早寝記録

安堵

「で、どうすんの? 御国」
「どうすんのって?」
「掃除してくの? まだ昼じゃん。夜に改めて来る?」
 尋ねながら、青が俺の頭から飛び降り、人間の姿になった。肩よりも少し長い、青みを帯びたつややかな髪。無駄に白い肌、うっすらと朱く色づいた頬……。よく見ると、顔の造りも結構整っている。
「お前、微妙に久納に似てんな。髪と肌が被ってる」
「なんだよいきなり。でも、御国俺をうつく」
「着物が派手なとこも被ってるし、なんかお前が憧れて真似してるみたいだな」
 そう思うと、憎たらしいばかりだったのが少し可愛く見えてくる。
「久納の劣化版って感じ」
 おかしくなって笑いながら言うと、青に頬を張られた。弾ける痛みに目が覚める。
「殴んなよ、いきなり」
「超腹たった! せっかく褒められたと思ったのになんだよ! 真似してねーし、劣化版じゃねーし! それぞれに固有のいいとこがあるって学校で習わなかったんですかー!」
「青こそ学校行ってたのかよ。蛙の学校?」
「昔のことは覚えてねーし。俺はお前みたいにぐずぐず過去を振り返ったりしねーの!」
「悪かったな、ぐずぐずで」
 俺の言葉に青が目を丸くする。
「なんだよ」
 そして、ひんやりとした手のひらを俺の額に当ててきた。
「御国、どうしたの? 今日おかしくねえ? なんで怒んないの? いっつも些細なことで怒ってんじゃん。悟ったの? ねえ、何かを悟ったの?」
「意味わかんねえよ」
 少し恥ずかしくなり、青の手を払いのけてさっき久納に教えられた掃除用具が入っているロッカーを開けてみる。中には雑巾が入ったバケツとホウキとチリトリ、モップという必要最低限の掃除用具が入れられていた。
「やっぱしてくの?」
「なんだよ、さっきからやけに真面目じゃねえか」
「だってだってー、直々に団長から言われたんだよ? 俺たち下っ端にとったらこれはもうやっばいことなんだって! ちゃんとやんなきゃすぐ殺されるよ」
 口調とは裏腹に、青はひどく真剣な顔つきで掃除用具を見つめた。命がけの掃除なんて言葉にしたらバカバカしいが、俺がクチナワに抱いている恐怖をもし青が元団長に対して抱いているのなら、こんな顔になってしまうのもわかる。
「殺されるかそうでないかは置いといて、まあ、確かにビビるよなあ、元団長は」
 青が持っている恐怖に対する理解と、ここが「久納の空間」だという安堵から、俺らしくない言葉がつい出てしまう。
「ちょっとだけ、掃除してくか」
「初めが肝心っていうもんね、何事も」
 弾むように言って、青がバケツを手に取った。


 正午過ぎの箱に生きたものの気配はなかった。試しにいくつか覗き穴から箱の中を覗いてみたが、空っぽか、意志を持たない異形が置かれているだけだ。
 やはり、騒がしい色小屋とは全く違う。色小屋は狂った少女や異形たちが絶えず音を生んでおり、しんと静まり返ることはまず無い。
 空間に俺と青の靴音がやけに大きく響いている。箱の下に置かれた橙色の行燈によって足元は見えるが、もともと真っ暗なのか灯は足りておらず、見通しは良くない。奥行きは深いようだが、それを踏まえても箱一つ一つに設置されている行燈が10を数えたところですでに先は見えず、闇が広がっている。
「あんまり汚くないね」
 床や箱に目を配りながら青が感心したように言った。彼は、闇に少しの恐怖も抱いていないらしい。
「品行方正なんだろ。下と違って」
「まあ、色と比べたらどこも綺麗で美しいけど」
「そっか、お前は好きなとこ行けるんだもんな」
 青は俺のように色小屋に縛られちゃいないのだ。それなのに彼は大抵色小屋にいる。行けるなら外の世界に行けばいいのに、どうしていつまでもこんなところにいて怯えながら掃除をしようとしているのか。
「別に、好きなところにいけるわけじゃない」
 青が床のゴミを探しながら言った。
「そうなの? 何で? 実は死んでるとか」
「死んでねーよ。御国は人間だからわかんねえだろうけど、小屋の外は魑魅魍魎が跋扈する大変におっそろしいところなんだよ。俺みたいな可愛い蛙がひとりで生きてくのは難しいの」
「ふうん。じゃあお前やっぱここで育ったの? なんかよくわかんねえな」
 異形の生い立ちなんて今まで気にしたこともなかったが、青について考えている内に疑問が湧きでた。
 こいつは一体どこからきたんだろう。
 何者なんだ?
 蛙の異形だと思っていたが、人間の姿にもなれる。話しているとよくわかるが、ここだけでは知り得ないような単語や俺の元いた世界の常識、仕組みを知っている。
 青は足を止め、俺よりも少し低いところからきっと睨んで言った。
「気付いたら蛙で、気付いたらここにいた。歩くことも殴ることも知ってるけど、名前も親も年も知らない」
「俺と同じかよ。っつうか、怒りながら言うことかよ」
「異形に過去は必要ないんだ。それを訊くのはプライバシーの侵害だよ」
「……お前ほんとは異形じゃないんじゃねーの? 案外イギョウの方かもな」
「知らないよ。知る手段がないことは考えないようにしてるんだ」
「そうかよ」
 少し寂しそうに言う青になんて言葉を掛けて良いかわからず、青と同じように箱の汚れているところを探すために箱や床に視線を配る。
 箱は、一言で言うと片付いていた。目に見える汚れはなく、色小屋でよく見る血痕も見当たらない。
 青もこの状態を不思議に思ったのか、箱に付いている覗き穴に目を当てた。
「あ。この中汚い」
 青が、彼から二三歩離れたところでただ突っ立っている俺を振り返った。
「御国、掃除しよ」
「いいけどさ、中が汚れてんなら一つ一つ見て回んなきゃだめじゃん。ふたりでひとつの箱なんかやってらんねえよ」
「じゃあどうする? 戻る?」
「まず、図面作って、汚れてる箱を確認すんのがいいよ。俺、色掃除を始めた頃それで汚れやすい場所とか危険な箱とか色々覚えたし」
「……それならはじめから言えって。なんなの! 今まで俺たち超どうでもいい時間過ごしてたんじゃん! 御国バカ!」
「もうだいぶ前のことだから忘れてたんだよ。俺、戻って久納に紙となんか書くものもらってくる」
 一応詫びて青に背を向けると、おれも行く、という青の焦ったような声が聞こえ、すぐに頭に何かが乗っかってきた。青の持っていたバケツが床を転がる。
「バカ。持って歩けよ」
「いいじゃん。どうせまた戻ってくるし」
「……まあ、いいけどさ。けど、お前だけ歩かなくていいなんて、フェアじゃねえな」
「俺、御国の頭の上だけは気に入ってるんだよ。頭の気持ちよさだけは誇っていいよ」
「冗談」
 軽口を叩きながらきた道を引き返していく。音のない不気味さが軽口を助長させているのかも知れなかった。