覚悟
どこからともなく祭囃子が聞こえてくる。小さな異形たちが一生懸命奏でているような拙いものだ。
もしかしたら、手当たり次第集めた収集品の中に祭り好きな異形が紛れ込んでいるのかもしれない。
六畳の狭い部屋には様々な国で調達した宝たちが乱雑に置かれている。部屋の主――久納にしてみれば乱雑でもなんでもないのだが、見たもの全てに汚い部屋だと言われたら認めざるをえない。
しかし、昨日よりは確実に片付いていると今までこの部屋を見てきた者達は言うだろう。
だって、六畳の部屋には大きいと感じるほどの布団がきちんと敷かれているのだから。そして、清潔感溢れる布団には15,6歳と思われる少年が穏やかな寝息を立てて眠っている。
久納は満足気な表情を浮かべ少年をじっと見つめた。
「あ……」
しかし、久納が見つめ始めるのとほぼ時を同じくしてそれまで気持ちよさそうに寝ていた少年――凌平の顔が苦しげに歪んでしまった。
みるみるうちに彼の額には玉の汗が浮かび、久納は慌てて傍に置いていた濡れ布巾で凌平の額を冷やした。
まさか自分の覚悟が足りないから、俺が気にかければ凌平が苦しむのだろうか――
久納はありえない想像をする。
けれど、どうしてありえないなんてわかるのだろう。
わからないはずだ。
だってここは神様の見世物小屋なのだ。何もありえないことなどない。
凌平の表情が穏やかなものに戻ったのを確認し、久納は無意識に安堵の溜息を漏らした。
この少年は禍福を運んできたのだと久納は思う。それは、灯が来た時とよく似た感覚だった。彼は稲見とともにクチナワや団長に負けてしまったが、凌平はどうだろうか。もしかしたら俺が覚悟を決めたら灯のようにはならないかもしれない。
こんなことを考えて、久納はいきなり雷に撃たれたようなショックを受けた。自分がした行動のおかしさにはたと気付いたのだ。
(俺は、なぜこの少年に対して一喜一憂している?)
そもそも、自分が凌平を掃除夫に据えたのは一人ぼっちになってしまった柊のため。柊のことはよく知らないし、稲見がいた時はどうでも良いと思っていたが、彼は言ってしまえば稲見の忘れ形見だ。初めは、その柊が連れてきたのだから一緒にいさせてやろうと思った。
それなのに柊は色小屋に閉じ込められ、久納の手元に残ったのは凌平一人。
久納は失敗したのだ。
クチナワが帰ってきたと聞き、牽制するために凌平に自分を名前で呼ばせ外に連れ出したところまでは良い。団長が来るのも予想範囲内だった。しかし、団長が凌平を気に入るとは思っていなかった。「いらない」と言われたらどうしようなんて考えていたのがばかみたいだ。
しかも、団長は今まで自分から人間を住人にするなど言ったことがなかったのだ。想定外だった。
(いつから俺は凌平のことだけを考えていただろう……)
久納は目を閉じた。閉じたって中途半端な闇が見えるだけで何にもならない。
こうなったら覚悟を決めなければいけないかもしれない。
友達だった稲見が大事にしていた柊を、結果的に捨ててまで得た凌平。
もしも凌平が目を覚ましたら、彼は柊を取り戻しに行くだろう。
理由を欲しがった彼に言った、味方が欲しいという言葉は真実だが、かつて団長との関係を取り稲見を見捨てた久納にとって、団長を敵に回してまで味方というものを希求していたわけではない。
凌平が目を覚まし、柊が色小屋の見世物になったと知ったら彼は絶対に助けに行こうとする。俺は悩みながらも今度は団長を捨て、凌平に手を貸すだろう――
久納は確信した。そして、目を閉じてかつての景色を思い出した。
今でも鮮明に瞼の裏に浮かぶのは、実際に目にした光景か、それとも思い出が作り上げた光景か。
初め、草木は死んだように眠っていた。それが暁闇から抜けだし、空気が煌めき始めた途端彼らは生者の輝きに満ちたのだった。降り注がれる朝陽によってあたりの木も葉も湖もまるで自ら発光しているかのごとく自信満々に胸を張った。
そんななか団長は湖のほとりに立っていた。
シンプルな狐面をわずかにずらし、刻一刻と天に登ってゆく太陽を目に焼き付けていた。
その瞬間を空間ごと切り取って永遠に保存しておきたい。
久納はこんな衝動に駆られた。
思えば、狐の神様は出会った時からおかしかった。わざわざ人間とのあいの子である自分をそばに置き異形たちから反感を買って嬉しそうに笑っていた。
「久しく使っていなかったから、名前は忘れた」と言い、自らを団長と呼ばせた。その理由について格好良いからと笑っていたのを久納はよく覚えている。
彼はいつから変わってしまったのだろう。昔、山の中の小さな神社に祀られていた時は、人間を愛し、助けはしても面白半分でこちらの世界に引き込んだりは決してしなかった。
久納はぐっと拳を作り握りしめた。
凌平が眠ってからそろそろ一週間。起床は近い。
彼は戻って来るだろうか。向こうにいる俺の手をちゃんと取りに来てくれるだろうか。
久納は名残惜しそうに凌平の頭をひと撫でし、やおら立ち上がった。
凌平を迎えに行くのだ。
どこからともなく聞こえていた祭囃子はいつの間にか消えていた。