早寝記録

見世物小屋

 見世物小屋にはカラクリがある。ろくろ首なんていないし、人間が火を吹けるわけがない。
 カラクリのあるものは嫌いだ。だからおれは見世物小屋に興味がなかった。
「ほんとに行かねえの?」
「行かないよ。お代は見てからで結構だよ~って言ってさ、見たらつまんなくても金とられんだよ。最低じゃん」
 友人たちから顔をそらす。丁度、見世物小屋のうさんくさい看板が目につく位置にあった。みせものごや、と平仮名で書かれている。みせものの「み」の横には、バツ印の書かれた「に」の文字がある。
「そういや、凌平射的でがっぽり外してたっけ」
「あ、そっか、あのおやじ、いいだけ細工してたもんな」
「凌平負けず嫌いだからさ、細工なんかには屈しない! って! 結局全財産持ってかれてだっせえな!」
「うるさいよ!」
 からかう舜たちに背を向けて歩き出す。遠くから聞こえてくる賑やかな祭囃子がうざったい。ついでに、脂ぎったあの卑怯な中年テキ屋の顔が脳裏にちらつき、苛立ちが増大する。
「じゃあ、おれたち中入ってくるから! おとなしく待ってろよ!」
 舜の声が聞こえる。それに右手を上げて答える。実際、財布の中身はもうすっからかんで、見世物小屋に入ったところで何も見れやしないのだ。人から金を借りてまで見たいものもないし、見世物小屋は全部嘘。今は嘘をおもしろく見れるほどの余裕なんてない。
 喧騒に飲み込まれそうになりながら、屋台の上に不規則に吊るされた提灯の下を歩く。人の生み出す騒々しさを避けるようにして、華やかな祭りの中心から境内の奥へと進んだ。次第に人の声や軽快な祭囃子が小さくなり、提灯の数も人の数も減っていく。思惑通り、どんどんと神社の奥へと向かっているのだ。ここで歩みを止めても良かった。静かな場所に行きたかったのだし、その目的は果たされたのだから。
 しかし、おれは提灯が途切れるまでは、と、足を進めるのを止めなかった。いつしか、境内の奥に隠されたようにそびえ立っている神木の奥に入り込んでいた。
 提灯はちょうど神木の両脇を通過している。その先は緩やかな下り坂になっており、山道への入り口でもあった。
 言い得ぬ不気味さを感じたが、一度提灯が途切れるまではと決めたのだ。
 おれは止めてしまっていた足の運びを再開させた。
 しかし、五分経っても、十分経っても提灯はとぎれない。提灯の間隔は十メートルほどだろうか。
 もうだいぶ歩き、祭りの気配は完全に消えてしまった。山中に取り残されたような不安を覚えたが、一度提灯が途切れるまでは進むと決めたのだ。あのテキ屋のおやじに負けたこともあって、今日はもう負けたくなかった。
 提灯は続く。昼間は気にならない鳥や虫の声がひどく不気味に聞こえる。土を踏みしめる渇いた音が耳につく。一度立ち止まってみた。そして、なんらかの恐怖を断ち切るように勢い良く振り返る。視界に、狭い山道の両側を橙色に光る提灯が走っているのが映った。ぼんやりと思考の隅で感じていたおぞましく変わったモノは何もない。縁日では屋台に括り付けられたりしていた提灯が、店がなくなってからは全て木から下げられている。山奥に提灯を下げ続ける理由はわからないが、ありえない話ではないだろうと思い込んだ。そうだ。不思議な事はなにもない。
 気付けば、おれはだいぶ前から、それこそ神木の奥に進む前から一本道を歩き続けている。ということは、迷いはしないということだ。引き返して、提灯の道をそのまま辿れば容易に戻れる。そう思うと、不安がっていた心が浮上した。迷わなければ大丈夫。進んで行こう。
 おれはまた提灯を頼りに山道を歩き出した。舜たちには何も言っていないが、神社は家の近所にあるし、自分がいないとわかれば勝手に各々の家へと帰るだろう。そもそも祭りは始まったばかりなのだ。まだ時間はある。一発目の店がテキ屋で、そこで財布の中身がなくなったのだからこのまま舜たちと合流したってつまらない。祭りには金が必要なのだから、金がないならひとりでこうやって散歩していたほうがまだ楽しい。
