。生死をかけた状況とこんな状況が似ているなんて笑える。
 山下くんがちらりと俺を見て目を逸らした。

「……けんし」
「は?」

 つぶやかれた言葉は理解不能だが、山下君は難しい顔をして頬を紅潮させた。

「うん。……さっきも言ったけど、俺、この前夏木くんから買ったことあって、その時犬歯見えたんだ。すっげー尖ってた」
「……歯?」
「うん、歯。すっごい尖ってるよね! すっごい! この前は控えめな笑顔で接客してくれたけど、満面の笑みだったらもう、なんていうか、どんなに見えるだろうって! そう思って」

 山下君のテンションが上がる。

「お、おう」
「引いた! やっぱ引いたじゃん」
「勢いがすごくて……。でも、そっか。犬歯か……。確かに人殺せそうって言われたこともある」
「だよね!」
「すげーテンション上がってんじゃん」
「それはもう!」

 ついさっきまでおどおどしていた山下君の輝く笑顔を見ていたらなんとなく俺も嬉しくなってきて、次が無いことがひどく残念に感じた。仲良くなれたらこの嬉しさが続くのではないかと思った。
 けれど自分から誰かと仲良くなろうとしたこともないし、いつだって友達は期間限定だった。小学生の頃の友達は中学に上がってしばらくしたら連絡さえ取らなくなったし、それは中学も同じ。たまに連絡をくれたり会うやつもいるが俺はいつも受け身だった。自分から仲良くしようとか、会おうとしたことがなく、どうしたら良いかわからない。でも、初めてこんな気持ちになれたのだ。どうにか繋ぎ止めたい。

「……あんたさ、西高の生徒でしょ」
「うん」
「俺東なんだー」
「へえ」

 軽く見られる外見や雰囲気を利用して、敢えて軽く言ってみる。心臓が早鐘を打っているのが鬱陶しい。

「割と近くねえ?」
「そ、そうでもないよ」

 そうだ。落ち着いて考えたら自転車で30分の距離だ。歩いたらもっともっと遠い。だけど修正している場合ではない。そのままのペースで話し続ける。

「今度遊びに行こうよ。俺、笑うよ? なんか山下くんといたら笑い上戸になれる気がする。いっぱい見れるって、犬歯」
「なれる気がするって、何」

 どこにつぼがあったのか、山下君が少し困ったように笑った。

「俺、笑わせられるほどおもしろくねえよ」
「十分面白えじゃん。ススススススすすスマイルください!!!!」

 店での山下君を思い出して真似をすると山下君はまた一気に顔を赤らめて案外大きな手で顔を覆った。

「それはもうやめて!」


 * * *


 毎週水曜日。週の半ばに山下君はやって来る。

「スマイルください!」
「はいよ、3万円です」
「また値上がりしてる!」
「そうだよ。俺は常に進化し続ける生き物だから、値段も上がってく」
「何それー」

 ふふ、と山下君が控えめに笑う。あとから知ったのだが、山下君の家には単身赴任中の父親を除き女しかいない。昔から尻に敷かれ続ける人生を送ってきたから、今の我慢強く穏やかな彼がある。

「夏木くん今日は五時に終わるんだっけ」
「うん。待ってて」

 はじめてのスマイル注文から数ヶ月が経っても山下は週1でスマイルを注文してくる。もうそんなことをしないでも笑ってやるのだが、山下君はカウンター越しの俺の営業スマイルも好きらしい。

 もう店員や常連にも顔が割れて微笑ましく見られているのに、山下は恥ずかしがりながらもまるで儀式のようにやってきては繰り返す。

 恥ずかしがる山下は男のくせにかわいくて、もっともっと恥ずかしがらせたくなる。いっそ至近距離で笑ってやろうか。そんなことを考える時間も多くなった。ただ、実行しようとしても何かが邪魔をしてできないのだ。顔を近づけてニイっと笑えばいいのになぜかできない。

 だけどつまらなかった人生に山下が現れてから、なんとなく全てが輝きだしたような気さえしている。

「……なんか」

 恋みたいだ、と思った瞬間、急に胸がきゅうと鳴った。

「え? どうしたの?」
「あ、え、いや……」

 きゅうと鳴いた胸が答えを教えてくれたような気がしたが、深く考えるととんでもないことになりそうで考えるのを止めた。

 でも――

 スマイル0円。
 このメニューがあって本当に良かった。

「なんか夏木くん機嫌良い?」
「別に、普通」
「そう?」
「うん」
「でも、機嫌良いと俺も嬉しい」
「たくさん犬歯見れるから?」
「……うん」

 こんな会話をしているうちに山下くんが頼んだスペシャルトマトバーガーが出来上がった。0円のスマイルも一緒に付けて山下くんに渡す。

「公園で待ってるね」
 
 山下君は照れくさそうに笑って店から出て行った。
 きっと俺は今日もたくさん笑うのだろう。もちろん、山下くんに向けて。