節分
「鬼は外」
元団長に頼んで用意してもらった豆を少し離れた所で本を読んでいる久納にぶつけると、珍しく心底不機嫌な顔をして久納が俺を睨んだ。久納にぶつかった豆がガラクタばかりの床に転がる。
今日ももちろん久納の部屋はガラクタという名の宝で溢れている。最近は世界各国の小さな人形を収集しているらしく、そこここに可愛いものや不気味な人形が横たわっていた。
そんな中、久納は壁に背中を預け、おれの読めない言語で書かれた人形雑誌を黙々と読んでいた。しかし、おれの節分攻撃は功を奏したようで、今まで雑誌に夢中だった久納は「豆なんか効かないよ」と肩に乗った豆を払いのけた。
「知ってるって」また久納めがけて豆を放るが、よほど嫌なのか彼は雑誌を持っていない方の手を伸ばして豆を掴んだ。それから愛でられていた雑誌が人形だらけの床に投げられる。ざまあみろ、と心のなかで無機物に悪態をつく。
それにしても、やはり久納にはどこか人間離れしたところがある。人間離れ、というか浮世離れと言ったほうがいいかもしれないが、それでは話が変わってしまう。
久納はどこからどう見ても普通の人間だが、彼は鬼なのだという。にわかには信じられないが、たまに見せる人間ではありえないほどの力が彼は異形なのだと俺につきつける。
今だって俺は豆を何粒もばらばらに放ったのに、彼は自分に到達する前になめらかな動作で全てを掴みとった。
「豆嫌いなの?」
「嫌いな訳じゃない。鬼は外とかいう呪文が嫌なんだ」
「ふーん」
隙あり、と会話の途中で再び豆を放る。一粒攻撃だ。煎られた大豆は弧を描き久納の向こう側へと落ちてしまった。
「あーあ」
「……」
久納の意識をおれに向けることに成功したし、久納で遊ぶのにも飽き、なんとなく彼の方まで膝で移動していく。ガラクタを膝で押しのけながらだから、小さい何かが膝に食い込む。立って行ったほうが時間的にも身体的にも効率が良いが、立ち上がるのは面倒くさかった。久納は痛がりながら膝で歩く俺に呆れた目をくれている。
「ばかじゃないのか、君は」
「さあね、忘れたよ」
もう少しで久納に到着だ。彼は今日もド派手な花がらの着物を着崩している。
綺羅びやかなピンクゴールドの生地にいくつもの花が我よ我よと競うように咲き誇っている。こんな着物を着こなせる人そうそういない。
久納はすごく特別な美しさを持っている。この世のものとは思えないとよく言うが、人間もイギョウも異形も彼に心奪われる。おれはもう慣れたが、今でもふとした瞬間に綺麗だなと見とれることがあった。
おれが近づいた所で久納はひとつだけ立てていた膝を下ろし、あぐらをかいた。おれの意図がわかったのだろう。
それに気を良くし、腰に抱きつくようにして腕を回して久納の膝に頭を乗せる。体を小さく丸めると、ひどく安心した。
「凌平……」
頭に感触。久納が彼の細く長い指で俺の髪の毛を梳いているのだろう。一定のリズムで行われるその行為にだんだんと眠気がさしてゆく。
「寝るな」と優しく囁かれ、閉じたばかりの瞼を開ける。
久納の膝の上でごろんと転がり体勢を変えて彼の顔を見上げる。彼は鬼とは思えないほどあたたかく柔らかくおれを見ていた。
目に見えないものは信じないことにしているが、久納の体中からおれを安心させる物質のようなものが出て、それが透明な煙か何かになっておれを包んでいる気がしてならなかった。
「あんたほんとに鬼なのかよ」
思わず尋ねると、「信じられないかい?」と久納が微笑んだ。
信じられないが、もしかしたらおれの鬼の定義のほうが間違っているのかもしれない。そうだ。久納の身体は赤くもないし青くもない。それに虎柄の悪趣味なパンツだってはいていないし、アフロヘアでもない。とげのたくさんついた金棒を持っているところをみたこともなければ人間を食べているところだって見たことがない。おれの持っている鬼のイメージに久納はひとつも当てはまらない。
何より久納は優しい。
優しい鬼なんてお伽話になって語り継がれるほど珍しいものなのに。
「鬼は外って呪文なの? 効くの?」
効かないとは思っていても、効いてしまった時のことを考えた。久納がいない生活なんてきっと耐えられない。やっと見つけた居場所なのだ。一度心の水が満ちてしまえば、もう枯れた時のことなど考えたくもない。
久納の頭にさっきおれが投げた豆が一粒付いているのを見つけ、手を伸ばしてそれを取った。
「効かないと思う?」と久納が意味深に笑い、豆を取ったおれの手を掴んでそれを自身の口元に運ぶ。欲を掻き立てる赤い舌がちらりと覗いた。
「無味」
久納の喉が上下する。
「効かないでしょ、だって――」
言い終わる前に、久納がぐっと顔を近づけてきた。至近距離に迫った久納の目がわずかな寂しさを滲ませて細められる。曖昧な表情に感情を読み取ろうとじっと見つめるが、彼の感情を見透かすことなんておれにはできなかった。
読み取るどころか、彼の瞳に思考も心も全部吸い取られてしまいそうだ。
「凌平」
聞き分けの無い子どもを諭すように、久納は余裕のある笑みを浮かべる。この久納は俺が知ってる団長じゃない。いつものちょっと変態でだいぶ変人な久納じゃない。
「出てけって君に言われるのは耐えられない」
そんなおれの戸惑いに気づいているのかいないのか、もし気づいていないのだったらこいつはたちが悪い。何べん死んで生き返ってもかなわないと感じた。それほど甘いささやきだったのだ。
「いつか、その呪文が俺にとどめを刺すだろうね」
大人な雰囲気を消し、からからと笑う久納に軟派さを感じたが、彼の目だけは真摯だった。まっすぐにひたむきにおれと通じ合おうとしてくる。
目には見えないが、おれがずっと欲しかったものをもらえている自覚が芽生え否応なしに顔が赤くなるが、必死に背けたっておれは彼の膝の上。逃げることは出来ない。
「お?」
久納が不意に顔を上げた。
「お囃子が聞こえるね」
そう言われ耳をすませると、確かに愉しげなお囃子が聞こえていた。
久納が目を閉じてその音楽に聴き入る。
聞こえても聞こえなくても良いと思った。意味がわからないと言われてもちゃんと伝わっても良いと思った。おれは「冗談だよ」と本当に小さくつぶやいた。
ずっと一緒にいて欲しいと心のなかで念じながら。
「わかってる」
そう言って、久納がおれの口に何かを入れた。
それはとても甘いものだった。