 気分が高揚していた。財布の中身がなくなったからって何をいらついていたんだか。
こういうこともあるだろうからって、今日は少なめに金を持って来たのだ。帰ればまだ少しだけど余裕がある。足取りが軽くなった気がした。それを良い事に歩き続ける。遠足よりも長く歩く。ふいに、ふわりと浮くような感覚に襲われた。
「あ、」
 強烈な立ち眩み。立っていられずに思わず地面に膝をつく。暗くなった世界は中々戻らず、目を開けたまま光が戻るのを待った。
 段々と視界が開ける。
「……なんだ?」
 遠くに光が見える。
 歩いていた時は提灯の明かりだけ頼りにしていたから、他に光はなかったはずだ。しかし、おれの目には確かに発光する何かがはっきりと映っていた。突然現れた光を不思議に思い強く目をこするが、光は消えず、依然としてそこに存在している。
「……店?」
 光は、提灯の明かりではない。提灯と提灯の間で、ぼんやりとゆるく発光している。屋台のようにも見えるが、明らかに他の屋台との距離がありすぎる。
 ともかく、この遠さじゃ何もわからない。畏怖にも似た胸のざわつきはあったが、確かめようと立ち上がり、近付くことにした。
 しかし、もし店だとしたら、これではたったひとりの客も来ないだろう。そこまで考えて、ある疑問が浮かんだ。
―おれはいつから山道を歩き出していたのか?
 屋台がなくなったのは、人がいなくなったのは、音が途切れたのはいつだろう。よくわからない。おれはいったいどうしてこんなところでこんなことをしているのだろう。妙に非現実的な世界に浸っていたが、一気に現実に引き戻された心地がした。
 歩き始めたばかりの足は完全に止まっている。思考に深く沈みすぎて、目ではそれを捉えているのに光すら映らなかった。
「あれ? これ、なんの祭りだっけ……」
 頭の中がぐるぐると気持ち悪く回る。舜に誘われて来たことは覚えている。去年おれはこの祭りに参加しなかった。それを知った舜が、今年は一緒に行こう、と一年も前から言っていたのだ。それから頻繁に、約束覚えてる? と聞いてくる舜はうざったかった。
 舜は都度この祭りの名前を言っていたはずだ。それなのに思い出せない。これ、どこでやっていたっけ。今おれは山を歩いているから、きっと山なのだろう。山の神社か。でも違う気がする。山なんかじゃなかった。
 自分が急に記憶喪失になったような気がした。舜にふたりで行こうと言われて、ふたりで来て、テキ屋にぼられて? うん。たぶんそうだ。けど、どうしておれは今ひとりで歩いているのだろう。舜はどこだ。あれだけ一緒に行こうって言ってきて、勝手に消えるなんてありえない。薄情だ。舜への怒りが膨れ上がる。また、それと一緒に寂しさも生まれた。でも、だとしたら舜も今ひとりなのだろうか。ふたりで来たならそうだ。だけど、祭りの夜はひとりになってはいけないという決まりがあったはずだ。おれは、舜は、どうしてひとりでいるのだろうか。状況のわからなさに、不安や焦りを通り越して、わけのわからない苛立ちがどんどん育っていく。
 おれはいらだちと共に、止めていた足を再び進め始めた。光に向かって歩く。近付いていくと、目に痛い配色の旭日旗と、たくさんの光で装飾された大きめのテントが光の中からひょっこりと顔を出した。それから、祭りの陽気な雰囲気をぶち壊すような陰鬱な御囃子が聞こえてくる。
 光はやはり屋台だったのだ。
 やけに派手な屋台に意識も視界も全てを奪われていたその時、いきなり何者かにぽんと肩を叩かれた。驚きに一瞬心臓が止まり、情けなく肩がびくつく。反射的に振り向くと、女物の着物を着て、不気味な狐のお面を被っている人間がおれの肩に手を置いていた。狐のお面はすこしだけずらされ、口だけが見えていた。その口の端は愉快気に吊り上げられている。お面から覗くその笑顔が怖かった。
「いらっしゃい!」
 そして、狐のお面をかぶったそいつが陽気な声を上げた。
「いやいやお兄さんこんなとこまでようこそお越しよ、ここは素敵な見世物小屋です、口上宣伝何もなし、実力勝負の本物勝負、ろくろ首に河童も本物、蛇女の肌は鱗で血は緑、お代は命で結構よ! ってこれ冗談!」
