不協和音(嬰)
明日が待ち遠しいなんて今まであっただろうか。ない気がする。明日。明日になれば和音さんとの人生初の花火大会が待っている。
花火大会なんて今までの人生で縁がなかったからわくわくじゃすまない興奮におれは今満ち満ちている。
和音さんと出会う前、中学一年生の時に世話になっていた真さんという男と行ったことがあったが、カモを探すのが目的だったから打ち上げられていた花火は見られなかった。
当時と違い、犯罪まがいの悪事からも足を洗ったし、明日は和音さんと心置きなく花火が見れる。
ずっと、こればかり考えていた。
昨日花火大会に行く約束をしてからずっと。
携帯電話で時計を確認すると、午前5時。
早くに寝る体勢に入ったと言うのにそわそわしすぎて2時間しか眠られなかったようだ。またもう一度夜が来るが、眠れる自信はない。
同じベッドで眠っている和音さんを起こさないように静かに体を動かし、向きを変える。和音さんと向かい合うようにすると、気持ちよさそうに眠っている和音さんの姿が真近で見られた。
カーテンの隙間から差し込む一筋の光はあっても、遮光カーテンで太陽を遮られている室内は暗い。それでも和音さんの肌の白さはよくわかる。長いまつげと、形のいい目。上品というのか、淡い色をした美しい唇。
おれは、変態なのだろうか。
いくら和音さんでも、心の中だけにとどめているにしても、気色悪い美辞麗句を並べ立てて男の容姿を褒め称えるなんて。しかもその気になれば、すべてのパーツ一つ一つを長々と褒めることが可能だ。
女の子に抱かなきゃいけない感情や欲を覚えることも多い。
こんなことで悩むんだったら和音さんがおれの尻とか触ってた時代に一発やっときゃ良かった。和音さんだったら無条件で痛い方で良いんだけど。
(……って、何最低なこと考えてんの、おれ……)
自分の思考にうんざりする。瑞樹と凛や綾音、真さんの周りの人たちに毒されて男同士もふつうのことのように思ってしまったりもするが、日本……いや、地球上において普通のことじゃない。自分の考えを押し付ける奴は最低だ。おれは最低なやつになりたくない。今まではどうであっても、大事なのはこれから。
最近ではこんなことを考えられるようになった。
男同士は普通じゃない。
これを、心に刻んで生きていこう。
こう、思ったばかりだったのに――
「和音似合うんじゃねえの?」
「……そういえば、ずっと着たことないね。和音、着てみる? 今女の子用のしかないけど……」
朝のおれの決意を打ち砕くような出来事が、進藤家で起ころうとしていた。まなちゃんと、仕事が休みの次男と和音さんのお母さんに昼食に誘われたのが運の尽き。おれの決意を揺るがす瀬戸際だ。
「えー……」
「お兄ちゃん静と花火行くんでしょ? 浴衣の方がりんじょうかん出るよ、きっと」
「出ないよ」
和音さんが、まなちゃんに冷静に突っ込む。
「俺、髪やってやるよ。綺麗に」
「いいって。俺、どんな趣味を持つにしても、女装癖は付けないようにしようって心に決めてるから」
「大丈夫よ。自分の子供のすることなら、母さん、全部受け入れられると思うの」
「ねえ、化粧もしようよ。私がこの前買ったやつ貸してあげる。持ってくる」
いつもあまり表情の変わらないまなちゃんが、若干頬を赤らめて、ドアの向こうへと走り去っていった。
*
「……そもそも、やり方わかんないし」
化粧道具を手に持ち、和音さんが呆然と呟いた気がした。
気がした――と思うのは、おれの聴力はいまや全く使い物にならないからだ。
視覚。
おれは今他の五感を捨て、視覚のみに神経を尖らせている。
自信を持って言える。今、全世界で一番幸せを感じているのは、おれの視覚だ。
透き通るような、いや、透き通っている白い肌に、女の子のようにまとめ上げられた甘いミルクティ色の髪の毛は、金色の模様があしらわれた黒の浴衣によく似合っている。化粧などしなくても、和音さんは完璧だった。
「大丈夫よ、和音。隣で見てるから」
「まなも見守る」
「やり方教えてやるよ。できるだろ、お前意外と器用だし」
「……やっぱこんなのおかしい。なんで俺女物の浴衣着て化粧しようとしてんの。変態じゃん。意味わかんない」
和音さんがまた大きくため息を吐いた。憂いを帯びた表情で目を眇める和音さんの美しい事ったらない。
和音さんをただで見れる喜びをかみしめていたら、ふと和音さんがこっちを見て申し訳ない気分になったが、次に出てきた言葉に驚いた。
「どうせなら静やってよ」
和音さんの向こうで、なぜかおれ以上に驚く和音さんのお母さんと美容師の兄が見える。
化粧といえば、かつて真さんに女装させられておっさんの群れの中に突っ込まれた時にやったっきりだ。あの時の恐怖がまざまざと蘇る。
何人もの急所を蹴り、殴り、命からがら貞操を守った思い出。その後真さんにキツく怒られたが、おっさんたちに好き勝手されるのと比べたらもはやご褒美だった。
けど、ここで和音さんの顔をいじらせてもらったら、化粧の思い出がいいモノに塗り替えられるかもしれない。化粧だけに。
「……静やるの? 確かに、可愛い顔してるけど……。うん。いいよ。まなの化粧道具いじるのを許す」
どうでもいいが、この2週間で、まなちゃんの序列においておれは一番下に格付けされている。
「化粧がなくても綺麗だけど……」
でも、和音さんのお顔に触るチャンス。一生に何度あるかわからない貴重なものを逃してはならない。
「よし。おれすっげー綺麗にしてあげます」
「できんの……? まあ、ピアノ上手だし、できるか」
関係無いが、和音さんがそっと目を閉じたから何も言わずに和音さんの手からまなちゃんの化粧道具をいただく。
なんだか、今おれは静かになった進藤家の面々の注目を一心に浴びているようだ。化粧をされる和音さんじゃなくてどうしてみんなおれを見るのかわからないが、気にしたらいけないように思い、平常心を保つ。精神統一しなければ、手が震える。ずっと好きだった和音さんのお顔に触れるのだ。間違いがあってはならない。
進藤家の緊張が伝わる。進藤家一の美しさを誇る和音さんのお顔に触れることに対してみな身構えているのだろうか。
「じゃあ、和音さん、付けますよ」
一言入れてから手に取った下地を指で和音さんの顔に塗りつけていく。滑らかな触り心地におれが夢見心地になった時、「なんか、変な感じ」と言って、和音さんが眉を寄せた。