早寝記録

うわきもの

 やってみる? と緊張しながら言ったのが中二の時。男同士に少し興味を示した空気のように軽い友人に、俺もちょっと興味がある、と言ってみた。ドキドキした。冷静さを装って、その実は緊張して吐きそうで泣きそうでもあった。痛い方でも良いよ、と言ったらそいつは乗っかってきてそのまんま俺たちは流れに乗ったけれど、まさか三年経った今でも続いているとはその時は思わなかった。

 深夜二時。俺のことを好きでもなんでもないやつの腕の中から脱出し、自分の部屋へ帰ることにする。そいつはまったく起きる気配なく、半開きのカーテンの隙間から差すわずかな月明かりの中すやすやと寝息を立てている。無駄に甘い顔立ちのせいで、今までにどのくらいの女を傷つけてきただろう。また、その中にはひとりの男も含まれる。
 のんきに眠っているこの男のことを考える。
 こいつは誰とも付き合うことなく、でも、やりたい時に相手をしてくれる女はたくさん持っている。その中には男も含まれるが。
 そんなこの男は誰とも幸せになれないだろう。今からこんなにたくさんの気持ちよさを不特定多数とわけあって、本気になった相手を傷つけて、将来幸せになれるはずがない。
 見ていたら憎らしくなって、時間も気にせず鼻をつまむ。すると、ほどなくして苦しげに呻きそいつは目を開けた。
「……なにしてんの……」
「殺人未遂」
「さ、さつ……?」
「ああ。死ね」
「やんごとないわ……」
「古典かよ」
 寝ぼけた段階でくそつまらないことを言うから、こいつはつまらないやつだ。頭が回っていない時にこそ面白いことを言える人間が面白い人間なのだ。
「俺、戻るから」
「……なんでー。つうか、何時」
 起きなくていいのに、ごそごそと身を起こし目をこすって俺を見た。寝起きでもそこそこ格好良いから世の中の女はこいつに騙されるんだ。
「男もひとり、含まれてる……」
「はあ?」
「二時だよ。帰る」
「なんでだよ。夜じゃん。寝てけば?」
「いい。約束あったの忘れてた」
「二時だろ。もう遅えよ。つうか今日の相手って誰?」
「嘘だよ。戻りたい口実」
「それ言っちゃうの?」
「言っちゃうよ。俺、タケル嫌いだし。嫌われてもいいもん」
 はは、と掠れた声でそいつ――尊は笑った。
「嘘つきだな、お前。俺のこと大好きなくせに」
「気持ち悪い事言うなよ」
「だって、俺にだけやらせてんじゃん。聞いたよ、誘ったけど断られたって」
「……突っ込まれるのは体に負担。何人も相手に出来ねえだけだよ。それに、好きだったらさっさと告白してる」
「まじでー?」
 なぜかおかしそうに声を立てて笑われ、腰掛けていたベッドから立ち上がる。そしてもう見慣れた親友の部屋を出る。特に引き止められなかった。きっと俺が帰った後何も考えず、尊はすぐに寝るのだろう。あたり前のことなのに、どうしようもなくもやもやした気持ちになった。俺は引き止めて欲しいのだ。そして、ありえないことだが、誰とも寝るなと言って欲しい。
 だけどそれは俺の願望。たったひとつの夢。
 俺が誰かと夜を過ごすのは、この先もずっと抱いてほしいから。もしも俺が誰とも遊ばないで、告白なんてものをしないにせよあいつとだけ寝てたとしたらきっと尊は離れて行く。だって、重いのは嫌いだとあいつはかねがね言っているから。その度に俺は、不特定多数の中のひとりにならないとなんて思う。

 尊は絶対に不幸になる。たくさん女の子を泣かせているし、それに対して罪悪感を抱いていないから。
 そして俺も不幸になる。自らの哀れな幸せのためだけに俺なんかを誘ってくる変な趣味の男たちを利用しているから。俺が女の子を相手にしないのは、俺に組み敷かれている女の子を見て、あいつの相手を想像してしまうから。勝手な妄想の中の女にさえ俺は嫉妬する。
「気持ち悪い……」
 誰にも見せない心の内にある気色悪い願望を一蹴するように吐き捨てた。


