早寝記録

 なんだかよくわからない戦いが終わった。おびただしい数の負傷者が出て、入院するものもちらほらと現れた。町の大きい病院ということでみんな和音さんのお父さんの病院へとゲルマン人のようにぞろぞろと大移動をし、安息の地へと終着した。不良たちにとっても和音さんのお父さんの癒しの力は効くようで、おれたちのとこの奴らも、鬼が島も、スサノオまで小競り合いをやめて不良で占拠された待合室でおとなしく順番を待っていたのが面白かった。

「静がほぼ無傷だったことに驚いてる」
「無傷じゃない。間宮に蹴られたとこすっげー痛い」

 大袈裟に顔をしかめて和音さんを見ると、和音さんが柔らかに微笑んだ。顔中に絆創膏やら湿布を貼っているが、それでも綺麗だ。たぶん、おれはもう和音さんの外見をあまり見ていないのだと思う。見た目はもちろん格好良いし綺麗なんだけど、おれは和音さんの存在自体にキラキラした何かを覚えているのだ。さすがキラキラさん。初めて会った時、名前を教えてくれない和音さんをキラキラさんと呼んで嫌な顔をされたが、あの時のおれの名付けは間違っていなかった。

「間宮に向かってくのが間違い。おれもほぼ間宮にやられた。あいつやっぱりすごく強い」
「いつもは人使って自分じゃあんまり動かないのにね」
「きっと加減がわからなくなるんだよ。あいつ、中二病か何かなんだ」

 ふ、と和音さんがバカにしたように、面白そうに笑った。間宮に引退を認めてもらって、それでいつもより緊張がほぐれて表情が豊かなのかもしれない。そんな和音さんの顔を見ているとおれも嬉しくなる。おれもこういう顔をさせたいな、と思う。これは女の子に覚える感情。前までは性別もそうだけど、おれなんか好きになってもらえないと卑下し突き放していた感情を今は受け入れられている。和音さんに対してそう思えることが嬉しかった。

 おれと和音さんは倉庫のやつらの見舞いの帰りだ。おれの講習が終わってから待ち合わせて見舞いに行った。この後は鳥居と勉強をしに図書館へ行くことになっている。そして、そのあとは「家」へと帰るのだ。あたり前の生活。和音さんを好きなことはあたり前ではないけれど、今おれは世界で一番自分が幸せだと思っている。

「……遠野さんが」

 そんなことを考えていると、和音さんがぽつりと言った。

「遠野さん?」
「冬までに、静の親戚に話をつけにいくって言ってたんだけど」
「ああ、うん。おれ、ずっと戻ってないから。一生行かなくてもあの人達全く気にしないよって言ったんだけど。まあ、行くって言ったらその時改めて止める」
「……違う」
「違う?」
「うん。遠野さんは、静をくださいって言いに行くんだよ」
「はあ?」

 和音さんの顔が曇る。

「名実ともに静の保護者になるつもりなんだ」
「そんなばか」

 な、と言おうとしたが、ふと以前戯れに言われた言葉が頭をよぎる。

『家ねえっつってたっけ』
『保護者はいるけど、頼れない』
『養子にでもなるか? 俺の』
『遠野さんの?』
『遠野静、中々良いんじゃねえの』

 いやいや、大丈夫だ。ただの冗談だ。

「そんなバカなだよ、はは」

 そう言うが、和音さんの顔は曇ったままだ。

「遠野さんが保護者になったら静、幸せになるよ。ほんと。けど、なんか悔しい」
「悔しい?」
「きっと一緒にずっといたら遠野さんを一番に好きになる。おれにはそれがわかる」
「ええっ」

 わかる、と和音さんが断言する。

「静の幸せを素直に喜べない……。俺は心がヘドロのようだ」
「いやいや、なんていうか、色々おかしい。でも一番に伝えたいことは、おれ、和音さんが一番だよ。今も昔もこれからも!」
「わかんないじゃんそんなの」
「わかるって。和音さんよりおれ、おれのこと詳しい。だから、おれ和音さんがずっと一番だよ」

