崩壊
神様の見世物小屋は静かに崩壊した。住み着いていたモノ達はみなどこかへと去っていった。最後まで残ったのは、たった数人と、自ら動くことが出来ない、または意思のないモノ達のみ。
がらんとした見世物小屋に生気はなく、寂寞たる様は終りが近いことを示唆している。一日ごとにどこかが消えていた。昨日はついにクラヤミ廊下にあった居住区が消えてしまった。もちろん、久納の部屋ももうない。
まだ消えずに残っている見世物たちの箱がある空間に、残されたおれたちは集まっていた。そこにはクチナワや火野兄弟の姿もある。
「知らねえうちに、俺の部屋が消えた」
犬猿の仲と言われていたのがウソのように、稲様が普通にクチナワに話しかけた。
「お前らはいつまでいるつもりだ。俺が後始末をすると言っただろうが。残られても邪魔なだけだ。早く去れ」
「相変わらず可愛げがねえな。ガキのくせに」
稲様が牙を剥く。
「図体ばかりでかい幼稚な獣にだけはガキだなんて言われたくない」
ふたりの子供みたいな言い争いを、久納はまるで白蛇様のように嬉しそうに眺めていた。
「それにしても、最後にどこが残るのだろうね。それが気になって離れられないよ」
「井戸だろ。ほら、消えろ。邪魔だ」
「どうしよう凌平。おれの箱が蛇に占拠された」
楽しそうに笑う久納と顔を思い切りしかめる稲様、それからその隣で複雑そうに自身を見つめる柊の様子を見て、クチナワが深い溜息を吐いた。
「俺を恨んでいる奴らに殺されてやりたいが、生憎俺は死ぬことができない。久納、お前はもうそいつらを連れて行け。先に出て行っても良いと思っているが、色のイギョウたちの処理が済むまでは離れられない」
クチナワの苦々しい物言いとは正反対に、久納はなぜか機嫌が良かった。元団長と白蛇様が二匹で去って行ってしまって数日間はこいつも落ち込んでいたように見えたけれど、彼は昨日自分の部屋が消えていく様子をひどく楽しそうに見物していた。
「あれ? みんななんだか元気がないね。どうしたの?」
そしてこんなことを言う始末だ。どこまでも呑気な久納に、稲様が大袈裟な溜め息をくれる。
「どうしたのってさあ。お前はここがすっかり消えたらどこにいくつもりなんだよ。団長もいなくなっちゃったじゃねえか」
「どこに行くって、無粋な質問をするのだな。俺の可愛い子鬼ちゃんと生きていくに決まっているだろう。ひとところに留まっていた今までが異常だっただけの話だね。付いて来るか? 俺と凌平、お前と柊。あと困ってる火野兄弟。旅芸人のように、見世物小屋を続けていくのも一興かもしれないよ」
思いつきのように話しているが、香で意識を奪われていた時、よく言っていたように思う。全部が終わったら小さな見世物小屋を作ろう。人を呼び、人間世界を廻るのだ。随分と楽しそうに歌うのだな、と靄がかかった頭で考えた記憶がある。
稲様はそれが良いなあ、楽しそうだ、と顔を輝かせた。柊も彼の隣で控えめに笑っている。
「俺たちも付いて行って良いの?」
「もちろん。人間にあの火芸を見せたらがっぽがぽだよ! なんにせよ、あちらでは先立つモノがなければ何もできないからね。俺のほうが一緒に来てくれと頼む立場だ」
ぱあ、と火野兄弟の表情が明るくなる。
「御国と青も連れて行ってくれ」
クチナワが俺たちに背を向けて箱のなかの異形を逃がしてやりながら、なんでもないことのように言った。
「その二人の面倒まで俺に見ろって言うのかい? 冗談じゃない」
言葉に対し、久納の口調は優しいものだ。
「邪魔にはならない」
「俺のこと、勝手に決めるな」
「それ以外に行き先があると思うか?」
御国の反抗をクチナワが一言で押さえつける。
「ないだろう。頭を下げて連れて行ってもらえ」
御国が何か言いたそうに、ぐっと体に力を込めた。
「それとも何か? ひとりでさまようか? 山が消えたから人外として人と暮らすこともできるぞ。まあ、年も取らないしたまに時代が飛ぶから――」
「一緒に来るかくらい言えねえのかよ」
稲様が呆れたようにつぶやく。
「お前の人生だ。すでに終わっているが。俺は久納と行くのが良いと思うが、一人でさまよいたいのなら止めはしない。俺はお前のなんでもないからな」
稲様の言葉を無視してクチナワは続けた。よく喋る、とおれの隣の久納が面白そうに目を細めている。
「ではクチナワ。お前はどうするんだ? 白蛇様は行ってしまった」
「人に紛れて生きていく。……俺は異形ではないから、保護者がいなければ異形の中でやっていけない。良心はないから、痛めつけられるのをわかっていて異形の中で生きていこうとは思わない」
「白蛇様が言ってたとこで保護してもらわないのか?」