 出会いは小学生。向こうはどうか知らないが、第一印象は最悪だった。小学校一年生の入学式の日だ。俺の親は両方とも忙しく、一人息子の大事な入学式に参加していなかった。周りには幸せそうな親子たちの姿があって、俺はひとりしょんぼりしながら帰途についていた。母も父も嫌いじゃない。だからこそ独りが身に沁みた。肩を落として歩いていた時に、尊に声を掛けられたのだ。
「一緒のクラスだろ? 一緒にかえろー」
 思えば、尊は昔から勝手なやつだった。俺の意見は聞かない。いつも笑っていて、悩みなんかなさそうで、結構慎重派な俺が石橋を叩こうとする手を無理やり取って走り出すような、そんなやつだった。
 結論から言えば、まだ寒いから俺は嫌だったのに無理やりひっぱられて川に連れて行かれ、なんか知らないが川に俺のランドセルが流れた。尊が必死になってランドセルを川から上げてくれたが、新品のランドセルは初日からびしょびしょになって、俺の小学校六年間に早速暗い影を落としたのだった。

 俺は暗い。周りからはちょっと不良っぽいとかクールとか言われるが、ただ根暗なだけ。だからランドセルが濡れただけで落ち込み続けたし俺を連れて行った尊にかわいらしい憎しみさえ覚えた。それからなんやかんやとずっと一緒にいるが、こっそり不幸の手紙を送ろうとしたのも、一度や二度ではない。さすがに中学に上がった頃から不幸の手紙なんてばかみたいな考えはなくなったけれど。

 その代わり、中学に上がった頃から俺はおかしな感情に常に付きまとわれるようになった。家を空けがちな家族よりも一緒にいたせいだろうか。俺は友情と愛情を混同するようになったのだ。わかっている。俺が尊に抱く気持ち悪い情は勘違いの産物。そうに決まっている。恋ではない、勘違いだと、早く認めないと。

 そう思うのに、中二の時に自ら作ってしまった一線を越えた関係を俺はどうにか維持しようとしている。親友に戻ったほうが良い。戻れないなら、縁を切った方がいい。俺が無様に好きだと泣き叫ぶ姿を晒さない内に離れるべきだ。俺にだってそのくらいのプライドはある。

 部屋に戻り、毛布にくるまった。尊はよく俺に泊まりに来いと言ってくれる。俺も嬉しいから、その嬉しさを顔に出さずによく泊まりに行く。だけど、片思いのやつと同じベッドにいて眠れるわけがない。俺は至近距離にある尊の顔を見ながらいつも苦しい幸福を覚えながらただ朝までうとうととするのだ。
 邪魔な尊のいない冷えたベッドの中目を閉じる。睡魔はすぐにやってきた。尊と二人だけの世界におとされた夢の中で、それが夢だとわかっていた俺は、必死で眠り続ける道を探した。そんなものはなかったのだけど。

* * *

 不眠が続いていた。眠り続ける道を探したら迷子になってしまったようで、あれから二週間くらい経つがなぜか満足に寝られない。目の下には若干隈もできたが、あまり目立たないから誰にも気付かれることなく今日まで過ごしてきた。だけど、そろそろ眠い。頭がもう限界を訴えている。保健室に行こうかな、と思った時だった。
「今日合コン行く人!」
 昼休み、ちゃらさの権化とも言える岡崎の声がけに尊が元気よく手を上げた。いつもの光景を無感情に眺めながら立ち上がる。ぼうっとしていた。あまりよく思考できない。だけど、そんな中でも尊が今日もお気に入りの女の子を見つけてちゃっかりと持ち帰ることは理解できた。
「どこ行くの? お前は行かねえの?」
 立ち上がった俺を目ざとく見つけた尊が声を掛けてくる。
「行かねえ」
「つうかまじで最近付き合い悪いんですけどー」
 岡崎も突っ込み、行儀が良いとは言えないクラスメイトたちから俺に様々な声が掛かった。
「あんまり調子良くねえの。遊ぶんなら帰って寝たい」
 それだけ言って、教室を出た。もう話題は今日の合コンに移っており、安心して保健室へと向かう。その道すがら窓から外を見た。都会と言っても良いビルだらけの町並み。街を彩る木々は人の手によって植えられたものだとすぐにわかる。ひとりで行きたくないと言う尊に誘われて実家から離れた都会の高校に来たが、何もない田舎の学校で何もないつまらないと文句を言う学生生活の方が良かったと今更思った。いっそのこと、中退してどこか外国にでも逃げようか。親はいいんだか悪いんだか俺に自由を与えている。留学したいとか違う国で働きたいと言えば「まあ、良いんじゃないの?」と軽く許可するだろう。
 とにかく逃げたかった。尊のいない所に行きたい。なぜ惚れたかなんてわからない。冷静に考えても尊に惚れるところなんかどこもない。女好きだし、誘われれば男も相手にするし、良い奴でもないし、顔が好きなわけでもない。
 だけど好きなのだ。きっと理由がないから厄介なのだろう。

