早寝記録

不協和音(変)

 生み出すことと壊すことは正反対だ。
 誰かが好きの反対は無関心――と言ったが、おれはそれは間違いだと思う。反対のものはそれぞれ反発し合う。好きと無関心は反発し合わない。
 おれには趣味がふたつある。その趣味に大切なものは手。どちらの趣味にも大事だが、かたや壊すために使いかたや生み出すために使う。両立なんて初めから無理だったのだ。

 薄暗くひんやりとするどこかの倉庫内で、ひとり絶望に明け暮れる。
 さっきまで強烈な痛みを放っていた右手の感覚は、いつからかなくなってしまった。そのことに恐怖を覚えた。感覚がないのなら痛い方がまだマシだ。感覚がなくなると、もしかしてこのまま動かなくなるのだろうかと怖くなる。
 鬼が島のやつらにやられたナオ君の敵討ちは見事に失敗した。はじめに、なぜ鬼が島のやつらがナオ君を狙ったのかを考えたら良かったのだ。おれたちの唯一の弱点であるナオ君の情報は、ここいらの不良集団の間に広まって来ているらしい。
 鬼が島のやつらは前に和音さんに半壊滅状態にまで追いやられたことがある。その頃は鬼が島のやつらもばらばらで、頭だけ潰せばあとは自滅していくタイプのグループだった。しかし彼らは半壊滅状態から立ち直り、その過程で仲間意識が芽生えていったという。そして、おれに言わせると感謝すべき和音さんに、恩知らずにも恨みを抱いている。噂で、虎視眈々と復讐の機会をうかがっているときいたことがあった。
 その鬼が島が今、動いたのだ。鬼が島のやつらは、チームワークなんて皆無のおれたちが執着しているナオ君をぶん殴れば、おれたちが報復しに来るだろうと踏んだ。そしてその目論みは見事に当たったわけだが、さらに彼らは周到な作戦を立てていた。
 おれたちは鬼が島の仕掛けた罠にまんまとはまり、めでたく御用となった。
 おれはナオ君が殴られても別にどうでも良かったが、チームの誰かに首根っこをつかまれて参加することになってしまった。5日ぶりに集会に顔を出したばっかりに、こんなことに巻き込まれて本当最悪だ。

 俺はただ和音さんの顔を見たかっただけなのに。
 仲間たちが今どこにいるのかはわからない。集団で突撃したおれたちをばらけさせて多勢に無勢で殴る作戦のようだから、きっとみんなバラバラだろう。
 立ち上がる気力はもうない。ピアノの発表会まではあと3日、こんな手の状態じゃ何をどうしても間に合わない。

 ピアノの先生は、寂しくて独りで泣いていたおれに手を差し伸べてくれた人だ。おれが道を踏み外さないように、キラキラと輝く和音でおれをつなぎ止めようとしてくれた。裕福でもないのに、自分の家に住まわせてくれたこともあった。そのあと遠方の親が倒れたと言って、おれに頭を下げて涙を浮かべながら去って行ってしまったが、めでたいことに看護をしていた親が快方に向かい、しばらくぶりに帰って来ることになった。そして、先生が前に教えていた生徒たちが先生のためにピアノの発表会をひらくことになり、先生からおれにお誘いの電話が来た。
 だから、どうしても出たかった。あまり良い生活を送っているとは言えないが、元気だよ、まだおれはあんたに感謝しているよということを伝えたかった。
 高校の音楽の先生に頼み込み音楽室の鍵を借りることが出来たから、今までちゃんと練習していたのに、和音さんだって応援していてくれたのに、何もかもが無駄になる。

 いっそ、死んでしまいたくなった。
 先生は、発表会だけ見に来て、すぐに帰ってしまう。あと3日で怪我を治すのは無理だ。
 立ち上がろうとしても立ち上がれないし、足のどこかが強烈に痛むからきっとどこかが折れている。顔を含めた全身を殴られたから、いたる所が変色したり腫れ上がったり、見るも無惨な姿であることは間違いない。中もやられたのか、息をするたびにひゅうひゅうと喉が鳴るのが鬱陶しい。
 たとえ動けるようになっても、こんなんじゃ先生に会えない。

 もう面倒くさくなって、目を閉じる。閉じた先には真っ白な雪景色が見えた。そして、白の中に今よりもすこし幼い和音さんがいる。
 まぶたが焼けそうなほど熱くなった。その原因はきっと、今にも流れ落ちそうな涙のせいだ。しかし、泣いたってどうにもならないから、首を振り、引っ込める。

