祭り
りんごあめ、金魚すくい、お面屋、たこ焼き、おでん……。
「やばい……」
「何が?」
「祭りだ……」
「頭が?」
浴衣姿の女子、家族連れ、憎らしい恋人たち、かつての俺のように何くわぬ顔でカモを探してそうな男。道は一方通行でもないのにみんな向かうところは一緒だ。
「まじでやばい」
「意味わかんないんだけど」
おれは勢い良く隣を歩く和音さんを見た。すごい! 特におしゃれでもないTシャツに普通のジーンズ姿なのに、化粧をばっちりして綺麗な浴衣に身を包んだ女の子よりも遥かに和音さんのほうが美しい!
そして! この! 高揚感! 夜の! 街が! こんなに! 心! 躍る! ものとは! 露も! 思わなかった!
「……なんか、静の目……なんていうか、燃えてるんだけど」
呆れ気味に和音さんがため息を吐く。しかし、和音さんがさっきからちらちらと腕時計を見ていることをおれは気付いている。
海沿いを、人波に乗って歩く。
初めはちらほらとしかなかった夜店が、花火会場が近づくに連れてどんどん増えていく。
それに比例するように、人の数もどんどんと増えていった。
幼い子から年寄りまで、みんなが驚いたように和音さんの顔を眺めるが、普段とは違いその時間は短い。人が多いこともあるけれど、みんな祭りの雰囲気に呑まれているのかもしれない。夢の中で見る夢は、存在が薄れるだろうから。
そう、和音さんは夢のような存在。夢みたいに美しい!
「――い、静!」
ぐい、と腕を引かれ我に返る。びくっとして顔を上げると、眉を寄せた和音さんと目があった。
「目開けながら寝てんの? はぐれるって」
「も、申し訳ない」
「なんなの、申し訳ないって。おっさんくさい」
和音さんの頬が少しだけ緩む。早く行かないと場所がなくなる、と言う和音さんに腕を引かれ、おれたちはまた人波に乗る。
花火大会は初めてだと言う告白を聞いた和音さんは、祭りっぽいところで花火を見ようと提案してくれた。
山の廃墟だと誰にも邪魔されないで見れるらしいが、祭りの雰囲気はない。本当のところ、おれは和音さんと一緒なら廃墟でも墓でも花火が見れないところでもどこでも良かった。どこでも嬉しかった。
空を見ると、日中は雨が降り出しそうな感じで曇っていたのに、どんよりとした雲はどこに行ったのかすっきりと晴れている。きっとかつてのおれみたいなどよどよと悩んでいるやつの腹にでも行って思い悩ませているのだろう。
祭りって良いね、なんてなんの意味もないような平和な会話をしながら海へと足を向ける。海で花火を見るなんて和音さんはなんて風流人なんだ!
「おう」
そう思っていたら、和音さんの肩が揺れた。誰かがぶつかってきたのだ。和音さんは気にせず前を行くが、彼の腕を掴む手があった。
「何……」
見たことがある男が3人、和音さんの前に立つ。どっかのチームに属している血の気の荒いバカたちだ。彼らは面白そうなものを見つけた子供のごとく爛々と光らせた目で和音さんと向き合っている。和音さんが小さく溜め息を吐いた。敵対しているグループ。花火のお誘いではないだろう。
「和音じゃん」
「つきあってる暇ない。花火見に来たし」
和音さんが心底面倒くさそうに言い捨てる。じゃあね、と腕を振り払い行こうとする和音さんについていくと、バカの内の一人が後ろからおれを羽交い締めにしてきた。
「え、ちょっと」
不覚! 男の力は思いの外強い。おれが抵抗しての強さならわかるけど、男は初めからぎりぎりと締め付けて来ていた。腑抜けた生活を送っていたからか、全く警戒もしていなかったおれはもがいても抜け出せないほどがっちりとホールドされている。それを見てまた和音さんが溜め息を吐く。他の祭り客が迷惑そうな、心配そうな様々な感情がこもった目でおれたちを見ていた。
「それ、返してよ」
「いいじゃねえか。俺ら暇してんだよ。なかなか女も引っかかんねーしよ」
ためしに出ようと少しもがく。
「ぐえ」
喉に腕が食い込み息が止まった。
「それはお気の毒に。じゃあ、行くから」
和音さんが手を伸ばし、おれの首に回された男の手を解こうとした時、別の男の拳が和音さんの顔に飛んで行くのが見えた。あ、と思った時にはもう遅く、鈍い音とともに和音さんが殴られた。きゃ、と短い悲鳴があたりから上がる。しかし、和音さんは殴られたけれど、彼の目はずっと不細工の拳を追っていたから避けることは出来ただろう。
和音さんの目が一瞬何かを探した。そして、男の腕に力を込めると、おれごと不良を引っ張って歩き出した。虚を突かれた男が数歩、つんのめるようにして進む。