 なんか、中学生の会話みたいだ、と少し思い、笑いそうになると同時にぽかぽかと心が和んだ。

「……人が、自分で自分のこと見えないの何でだと思う?」
「え?」

 目の場所と構造上……という視点からの答えを和音さんは期待しておらず、すぐには言葉がでない。

「人に見てもらえるからだよ。外から見てもらった方が、よくわかる。自分のことは、みんな実はよくわかってない。自分のことを見ることが出来たとしたら、みんなもっとふんぞり返って生きる。自分をわかってるって錯覚するから」
「……そう」

 今日はよく喋ってくれるな、と思いながら相槌を打つ。

「俺、中2から今まで、静のことずっと見てきた。たぶん、一番見てきた」
「うん」

 嬉しさを覚えながら頷く。

「その俺から見ると、静は遠野さんを一番に好きになる」
「そこに行き着くんだ!」

 ネガティブな着地点に思わず突っ込む。

「じゃあ、いいよ。和音さん、これからもおれのこと見ててよ。そうしたらわかるよ。おれが誰を一番好きか。ねえ、ずっと見ててよ」

 言うと、和音さんはふいと顔を逸らして「わかった」とぶっきらぼうに吐き捨てた。まだ納得がいっていないのだろう。

「それと、まだある」

 和音さんが再び口を開く。

「何?」
「昨日、鳥居が桃と鬼が島の奴の見舞いに来てたんだけど、その時に静と同じ大学に行くって言ってた」
「はあ?」
「そして、氷高の教師になるって。一緒に」
「ええ!?」
「さらに、キャリアを積み、景気が良くなることがあれば不良を対象にした塾を開くって豪語してた。父さんの前で」
「ええっ」
「静、一昨日からみんなに勉強教えてんじゃん。教え方うまいから、父さんもその気になってる」

 3日前、待合室で待つ不良たちに和音さんのお父さんは「看護師にでもなったらみんな雇うよ」と天使のようなほほ笑みで言ったのだ。その言葉を受けてどこにも受け入れてもらえないと思っていた不良たちは浮足立ち、勉強を教えろとおれに血走った目で向かってきた。それからちょこちょこと教えてはいるけれど――

「大学も一緒で勤務先も一緒とか、フラグ立ちまくってる」
「何のフラグ!?」
「漫画とか読んでたら、大体くっつく」
「くっつかないって! おれと鳥居! やめてよ。なんなの、今日の和音さん」
「俺、危機感を持ってる」
「持たなくていいよ……」

 そう言って、なんとなく辺りを確認する。遠くに山を臨む、閑静な住宅街。人の姿はない。もうすぐ9月だというのに今日はやたら日差しが強いし、鬱陶しがられるかもと思ったが、思い切って和音さんの手を取ってみると、和音さんが目を丸くした。

「これで、図書館まで行くの?」

 だけど鬱陶しがることはなく、和音さんはおれの手を握り返しながら言う。

「ちょっとだけ。この住宅街抜けるまで」
「ふうん」

 足取りがゆっくりになる。蝉の声に辟易しながら、今日の気温の割にあたたかくはなかったおれと和音さんの手が段々と温まってくるのを感じる。そういえば、廃倉庫の近くで鳴いていた蝉はまだ生きているだろうか。

「あ」

 和音さんが小さく声を出す。和音さんの見ている方を見れば、主婦と思しき女の人が興味深げにおれたちを見ていた。慌てて道を曲がっていった女の人を見送った後で和音さんが言う。

「絶対ホモだと思われたね」
「うん」
「嫌?」

 なんだか、前にも似たようなやりとりをしたなと思いながら本心を答える。

「嫌じゃない」

 あの時は敬語だった。そして、自分のためにいつも遠慮していた。
 今は常識的に物事を考えた時に、男同士でこんなにも堂々としちゃいけない、と思う反面、みんなに見せびらかしたくもある。

「俺も嫌じゃない」

 和音さんがおれを見下ろして微笑みながら言う。

「良かった」

 まだ住宅街は抜けていないがどちらからともなく手を離す。和音さんの熱はなくなったけれど、あたたかさは変わらずある。ふいに、泣きたくなった。どうしてかはわからない。幸せだったのかもしれない。

 夏特有の陽炎を眺めながらふと思う。

 じきに夏は終わり、秋を迎え、瞬く間に凍てつく冬が来る。冬は寒くて白い寂しい季節だ。
 だけど、やってくる冬をあたたかな気持ちで過ごせることを、おれは知っている。