早寝記録

鍵箱

 クチナワに何か言って行った方が良いのだろうかと最後まで悩んだが、元団長の命令だという最強の盾があると思い、何も告げずにクラヤミに向かう。
 色小屋にしかいられない俺が箱掃除を命じられるとは今まで露も思わず、柄にもなく緊張した。
 忌々しいことに俺の頭に乗った青い雨蛙も緊張しているように黙ったままだった。
「クラヤミって、箱の鍵がしまってある小屋の奥だっけ」
 ようやく青が口を開いた。
「ああ」
「ていうかさー団長直々に掃除してくれって御国に頼んだんだから普通のルートで行けば?」
「普通に行けたら鍵なんかくれねえよ。普通に行けねえからくれたんだろ」
 実は、箱と色小屋は制限なく行き来できる。尤も、箱の奴らが色に来ることは殆どないし、異形同士の暗黙の了解みたいなものはあると聞いたことがあるが、特にふたつを繋ぐドアに鍵はかかっていない。しかし、他のやつらが自由に箱と色小屋を行き来できる中、俺だけが通り抜けできないのだ。そもそも、ドアに至る階段にさえたどりつけない。俺が通ろうとすると、クチナワが仕掛けた数十匹の蛇が落ちて来て一斉に俺に噛み付いてくる。一度、箱に行こうとして全身蛇だらけになり、数日間苦しんだ。3日くらいクチナワに謝り続けて許しを得られた瞬間治ったが、もうあんな体験はしたくない。
 地獄のような数日間を思い出すうちに鍵の小屋に着いた。鍵の小屋は名前とは裏腹にたったひとつだけ鍵が保管されている。この鍵は見世物が入った箱の鍵であり、俺だけが使えるようになっている。他の奴らが手にすると、またクチナワの蛇がそいつに向かって一斉に噛み付くのだそうだ。初めに聞いた時はあいつの蛇が異形にも効くのだろうかと疑問に思ったが、今までにそれで数百匹を超える異形が死んだという。
 どこか冷たい雰囲気の小屋に入り、左側の壁にぶら下がっている鍵を横目に見て、小屋の奥へと進む。そして、おざなりに取り付けられた木製のはしごを上り屋根裏のような場所へ上がった。そこは畳一畳ほどの空間で、南京錠でぐるぐるまきに施錠された扉があるだけだ。
 ここからクラヤミ廊下という、箱に繋がる廊下へ行くことができる。
 今まで行けなかった箱に初めて上がると思うと、不安とも期待ともつかぬおかしな高揚感に包まれた。
 鍵は元団長が言ったとおり確かに俺の枕元にあった。
 持ってきたそれを作業着のポケットから丁寧に取り出す。簡単な作りの鍵だ。木製で、円柱の下部に幾つか枝のようなでっぱりがある。上部は薄く横に広い楕円系になっており、目の位置にふたつ穴が開けられてあった。なんだか顔のように見えるそこをつまみ、鍵穴にあてがう。
 鍵が開く音が確認される。作業着のポケットに鍵を大切にしまった後南京錠を外し、ゆっくりとドアノブをひねった。
「御国、トロイ」
 静かに青が言う。
「うるせえよ」
 なぜか緊張していた。
 握りしめたドアノブとゆっくりと引くと目の前に闇が広がった。頭の上の蛙が固唾を呑んで闇を見ている。

「提灯、なんで持ってこなかったんだろ」
 一歩暗闇に足を踏み出して呟く。元団長は「暗闇をまっすぐ進むと」と言ったのだからこの闇は想像出来たはずなのに、話を聞いていると思っていてもよく聞けていなかったのだろう。
 しかし、取りに戻るのもクチナワや他の異形に会う可能性があるため、行きたくない。せっかく誰にも会わずにここまで来れたのだ。異形たちの少ない正午に出てきたが、それでも誰にも会わないことは珍しい。
「取りに戻ろうよ、御国」
 蛙が人語で話しかけてくる。声は少し高め。人間姿の青のものと同じだ。
「面倒くせえだろ。それに、ほら、もうドア閉めたし」
 頭頂部で何かが蠢く気配。
「動くなよ。気色悪い」
「ひどい事言うなって! っていうかドアもうないじゃーん! こわっ。どうすんの、俺こんな暗闇に御国とずっとふたりきりとか嫌なんだけど!」
「俺だって嫌だよ。つうか進めばいいんだろ。進んだら久納がいるらしいし」
 平気なふりをしてさっき元団長に言われたことを青に言うが、不安に潰されそうになっている自分に気が付いていた。本当は恐い。後ろ手にドアを探すが今まであったはずのドアを俺の手は掴めなかった。
 意を決し足を前にやる。蛙が頭の上から飛び降りた。そして、すぐにニンゲンの手に手を掴まれる。
「一緒に行こうよ」
 青が言う。
「一緒に行ってるだろ」
「そういう意味じゃなくてさ。不安じゃんかよ、なんか、暗いし」
 しばらく歩いた。青は手を繋ぐというよりも俺にしがみつく形になっている。
「御国!」
「うるせえな、叫ばなくてもわかるよ」
 光明が見えた。咄嗟についた悪態は、ほっとしたような口調になってしまった。
 若干早足で光へと向かう。近づくにつれて光の正体がわかってきた。看板だ。かわいらしい文字で団長の部屋と書かれた看板が光に照らされている。看板は扉の上に掛けられており、少し曲がっていた。
 ノックをする。思いの外、音が小さい。
「御国、ビビりすぎ」
 青にからかわれ、俺は無言でもう一度、今度は強めに扉を叩いた。中から、小さくだが「はーい」という返事が聞こえて、しかもそれが聞いたことのある団長の声だったからさらにほっとする。
 それからすぐに扉が開かれ、穏やかなほほえみを浮かべている団長が出てきた。ピンクと金の派手な着物がブロンドの長めの髪によく似合っている。

 蛙は、いつの間にかまた俺の頭に乗っていた。