早寝記録

価値

 家の中に入ると、和音さんのお母さんがにこにこと出迎えてくれた。

「すみません」

 遠野さんもああ言ってくれたものの、やはり常識外れのような気がして、気付けば謝っていた。

「良いの。好きなだけいて」
「そうだよ、おれが無理やり連れてきてるんだから」
「え、遠慮してるだけ。無理やりじゃない」
「しなくていいよ」

 おれと和音さんのやりとりを和音さんのお母さんはにっこりと笑って見ていた。
 すみません、ともう一度謝りおれは和音さんに促されるままおじゃまする。
 玄関のさきの階段を上がったところに和音さんの部屋はあるが、階段に至るまでの間にリビングがある。二階にも台所や風呂、トイレなど生活に必要なものは全て揃っているからリビングに足を踏み入れたことはなかったが、いつもは静かなそこが今日は騒がしい。
 通りすぎる時、若い男がしゃべる声が聞こえてくる。話の内容まではわからない。

「……兄貴達」

 和音さんがぽつりと言う。

「兄弟、多いんだ」
「5人。上ふたりと綾音と妹」
「へえ」

 挨拶しなくていいかな、と出かかったが、小心者のおれは礼儀を捨てた。だけど、やはり和音さんのお父さんが帰ってきたら挨拶をしなければならないだろう。あ! それ以前に和音さんのお母さんにお礼を言うのを忘れてた! 遠野さんとの食事は和音さんのお父さんが設定してくれたものだから、彼の奥さんである和音さんのお母さんにも感謝の意を述べなければならなかったのに……。
 階段の途中で振り返るがもう和音さんのお母さんの姿はない。

「どうしたの、静」
「和音さんのお母さんにお礼し忘れた!」
「礼? なんの? いらないんじゃないの」
「今日のご飯! おごってもらったから」
「遠野さんの自腹だよ。だから礼なんて必要ないよ」
「えっ」
「遠野さん趣味で俺んちの使用人するくらい暇で金持ちなんだよ。何やってんのかは知らないけど。だから気にすることないよ。俺も遠野さんと出かけるときは遠慮なくおごってもらうし」

 和音さんが自室のドアを開け、おれを中へ促す。
 初めに来た時も思ったが、意外と普通の部屋。家の広さに似合わず、ともすれば倉庫の奥の部屋よりも狭い。すごく寝やすいダブルベッドのためだけの部屋と言っても過言ではない。その他には箪笥とテレビと新品同然の勉強机しかないのだから。

「ていうかなんで静が遠野さんとご飯行ってるわけ」

 和音さんが彼のお気に入りのベッドに腰を下ろして言う。こんなに寝やすくてすばらしいベッドがあるのに和音さんは何も言わずに倉庫のおれの全然気持よくない寝床に来て一緒に寝てくれてたんだ、と思うとなんだか感動する。

「何困った顔してんの」

 いや、感動した顔です。心の中で否定するが、和音さんが苛立ったように見えるから言わないでおいた。
 意味分かんないんだけど、といつものように和音さんは言い、腰掛けたばかりのベッドから下り何気なくテレビの電源を入れた。

「帰りにすっきりしたくて映画借りてきたんだった」

 そして、映画をかけ始めた。準備が終わった和音さんは再びベッドの上に移動し、おれを手招く。

「……どことやったの?」

 和音さんの隣に座り、彼の頬の怪我を見る。明るいところで見る和音さんの頬には、冷却シートが貼られているが、それでもはっきりとわかるくらいに腫れている。避けるのが上手い和音さんがあまり顔に怪我をすることはない。
 それどころか、多数に無勢のときはぼろぼろになるが、少人数相手だとまず怪我を負わない。それだけ強いのだ。

「知らない。適当にケンカ吹っかけてきたのとやった。ただのチンピラばっかだったよ」
「ひとりで?」
「ひとり。決まってんじゃん」

 和音さんは、ずっとテレビ画面を眺めている。次々と流れる色んなジャンルの映画の紹介動画を、彼はどんな気持ちで見つめているのだろう。
 今流行の不良の世界を描いた映画の紹介が始まった。不良同士の熱い友情を描いているらしい感動大作だそうだ。アクションシーンも売りらしく、画面の中で不良たちが殴り合いのケンカをしている。