「いてっ」
男はおれを地面に落とした。情けなくも膝を突く。男がいきなり転んだおれに躓き一緒に倒れる。どんくさい、と和音さんが呟いた。そして、少し離れた所でおれたちの行く末を見ていた男に向かって和音さんが手を伸ばす。アロハシャツを着て、無精髭を生やした軽薄そうな中年。男がぎょっとした。
「ねえ、刑事さん、俺、暴力受けたんだけど。こいつらに注意してくれないの?」
私服の男を捕まえた和音さんが言った。
和音さんが捕まえた男は本当に警察官で、その後ばか3人を渋々連行しようとして逃していた。結果的にばか3人から解放されたから良かったが、それを見ていた女たちに囲まれたり(主に和音さんが)、なんとか無視して逃げてもまた別の女に声かけられたり(やっぱり和音さんが)、不良にからまれたり(これも和音さんが)、全然海に辿りつけない。時計を見ると花火まであと5分。無表情に見えるだろうが、もう和音さんのいらだちは限界に迫っているようで、全身から俺に近づくなというオーラが出ていた。不良から警察を使って逃げた和音さんを見ていた人は結構多かったらしく、みな機会を窺っていたらしい。それで「あ、この人怖い人じゃない」と思ったのかぽんぽんぽんぽん声を掛けられるのだ。
「いざ、廃墟」
言ってみる。大学生と思われる浴衣女子たちを冷たく撃退したばかりの和音さんが怪訝そうにおれを向く。
「……祭り気分が」
「んなもんいらないから、山行こう」
そう言って、和音さんの腕を掴み、人の流れに逆らうようにして小走りに進む。人波を抜けるのは実は苦手じゃない。少しの隙間を見つけてどんどん抜けていく。さっきとは異なるおれの動きに、和音さんが少し戸惑っているのがわかった。祭りを楽しむ気持ちを消せば、このくらい簡単だ。おれの任務は祭りを楽しむことではなく山に行くこと。こう言い聞かせる。それでも祭り独特の雰囲気と匂いを楽しみながら、手に和音さんの体温を感じつつ足を進める。
祭りの日に山の廃墟なんかにわざわざ行くやつはいない。不良は祭りに繰り出すかそれぞれのたまり場にいるだろうし、花火を見学しようと「出る」と噂の廃墟にデートに来るやつらもいない。
山の廃墟は荒れ果てている。歩く度、ざりざりと砂が爆ぜた。
「花火、多分あと30分くらいで終わるよ」
和音さんが呟く。廃墟に着いてからおれの後ろを歩いていた和音さんを振り返って見ると、彼はポケットに手を突っ込みながら崩れて空が丸見えになっている天井を見上げていた。隙間から、ピンクや黄色の花火が見える。その数秒後に太鼓のような音が聞こえる。時間は測っていないけれど、光が見え、音が鳴った時間から推測するに、打ち上げ場所からここまでは約5キロほど離れているのか。
「30分も見れたら満足」
歩調を緩め、のんびりと歩く和音さんに合わせる。壁には女の子の名前とか、卑猥な言葉が書かれている。たまに目をみはるほど凝った毒々しい絵なんかも書いてあるが、本当に、不良はどこにでも湧くと感心する。
「噂、たくさんあるよね」
花火と壁の落書きを交互に見ながら、階段をのぼる和音さんに話しかける。
「二階の左から3番めの客室の窓に女が立ってるとか、屋上から飛び降り続ける霊が出るとか、普通にうじゃうじゃいるみたいだよ、ここ」
「今から屋上に行くから、確かめればいいんじゃない?」
「和音さん、全然怖くねえの?」
「別に……。肝試しの気持ちで来たなら怖いかもしれないけど、花火見に来たからなあ」
そういうもんなのか?
わからなかったけど、おれも今は特に怖くなかった。怖がりじゃないわけではない。でも、和音さんといるし、花火の音も聞こえている。祭りの高揚感からも全然抜け出せていないし、恐怖を感じる暇がない。
5階建の元ホテルの廃墟。息を切らしながら、急な階段を登った先に屋上があった。鍵は勿論壊されている。屋上は真夏だというのに少し肌寒い。山の向こうから吹いてくる潮風が冷たさを運んでいるのかも知れなかった。
和音さんが地面に転がっている空き缶を蹴る。からん、と夏の音がした。
「あそこに登って見ようよ」
和音さんが屋上の上に建てられている小さな小屋を指さす。そうしましょと頷いて、おれと和音さんは小さな管理小屋のような小屋によじ登った。はしごはついていたが、残念ながら途中までで、途中からは折れてなくなっていた。
余裕はあるのに、なんとなくふたりでくっついて座る。わずかに足が触れ合っていて、それがおれを別の意味で熱くさせた。