早寝記録

鬼が島・スサノオの乱

「うわははははははは!」

 廃校の体育館で大げさな笑い声を上げておれたち――正確には和音さん――を迎えてくれたのは、鬼が島の桃原だった。

 1週間前の話になるが、おれがバカ3人に捕まったあと、おれを遠野さんの家まで送ると言った和音さんは道の途中で倒れた。睡眠不足や疲労が重なった結果らしい。
 その時おれは最近ずっと倉庫にいて家に帰っていない和音さんを遠野さんの家へと連れて行くつもりだったけど、まさか倒れるとは思わずひどく驚いた。その後、遠野さんに迎えに来てもらって和音さんは進藤家へと運ばれたけど、1週間後会った和音さんはその日のことを人生で一番恥ずかしい日だった、と語った。

「一週間姿を消したと思っていたが、現れた途端俺の所に来るとは! あれだ! 修行をしていたんだろう!」
「違うよ」

 嬉しそうに桃原が言う。後ろにはギャラリーがいて、その中には鳥居の姿もあった。やはり不良の中にまじる鳥居の姿は浮いていた。でも、鳥居もなぜか嬉しそうな表情で桃原と和音さんを見守っている。

「しかし和音! 保護者付きとは笑える!」

 桃原が和音さんの後ろにいるおれを指さして叫ぶ。「わらえるー」と鳥居の野次も飛んできた。

「静は保護者じゃない。むしろ俺が保護者」

 和音さんが不満げに否定し、腕を組んだ。

「知ってると思うけど、俺、ケンカ卒業するから。だからそのご挨拶に来ました。鬼が島のみなさんには色々、お世話になったから」

 思いの外和音さんはきちんと挨拶をした。日本人としての建前もちゃんとあった。それにしてもゆるい雰囲気に少し驚いたが、これから挨拶だっていうのにいつまでも和音さんの後ろにいるわけにもいかず、鳥居の傍まで行く。周りは鬼が島の敵だらけだが、今襲ってくる奴はいないだろうと高をくくって。

「や、静。さっきぶり」
「うん。さっきぶり」

 制服のままの鳥居が声を掛けてくる。

「なんだよ鳥居ちゃん。お前和音の仲間と仲良いのかよ」

 近くの不良が不満気に鳥居をつつくが、鳥居はにこにこしたまま答える。

「学校一緒。友達なんだよ」
「まじかよ!」
「そうそう、最近べんきょー教えてもらったりしてんの、俺」
「お前、見た目頭悪そうじゃねえか!」
「いや、なんでそこでキレんの!」

 いきなり胸ぐらを掴んでくる不良に突っ込む。前のおれと同じような赤い髪、意外と整った顔の造りに白い肌、けれど、頭は悪そうに見える。

「よし君頭が残念なんだよ。鬼が島にいるのも、インテリぶった不良を殴りたいからなんだ」

 へらへらと鳥居が答える。よし君は顔を真赤にして今度は鳥居に掴みかかる。

「鳥居ちゃんは俺をバカにすんな!」
「バカにしてねえって。勉強すれば出来そうなもんなのに、しないから残念がってるだけ」
「誰にでもポテンシャルがあると思うな!」
「うるせえぞ、外野! てめえら俺の勇姿見に来たんじゃねえのかよ!」

 桃原が怒鳴る。外野から、勇姿を見に来たわけではないという冷静な反応が桃原を襲った。

「ち、違うのかよ!」
「……桃、いい加減に始めようよ」
「う、うるせー」

 桃原の勢いがしぼむ。和音さんは腕を組んで呆れたように桃原を見つめていた。ふと、このふたりは幼馴染なんだよなあ、と思った。おれには幼馴染がいない。幼いころは家から出なかったし、母親がいなくなってからは日本各地を転々と渡り歩きひとところにとどまることはなかった。今のところは長いが、和音さんがいるから無理を言って置かせてもらってるだけ。幼い頃から知ってるってどんな感じなんだろうか。

「勝手に、勝手に辞めるとかいいやがって! 卒業までいてもいいじゃねえか!」
「それじゃ遅いんだよ。制服デート? そういうのができるのって、高校までなんだって」
「お前、ま、まさか……!」

 桃原が顔面蒼白になる。

「あの、あの和音ちゃんが、まさか、彼女!!」
「違うよ」
「お、女にいじめられて落ち込み公園の隅で無表情で砂をほじってた和音ちゃんが……! バレンタインの時にチョコを断りすぎて男子から罵詈雑言を浴びせられ落ち込んでグラウンドの隅で雪に埋もれるまで無表情で膝を抱えていた和音ちゃんが、まさか!」
「いつの話だよ!」
「そこまで遠くない過去の話」
「遠いよ!」