「まさか。久納、俺は蛇が嫌いなんだ」
クチナワが皮肉げな笑みを浮かべる。
「どうでもいいが、俺はまだ忙しい。イギョウの処理をするからもう行く。じゃあな」
そう言い捨てて、クチナワは色小屋に続く階段の方へ姿を消した。
「御国、クチナワに付いてくの?」
クチナワがいなくなったのを確認してから、御国のそばにいた青が御国を見上げた。どこか心配そうな表情だ。
御国は不快そうに顔をしかめ、ひとこと肯定の言葉を青に告げる。
「青も来る?」
しかめた顔を和らげて今度は御国が青に尋ねた。青は素っ頓狂な声を上げて、驚いたように御国を見た。
「何驚いてんの」
「び、びっくりするよそりゃ!」
「俺は、お前がいたら嬉しいけど、勝手にすれば」
そう言って御国がクチナワの歩いて行った方へと進む。おれは漠然と、もしかしたらもうお別れかもしれないと思った。
数ヶ月この小屋で過ごしてきたからだろうか。おれはいつの間にか、小屋の一部になっていたのだ。だから、もうすぐ今おれたちがいるこの場がなくなり、クチナワと御国が行こうとしている色小屋だけが残ることを知っている。そして、もうこちらから色小屋へは行けない。
御国に誘われた青の表情は見ていられないものだった。泣き出しそうな、いや、もう青は泣いていた。ぽろぽろと、大きな目からひっきりなしに涙が流れていく。
「俺、お前なんかと行かないもんねー! クチナワ怖いし、俺、凌平さんたちと一緒に平和に生きてく!」
青が叫ぶ。
「そうかよ。じゃあ、元気でな」
御国が振り返り、淡々とした言葉とは真逆の穏やかな笑みを浮かべた。
「うるさいっ! お前なんか! お前なんか!」
泣きながら、握った右手で涙を拭いながら、青は御国に手を振った。
御国の姿が見えなくなる。
「俺、異形だもん……」
嗚咽の合間に青が鳴く。
「人間には、見えないもん……」
しろすぎる肌に青い髪、そして、此岸ではありえない瞳模様。青は、人間の世界で生きられないことをわかっているのだ。御国は一緒にいすぎてそれに気がつけなかった。それが本当の意味で異形と人間を区別しない彼の最後の罪だと感じた。
息を整え、青が久納を見上げる。
「ねえ、俺、『こっち』の方が普通に生きられるよね? 幸せだよね?」
縋ってくる蛙に対し、久納は優しかった。
「御国もクチナワも異形じゃない。あいつらには蛇が憑いているだけだ。人間は、人間としかわかりあえないよ」
「うん……」
自分にそれを思い込ませるように青が頷く。
「御国が舜だったんでしょ」
いつの間にか、おれの隣には柊が立っていた。彼は出会った時とは違う、大人びた綺麗な微笑みでおれの顔を覗き込んだ。
「凌平も御国もお互いのこと思い出したってきいたよ。……お別れ、しなくてよかったの?」
柊の問いかけに、おれは頷いて肯定を示す。
お互い思い出したことを直接告げることはしなかった。御国――舜はどうかわからないが、おれはなんて話しかけていいかわからなかったから。
ありがとう、ごめんね。過去のおれが舜に対して言うべきことはたくさんあった。でも過去の『凌平』が一番伝えたかったのはありがとうでもごめんねでもない。
お前と生きていく。これを伝えたかったのだ。これだけを伝えたかった。
「もう、言えることがないんだよ」
おれは柊に笑いかけた。おれが舜に言えることは何もない。だから、もしもこの先また舜と再会することがあったら、おれは『御国』と友達になれるように頑張ろうと思う。
絶対におれたちはうまくいくから。
「さて、そろそろか」
久納が呟いた。
「あ……」
ほどなくして、おれたちの立っている地面、たくさんの箱、天井から次々と色が失われていく。昨日、久納の部屋が消える時のように。
「もう少し名残惜しもうと、最後の異形をとっておいたのに、あいつは人の許可も得ず出してしまうのだから困ったものだ」
ここは、一応俺のものなのに、と久納が全然悔しくなさそうに笑う。
「さあ、行くぞ」
久納が歩き出す。景色がどんどん薄く、白くなっていく。
「なあ久納、今度団長と白蛇様を探そうぜ。俺、挨拶出来てねえし」
「そうだな」
もうちょっと早く出してくれれば良かったのによお、と稲様が恨みがましく不満を口にする。
「お前、この後どこに出るのかわかってんの?」
「さあ? 着いてみないとわからないよ。もう小屋に話しかけることはできないからね」
久納に呼応するかのように、薄れゆく景色の向こう側に光が現れた。そこをくぐったら何があるのだろうか。
おれたちを待ち受ける世界なんて今の時点ではわかりようもないが、どこに行き着くにせよおれたちはカラクリのない見世物小屋で、人間たちを夢の世界へと落とし続けることになるだろう。