早寝記録

崩れる

 花火はとても美しかった。和音さんが隣にいて、ふたりで黙って空に咲く花を眺める。夜の空に一瞬だけ咲きふわりと消える花はとても綺麗だった。体の芯に響く和太鼓のような低い轟きが、花の美しさを引き立てる獣のように思える。

「柳って言う、光が雨みたいに垂れ下がるやつあるでしょ」

 パン、と花火大会が終了したという短い合図が空に打たれた。和音さんは立ち上がる様子なく、もうただの夜へと戻った空に目をやりながら言う。上空に消え行く白い煙だけがわずかな花火の名残だった。

「名前は知らないけど、あるね」
「あれが小さいころ怖かった」
「怖い?」
「うん。手みたいで。捕まるって思って、逃げて迷子になったことがある」
「和音さん、たまに可愛い」
「今じゃない。昔の話」

 今でも結構可愛い言動をするけど……と思ったけれど、まあ、口には出さない。そもそも、和音さんはしゃべり方が可愛い気がする。おっとりしてるというか、ゆっくり話すそのペースに癒しを感じる。声質も、良い意味で眠くなるような、なんだか優しい声。低くはないが、高くもない。自然の中に融けて消えてなくなる感じがする。

「静には、怖いものがなさそうだ」
「え? あるよ? たくさん」
「ケンカの時も、相手が何持ってようが全く変わらない。こいつ、銃が出てきてもハイテンションでやべーって言うだけなんだろうなって思うことがある」
「銃とか日本刀とか出てきたら、焦るんじゃないかな、おれ」

 和音さんがどういう答えを望んでいたかわからない。それ以前に質問の意図も読み取れなかった。けれど和音さんから感じるのは穏やかさだけで、嫌な感じはひとつも受けない。

「怖くなくても、怖くても、自分よりも強い相手からは逃げてほしい」
「はあ?」

 突然どうしたの、と尋ねる。和音さんが穏やかな笑みをくれた。それにどきりとする。花火よりも綺麗です、とか陳腐な褒め言葉が浮かんだ。

「和音さん結構おれを弱いとか足手まといとか言って怒ってなかったっけ?」

 『静は喧嘩できるでしょ。だから負けたのはお前のせい』

 こんなことも言われたことがある。春から和音さんとの距離、関係が変わったという自覚はあるが、それでも――

「強い相手だからって逃げるのは、なんていうか、不良の風上にも置けないっていうか、不良失格? せめて1回ぶん殴られてから逃げるべきじゃね?」
「俺も不良失格だし、良いんだよ」
「へ?」

 花火もない空に和音さんが目を向ける。その瞳には夜しか映っていない。

「さっきのばか3人いたじゃんか。一番最初に絡んできたの」
「うん。和音さんが警察に突き出した奴ら」

 そう、と和音さんが笑う。自嘲の笑みとも取れる笑い方だったがそれでも彼がやると絵になった。

「あんなのすぐ勝てるのに、あんなヘロヘロの拳簡単に避けられるのに、避けもしないで警察に頼ったんだよ、俺。不良失格」
「祭だし……」
「不良っていうか、一応みんな総長って思ってくれてるのに、あんなの、ダメだよ」

 相変わらず笑ったままの和音さんに不安を覚える。

「一番ダメなのは、ダメだってわかってるのに、花火見れて良かったなあって思ってることだよ」

 最後はまるで花火のように儚く、消え行くもののようなかすかな呟きだった。
 和音さんを想う。中学2年生で出会ってから、今までのこと。確かに、和音さんは不良たちの中心にいた。だけど――

「和音さんは、不良じゃない」

 和音さんが空からおれへと視線を変える。

「ケンカはするけど、普通の人だと思う……」

 最近になって辿り着いた答え。和音さんの家に住まわせてもらい、和音さんと多くの時間を共にして行き着いた答えだ。でも、普通というのは語弊がある。不良ではないというだけで、和音さんは普通じゃない。和音さんは普通よりも優しく、普通よりも面白い。

 普通の人ってケンカするのかなあ、と和音さんが首を傾げるが、なんだか嬉しそうに見えた。和音さんが、普通か、と呟く。何度か普通を口にしている姿はやはり可愛い。よくわからないが、和音さんは「普通」を気に入ったようだった。

「夏休みの最終日に、花火大会あるの知ってる?」

 そうして和音さんは唐突に話題を変えた。いつもより饒舌で、いつもよりたくさんの質問をしてくる。彼もおれと同様に祭りに浮かれているのだろうか。

「知らない。毎年あったっけ?」
「何年かに一度ある。街の募金が溜まったらやってるみたい」
「へえ」
「それも、行こうよ」
「え! 行く! すごい行く! 超行く!」
「超行くの?」

 和音さんがクシャリと笑う。目元に出来る皺がクールな顔に優しさを滲ませた。やっぱり好きだなあ、とあたたかくなる。……いや、違う。好きだと思う時の感情は、あたたかさに似ているけれど、違う。それは胸が締め付けられるような切なさだ。一見違うようでいてそのふたつの感情はよく似ていた。例えるなら花火のようだ。どん、と体の芯に響くあの和太鼓のような轟き。高揚とわずかな恐怖。

「帰ろうか」

 おれの返事を待たずに和音さんが立ち上がり、ジーンズに着いた砂を払う。

「帰る」

 おれも立ち上がり、和音さんに倣う。楽しかったな、と和音さんが小さく呟くのが聞こえた。楽しいと言っているのに、和音さんの声は明るいものではなかった。穏やかだけど、どこか暗いものを孕んでいるように聞こえた。だけど、おれにはその理由が思いつかないし、その想いを尋ねることもできなかった。和音さんはよく笑うし、よく喋ってくれるようになった。でも、おれにも全くわからないけれど、和音さんのどこかがこの廃墟のように崩れかかっている気もしている。
 和音さんが密やかな笑みを顔に浮かべたまま振り返る。

「来年も来ようね」
「……うん」

 綺麗に微笑む和音さんは、崩れかけている廃墟には似合わない、どこも崩れていない人に思えた。