 はじめは、倉庫におれと和音さんのふたりだけしかいなかった。和音さんは寝に来るようなものだったけど、独りでいることに慣れきっていたおれにはそれがとてつもなく嬉しいことで、ずっと寝に来てくれたら良いのにと願っていた。
 でも、和音さんがどこかでケンカをするたびに、人がひとりまたひとりと増えて行き、いつの間にか和音さんをリーダーとした不良集団が出来上がっていた。
 瞼の奥の和音さんは消え、ナオ君が現れる。ナオ君のせいでおれが今こんなことになっているのだと思いたいが、流れのままに引っ張られて来てしまったおれが悪い。しかもナオ君はおれたちがナオ君が殴られた報復を企てていたことも、今日こうして実行に移したこともなにも知らない。
 ナオ君はきっと、この騒ぎに参加していない和音さんといっしょに地下倉庫にいるのだろう。

 ナオ君なんていなければ良かったのに。ナオ君が来てから下衆の集まりだった集団は何に目覚めたのか、最近では「仲間」とかいう虫酸の走る言葉まで聞こえて来るようになった。
 和音さんと二人でなくなったのなら、せめてやつらの独りよがりで勝手な振る舞いを見て、孤独なのはおれだけではないのだと確認していたかったのに。このままいくとみんなが仲間ごっこをするようになり、孤独確認すら出来なくなる。
 おれはみんなの輪に入れない。
 人を信じられる気がしないし、おれはもう善意を善意と受け取れない所まで来ている。

 だって、信じた先生も理由はあっても結局おれのことを置いていってしまった。学校でも、少し間違えたことをいうと途端に立場が悪くなる。こんなんで信じられるはずがない。でも、和音さんに優しくされたら、裏でいろいろなことを考える前に嬉しさがやって来てしまう。
 その理由を考えた時に、きっと和音さんもおれと一緒ですごく寂しいからなんだと答えを出した。
 そうじゃないと説明がつかなかった。説明なんていらないのかもしれないが、おれにとっては嬉しさが直にやって来るなんてありえないことで、ありえないことは不安を煽るから何が何でも説明が必要だった。もしかしたらおれは和音さんのことが好きなんじゃないのか――なんてことを考えたこともあったが、報われるはずないし、傷つくのが嫌だからその考えはないことにした。
 和音さんもおれと同じ、孤独な人なのだ。実際はどうか知らないが、真実なんてどうでも良い。

 和音さんに焦がれるのはおれが和音さんを好きだからではなく、和音さんも孤独だから。だからおれは和音さんに気にかけられたら天にも昇る気持ちになるし、抱きつくと心があたたかくなる。
 そう思わなければやっていけない。そんなふうに思っているおれは、和音さんがいるうちはまだ倉庫に通う理由があるが、和音さんまでナオ君によって変わってしまったらおれの全てがなくなってしまう。先生もいなくなり、発表会さえ出られず、おれだけが独りだと思い知らされ、ずっと慕っていた人まで誰かのものになる。

 築き上げるのは難しく、壊すのは容易い。難しい曲を終盤までミスなく弾ききっていても、最後の最後、もう終わりかけるときに失敗すれば、それまで作品として仕上がりかけていたものが一気に駄作になる。
 思い出だってそうだ。最後にナオ君に和音さんを奪われてしまったら、おれが何十年か生きて行って、和音さんのことを思い出した時に、寄り添ってくれた思い出が独りを思い知った思い出に変わってしまう。

 冷たく埃くさい床に横たえた右手をじっとみる。動かそうとするが、動かない。ナオ君が邪魔だ。本当に邪魔だ。それでも嫌いになれないことにまた悲しくなり、憤りを覚える。
 その時、砂の爆ぜる音が聞こえた。またやつらがやって来たのだろう。

(おれ、死ぬかも……)

 痛いのは嫌だが、もう殴られても何も感じない気がする。それ以前に目が霞んできて、意識が飛びそうになることが増えた。

(もう、いいか……)

 おれはもうどうなってもいいやと諦め、再び目を閉じた。
 意識を飛ばすのと眠るのが同じか違うかわからないが、できるなら幸せな夢を見たい。

 いつか考えたことがある。
 和音さんは孤高の人だ。振られたくないから好きだと認めないおれは、和音さんの言動一つで一喜一憂してしまう自分を合理化するために、和音さんもおれと同じで独りきりなのだと設定付けた。
 そして、だからこそおれはこんなにも和音さんに執着しているのだと思い込んだ。しかし、もしもこの先おれに信じられる人ができて、孤独から解放されたら、おれはどうするのだろうか。
 おれの頭の中で悲しい設定を背負った和音さんは、想像の中で一生一人きり。おれは設定付けたことも忘れて、また誰かに依存して生きて行くのか。
 おれはさみしい。誰かといたい。いつも心が冷たくて凍えてしまいそうだから温めてほしい。誰も信じられないくせに、人一倍の寂しさを抱えている。
 だからおれを愛してくれるという人が現れたらためらわずにその人のところへと行くだろう。

 孤独であってほしいなんて、そんな勝手な願いを置いたまま。