「ほんとに調子悪いわけ?」
 声がかかったのは、どのくらい後のことだろうか。少なくとも声が掛けられた時俺は夢も見ずに眠っていた。目を開けると憎らしい男の姿とその後ろにはそいつとは不釣り合いな汚れのない白い天井が見える。
「寝てたんだけど……」
「うん。ぐっすりだったな」
「起こすんじゃねえよ」
 悪びれずに言う尊に苛ついて彼とは反対方向の壁に向かってに寝返りを打つ。しかし、ぐいっと肩を掴まれて尊の方を向かされた。
「確かに、顔色悪い」
「そう思って見るからだよ。調子悪いのなんて、今に始まったことじゃない」
 近くにいても気づかなかったくせに、と自分勝手な恨み言を言いそうになった。口には出していないのに尊の眉が寄る。
「風邪? ……病気?」
「寝不足」
「ただの?」
「ただの寝不足だって。もう、うぜえよお前。寝かせろよ……」
 案外強い力で腕を掴まれて、壁の方にも向けず、また抵抗する気力も起きない。言いようのない情けなさに襲われる。尊を見ながら、どうして俺はこんな男が好きなのだろうかと思った。男だし、友達だし、親友だし、強引。なんで、どうして俺はこんなに悩んでいるのか。眠れないのだって原因不明なんかじゃない。こいつのことを考えて眠れないのだ。考えだすと止まらない。今もそう。段々と熱くなっていく。頭が沸騰しそうだ。
「もうやめる」
 気付いたら口から出ていた。何を言っているかわからないはずなのに、尊はひどく驚いた顔をした。
「何……」
「もう、俺やめるから。お前とは絶対寝ないし、部屋にも行かねえ。絶交する」
「い、いきなりなんだよ。意味わかんねえ」
「わかれよ」
 顔は見れなかった。掴まれていない方の腕で顔を隠す。熱い頭で自分でも何を言い出すかわからなかったが、言ってから俺は正しいことを言ったのだと思った。この先好きな奴に情けない姿を晒すことになるくらいなら、絶交したほうが良い。
「へ、部屋には来いよ。絶交とか、何言ってんの。つうか顔上げろって」
「いやだ」
「絶交とか、嫌なんだけど」
「男の友達と寝て、普通の友達に戻るとか無理。女でも無理だけど」
「じゃあ、続ければ良いじゃん。お前だって気持ち良さそうだし、良いだろ」
「最低だ、お前」
 言いながら、腕で目を押さえつける。だめだった。そんなつもりはないのに涙が溢れてくる。好きな奴とする気持ちのないセックスがどういうものかこいつは知らない。絶交したくないから体を繋げるなんて、冗談でも言われたくなかった。

 罰が当たったのかもしれない。
 俺も最低なやつで、結構寮で誘われるままに誰かと寝たりするけれど、もしかしたらその中に俺のことを本気で好きな奴がいたかもしれない。俺は寝た相手に意味のある言葉を掛けたりはしないけど、きっと誰かを傷つけたことがある。
「なんで、泣いてるんだよ……」
 困ったような尊の声が聞こえた。
「知らねえよ。情緒不安定なんだろ。生理前だ、生理前」
 涙が止まらない。声は上ずり、風邪のように鼻がぐずぐずした。おそらく、恋も風邪なのだ。風邪を引きたい奴がいないように、俺も恋になんか堕ちたくなかった。俺はずっと風邪を引いているんだ。だから体が変で気持ちが弱っている。俺は三年間治らない感染症にかかったまま。
「……ばかじゃねえの」
「ばかだよ。だからもう行けよ。さようなら」
「なんだよ、意味、わかんねー……」
「良いよ、意味わかんなくて。ほら、さっさと行け」
 やっと腕に力を込めて俺の腕を掴んでいる尊の手を振り払う。そして壁の方を向く。尊がいなくなる気配はないが、無視し続けたらそのうちいなくなるだろう。