 和音さんが苛立ちながら桃原を睨む。

「気を取り直す。さっさとやってさっさと終わらせる。なにするの? 俺、何でも良いけど」
「一騎討ちに決まってんだろ! チーム同士の戦いなら狡いもん勝ちだけど、最後は正々堂々って相場は決まってんだよ!」
「あ、そう。桃がそれでいいなら良いけど」
「じゃあ、柔道もどき。背中ついたほうが負けな」
「審判とかは?」
「もどきだって。とにかく、技かけて背中付かせたほうが勝ち。和音が勝ったら引退。俺が勝ったら鬼が島に入るってことで」

 桃原の言葉に場が沸き立つ。 「桃、何考えてんだよ!」「まじかよ!」「楽しいだろ」「桃、頑張れ」と外野から様々な野次が飛ぶのを和音さんはため息混じりに眺めている。

「そうなったら静もおいで」

 鳥居がおれの背中を叩く。おれは別に、和音さんが行く所についていくけれど。それこそ、鬼が島でも、宇宙の果てでも海の底でも。
 桃原が構える。腰を落とし、自然に手を開いている。よく見る柔道の構え。和音さんはというと、わずかに身を動かした後、不思議そうに天井を眺めた。

「和音?」

 和音さんに釣られ、桃原も天井を見る。おれたちもなんだどうしたと訝しがりながらふたりに釣られて見た時、外へと通じている体育館の扉ががたがた揺れたのがわかった。とともに扉越しにくぐもった声が聞こえ、扉の振動が大きくなるに合わせて声もでかくなっていく。
 和音さんが後方の扉に視線をやりながら桃原の傍へと寄っていく。

「俺、悪い予感がするんだけど」
「気が合うな。俺もだ」

 呆れ顔で桃原が返した時、鍵が飛び、ついに扉が破られた。おれの周りの鬼が島のメンバーもこれから起こるであろうことへの興味に興奮し、がたがたと立ち上がり外から来た邪魔者たちへ備えている。

 逆光を背に現れたのは、たくさんの不良。おれの見間違いでなければ、あの悪名高いスサノオのリーダー間宮がいる。

「間宮……」

 和音さんのつぶやきに合わせたかのようにいきなり現れた不良たちが一斉に体育館の中へと入ってくる。鬼が島の連中も待ってましたとばかりにうっすらと埃の積もった床を蹴り、粉塵を上げて敵に向かっていく。
 間宮と和音さんが対峙する。

「和音。そのうちお前のとこの奴らも来る」
「……なんで……」

 和音さんたちを避けるようにしてあちらこちらでケンカが始まる。やはり、みんな生き生きしていた。

「ひとりで挨拶に来られたってつまんねえよ」

 間宮が静かに語る。喧騒の中でも間宮の声ははっきりと聞こえた。おれと一緒で未だ座ったままの鳥居もじっと3人の会話に耳を傾けているようだった。

「俺はてめえが辞めようが辞めまいがどうでも良い。でも、ひとりで来られて潰すより、こういうほうが楽しくねえか?」

 つかみ所のない笑みを浮かべ、間宮が笑った。

「あ」

 鳥居が小さく息を呑む。投げられた少年が桃原に向かって飛んで行く。

「おわっ」

 桃原が避けると同時に和音さんと間宮が散った。

「和音! なんか俺よくわかんねーけど、一騎討ちはするからな!」
「今度ね……」

 そう言葉を交わし、それぞれ少年の中に消えていく。そのうちに倉庫の奴らもぞろぞろとやって来て、廃校の体育館が生気を取り戻した。ただ暴れることが目的の今回のケンカでは、隅で座っているおれたちのもとに誰かが来ることはなかった。

「鳥居、どうする? 行く?」
「そういや俺、前静にホームラン決めるって言ったっけ」
「あんの? バット」
「ないよ。静はどうすんの?」

 鳥居の言葉に少し考えてから立ち上がる。

「少しだけ参加する。おれも、これで最後にするよ」
「そっか」

 その後鳥居がどうしたのかは知らない。だけどおれは、やはり今でも倉庫の一員だ。仲間意識がメンバー内に芽生えてからも仲間になろうとしなかったのは自分自身。おれは今日で最後だけど、最後だけみんなの仲間になろうと思う。

 重い辞書の入った補助バッグを担ぎ、走り出す。一発くらいは間宮の頭に決めてやろう。