「俺たちも、こんなふうにばかみたいに見えてるんだろうね」

 ふと和音さんが呟いた。

「馬鹿みたい?」
「粋がるのって、ばかみたいでしょ」

 不良映画の紹介が終わり、今度は海外のゾンビ映画が始まる。

「不良も、まじめに生きてる人も、適当な人もみんな同じに見えるよ。和音さん以外」

 和音さんがテレビ画面からおれに視線を移す。

「生まれて、死ぬのが人間でしょ。みんな、生まれて死ぬ。過程がどうであっても最初と最後はみんな同じだから、おれ、人生とか命には価値がないって思ってる。だから、粋がってるやつも、それを嗤うやつらも同じ」
「けど、だったら俺にも価値なんかなくない? 俺以外ってなんなの? 別に気遣わなくていいよ」
「でも、和音さんだけは違う。……世界は和音さんを軸にして回ってるから。だから和音さんの価値はそりゃもう計り知れない」
「意味分かんないんだけど。冷静に考えてみても、俺が生きてて役に立ってることってないよ。多く見積もっても、全くない」
「それでもおれの世界は和音さん中心で回ってる。寧ろ、和音さん中心で回ってて欲しい」
「静の世界の話なの?」
「うん」
「そう」

 和音さんは、なにやら納得したようだった。またテレビに視線を移す。展開がよくわからないが、すさまじい濡れ場だ。このような紹介動画はまずいのではないか。画面の中では金髪の女とアメリカンな男がくんずほぐれつまぐわっている。ちらりと和音さんの横顔を窺う。
 全くの真顔で和音さんは画面を見ている。

 そういえば、噂があった。冬から春にかけて。
 和音さんが、好きな人のために全く夜遊びをしていないという噂だった。その時のおれは、何も考えないで和音さんに好かれている人のことをうらやましいと思っていたけど、その噂は本当だったのだろうか。
 そこら近辺は、ナオ君を中心としてみんなに仲間意識が芽生えだした頃で、おれは倉庫にあまり行かないようにしていた。和音さんに会えないのは辛かったが、和音さんのことが好きだと認めたくなかったおれにはちょうど良かったのだ。
 だけど、聞く勇気はない。
 好きな人がいるのを知りたくない。知ってしまったら、おれはその女のことを憎んでしまう気がしている。

(いつかは和音さんだって結婚しちゃう……)

 想像してみた。
 頭のなかで、鐘がなる。リンゴンリンゴン鳴る、不快な鐘の音。おれにとっての不協和音。

(無理だ……)

 和音さんの嫁になる人におれはいうだろう。心のなかで、はたまた口に出してかはわからないが、夜道背後に気をつけな! と。いやだ! ぞくりとした。おれは犯罪者になりたくない!

「なんか、一向に楽しくならないね」

 和音さんの声に現実に戻る。はっとして意識を画面に向けると、今度はアジア系の女とアラブ系の男が互いの体をまさぐりあっている。どうした。まさかこれが本編か。

「何借りてきたの、和音さん。エロいやつ?」
「スプラッタホラーって書いてたんだけど」
「じゃあ、こいつらあとから切り刻まれるわけか……」
「たぶんね。今でも十分ホラーだけど」
「今? ホラーかな」

 画面には、女が後ろから男に突っ込まれている画が映し出されている。画面から和音さんに目を移すと、さっきまで真顔で見ていたのに彼の眉間にはしっかりと皺が刻まれていた。

「スプラッタの方がまし」

 和音さんが言う。まさか、和音さんはエロいのが嫌いなのか。聞け、静。今聞いたらきっとお前の望んでいる答えが返ってくる。でも、見るのはとか言われたらどうしよう。おれは邪推してしまう。やるのは好きなのですね! と! 無理! 和音さんでそんな妄想……想像できない! 今和音さんは夜おれと寝てくれているのにそれができなくなってしまう興奮しちゃって!
 そもそもエロい行為が嫌いな人はこの世の中に存在するのか? おれだって自分でするのは嫌いじゃない。人にべたべたと触ったり触られるのは嫌いだけど、和音さんだったら良い……。

(って、何考えてんだよ)

「あ、殺された」

 和音さんの呟きに目を開ける。アジア系の女が窓を突き破って入ってきた何者かによって殺され、その後アラブ系男性が無残な死を遂げた。

「うわ」

 和音さんを盗み見ると、きれいな顔を歪めて画面を見ている。

「嫌いなの? スプラッタ」
「好きじゃないよ。痛そうだし、わ、ほら、すごい血。意味分かんない」

 和音さんが可愛い事を言う。なんなんだ、和音さん。すごい可愛い。こんなに可愛い人だったんだ、と開けた目を思わず瞑る。今和音さんを直視できない。キラキラしている。まぶしい!

「何、静。寝るの?」

 それなら歯とか磨いてきなよ、と和音さんが促してくる。

「そうする!」

 薄く目を開け、おれはベッドから下りた。

「見るのやめよ。つまんない」

 開始10分、3度めのエロに突入したのか、部屋を出る時に女の喘ぎ声といっしょに和音さんの呆れたような声が聞こえた。