 少年の声で、そいつはまるで口上みたいに抑揚をつけて歌った。女物の着物を着ているが、どうやら男らしい。
 そして、ここは見世物小屋のようだ。きっと、ただの物好きがやっているのだろう。こんな山奥にわざわざ店を出すのだから、どこかのアホが趣味として細々とやっているのだ。
 そうに違いない。おれはもうひとつのある可能性にたどり着いたのだが、おそろしくて考えるのを止めた。
「……金も命も払えないから、帰る」
 そのまま何も反応せずに振りきればよかったのだと、口元しか見えない少年が喜びに染まったのを感じ取った瞬間に後悔したが、もう後の祭り。おれが口を聞いた途端、狐の少年の笑みが深くなり、両肩を捕まれ、乱暴に少年の方を向かされた。
「いい、いい! どっちもいらないよ! ねえ、とにかく入って入って」
 少年は幼な子のように喜んで、おれの手を引いて駆け出した。躓きそうになりながら光の中に招かれる。華奢に見える少年の手を、おれは離せなかった。抵抗できないのだ。力が入らない。それは少年の力が強いからでも、自分の力が弱いからでもないと直感的にわかったが、他の理由が思いつかない。強いて探すなら、抵抗しようと思おうとするのに、そう思うことができないのだ。
 光を抜け、おれは小屋を下から見上げた。大きいだけで普通の、安っぽい見世物小屋そのものだが、地面に置かれた提灯が不必要なほどにまぶしく光っている。そのせいで小屋自体が発光して見えていたのだ。
「ちょっと、おれ、戻るってば」
 口だけで反抗することに成功する。手には相変わらず力が入らず、足は少年に付いていこうとして必死に動いている。
「いいじゃない、少しくらい見て行って。お客さんが来る前に」
「来る前に?」
 少年はおれの問いには何も反応せず、しきりに「よかったよかった」と跳ねるように口ずさむ。
 ついにおれは少年に引かれて見世物小屋の扉をくぐった。中は外とは異なり薄暗かった。というよりも真っ暗。少し先を行く少年のお面の白さしかわからないような状況だ。いよいよ怖くなった。さっき忘れようとした不安が頭いっぱいに広がる。
 祭りは危ないから、絶対にひとりになってはいけない。学校で、そんな便りが配られたのはつい最近のことだと記憶しているし、昔から大人たちに口をすっぱくして言われてきた。だけど、複数でなら子どもだけでも問題ない、楽しんできなさい、と全ての大人達が言うものだから、おれたちには祭りの危険性がわからなかった。
「お前、」
「柊」
「は?」
「自己紹介だよ」
「そんなのいらないってば」
 おれは少年に掴まれた腕を引いた。さっきまでは力が入らなかったこともあり、抵抗できたことに安堵したが、思いの外自分の力が弱くて情けなくなった。この暗闇で取り残されることに対しておれは恐怖を抱いているのだ。行きはよいよい帰りは怖い、なんて歌があるが、今はどっちも恐い。この先進んでいくのも恐いし、ここから一人で暗闇を戻るのも恐ろしい。
舜。急に、どうしようもなく舜に会いたくなった。心細い。行きたくない。だけど、おれの足はそう思う今も動いている。
「大丈夫、もうすぐ着くよ」
「どこに?」
 少年が急に足を止めておれ振り返った。彼の真っ黒い瞳に、おれの困惑しきった顔が映っている。彼の口元には相変わらず笑みが浮かんでいた。
「まず、名前言って。そうしたら教えてあげるよ」
「名前って何」
「君の。俺、あんたの名前知らないってことに気がついて。これってやばいでしょ。良くない良くない」
 暗闇を背負い、柊が笑っている。血色の良い唇の色だ。暗闇なのに、どうしてわかるのだろう。そんなの知らない。なにもわからない。この状況も、何をすればいいのかも、おれは何も知らない。ばからしい。ひどくばかげている。夢か。別になんでもいいや。
「……凌平」
「そう。ありがと」
 大人しく答えるおれに拍子抜けしたのかただ単に満足したのかはわからないが、柊がまた前を向いて、今度はゆっくりと歩き出した。