「好きな奴でもできたの?」
 尊が静かに話しかけてくる。
 無視。
「なあ、聞いてる?」
 無視。尊は俺の名前を呼んで、彼にとっては意味のない質問をどんどんしてきた。尊の弱々しい声に少しだけ悪いとおもいながらも無視をする。
「なあ、お前さあ、俺が好きっつったら引く?」
 無視。都合の良い言葉に思わず反応しそうになったが、俺が反応をすることを期待して投げられた言葉だと思えば殴りたくなった。
「好きだから付き合いてえっつったら、変態って、重いって思う?」
 無視。意味がわからない。
「……なんで無視すんの」
 消えてしまいそうな声だった。そういえば、こいつは確かに昔から打たれ弱い。仕方なく尊の方を向く。尊は俯いていた。甘く整った顔立ちが哀愁を漂わせている。こういうふうに俯けば女としては慰めたくなるかもしれない。生憎、俺は殴りたくなっただけだけど。
「無視しねえから、心にもないこと言うなよ。謝ってやるよ。だから、んなこと言わなくていい。今までのことどうにか忘れて普通の友達に戻ろう」
 腕を支えにして半身を起こす。俯いたままの尊の前髪を掴んで前を向かせると、尊が泣きそうに顔を歪めていた。
「すぐ泣く男は浮気症。当たってんな」
「お前は、なんで泣き止んでんだよ……」
「んなこと聞く意味わかんねー。けど、言ったじゃん、俺情緒不安定だって。だからすぐ泣き止むんじゃねえの」
「なんで、止めんの」
「泣くのを?」
「……俺と」
 そのまま尊が黙りこむ。
「尊は、女の敵だけど親友としては最高だよ。だからやめる」
「……絶交するって最初に言ったじゃん」
「そうだっけ? 忘れた」
「なあ、なんで俺ともう寝たくねえの? 俺、なんか間違った? いろんな奴とやってるから嫌になったんならもうやんねえ」
 尊が俺の手を取り懇願してくる。なんでこんなことになっているのかわけがわからない。そんなに俺の中は気持ちいいのだろうか。女なんか捨てても良いほどの気持ちよさ? 俗にいう、名器? まさか。
「理由なんか、お前に関係ねえよ。くだらねえ理由で、別に嫌いになったわけじゃない」
「俺のこと嫌いだって前言ってたじゃねえか」
「いちいちよく覚えてんな」
「覚えてるよ。俺、記憶力はいいほうなんだ」
「人の顔すぐ忘れんじゃん」
「お前に言われたことは忘れねえ」

 尊の真剣な表情はなんだか真摯で、冗談を言っているようには見えない。だけど、信用して良いのか決めかねた。尊の言葉が本当だったら俺は報われる。惚れている奴が俺を好きだったってことだから。だけど、こいつはあの女好きと有名で、狙った女は逃さず、決して大事にしない女にとって最低の男だ。小一からの付き合いで親友としては信頼しているけど……。
「もう、よくわかんねえよ……」
 心の中を見ることはできない。未来を予見することも出来ない。そして、過去をなかったことにするのは不可能だ。
「なあ、本当のこと言って。俺のことどう思ってる? 嫌いなら、改める」
「嫌いだよ」
 俺の偽らざる本心に一瞬尊が息を呑む。俺はこいつに惚れているが、こんなやつ大嫌いだ。自分のことは棚に上げて最低のやつだと思う。そして俺は自分のことも大嫌いだ。惚れてるやつを信用出来ないなんて、最低だ。
「……どうすればいい?」
 静かに尊が言う。先ほどまでの弱々しいものではない、まっすぐに俺を見つめる瞳だけはもしかしたら信じていいかもしれない。
「死ね」
「……ひでえなあ。そこまで嫌いなの。俺が死んだら泣くくせに。お前、よく俺とはぐれて泣いてたじゃねえか」
 諦めたように、尊が苦笑する。
「泣かねえよ。でも、すぐ後追ってやる」
 尊が目を見開く。
「なんだよ」
「いや……」
 そうして泣き笑いのような複雑な表情を浮かべて尊は目を閉じた。俺の気持ちがわかったのだろうか。

 それから尊は人が変わったように遊びに出なくなった。誰からの誘いも断っている。そして、自然に俺の隣にいる。手は出してこない。
 きっと次にこいつが夢物語のような妄言を俺に吐いたら、俺は突っぱねることなくすんなりと受け入れてしまうだろう。

 尊は幸せになれない。今まで平気な顔をして大勢の人の気持ちを踏みにじってきた。そして、それは俺も同じ。
 だけど尊とともに転落していくならば、幸せだと思った。