あひじょる話
ひとことで言うと、吉原くんは優秀だった。俺は頭の回転が早くないからわからないけど、多分そういうのもすごいし、学力的にも頭が良さそうだ。
城宮はおれよりはできる。打ち込みが速いから会議の記録をまかせてみたけれど、彼は何かを演奏するように綺麗に指を動かしていた。
17時。今日のノルマが終わった。
「ありがとう。なんか……すごかった。良かった」
感動のあまり笑顔で二人の手をとってお礼を言うが、語彙が貧困過ぎてうまく伝えられない。
コミュ障がにじみ出てしまい呆れられたのか、ふたりは俺から目をそらしてしまった。それでも俺にはいうことがある。
「っ、ひまな時また来てくれたらうれしい」
噛みそうになったが、それでも噛まずにいうことができて少し安心した。
ふたりは目を合わせてくれなかったが、明日も来ます、と俺を喜ばせることを言って生徒会室を後にした。
時計を見る。短針が5を指している! やばい! はやい! まだ外も暗くない! 早く終わってすることといえば、もちろんごろごろと暇をもてあますことだ。
最高の気分で生徒会室の片付けをし、施錠して寮に向かう。
あとから能登に連絡をしよう。そのためにあとで感謝文を検索しよう。
『日頃は格別のおひきだてをいただき、心より御礼申し上げます』
よし。ベッドに寝っ転がり、感謝の文章を能登に送る。おひきだてとかよくわからないが、とにかくすごく感謝している意味だろう。
気づけば夜の7時になっていた。部屋着代わりの中学のジャージを着て、伸びてきた髪を適当に結びごろごろする。こんな幸せがあるだろうか、いや、ない。
夕飯は食べていないが、冷蔵庫には何もないし寮の食堂に行くという選択肢はない。だって歩かなければならないから。それならば腹が減ったらお湯を沸かしてそれを飲み空腹をやり過ごせばいい。
気分が良かった。本当に嫌だったから。めんどうくさがりにとって『義務』と呼ばれるもの自体が苦痛だけど、さらに仲間がいないことが俺を追い詰めていた。一人でも残っていたらまた違う心境だったと思うが、ひとりだと逆にやる気が出ない。
仲間ができた。上手にコミュニケーションは取れていないけれど、冷たい目で見られなかった。
「ふふ……」
気持ち悪く笑ってしまう。
ごろんと寝返りを打つと、電話が光っていることに気がついた。
見ると、能登からメッセージが届いている。
『今から行くね』
という短い文章。直後、チャイムが鳴った。動くことに対し面倒臭さを覚えながら体を起こす。能登に会うのは面倒ではないが、鍵もかかっているし、俺が行かなければ彼は入ってこれない。
緩慢にベッドから降りて能登の待つ玄関に向かう。
「や」
ドアを開けると部屋着姿の能登がいた。パーカーにゆるめのズボンを履いている。
「入る?」
尋ねると能登は首を横に振り、食堂に行く、と一言言った。
「え。嫌だよ」
「なんで?」
俺が断るのを予想していたのか、能登の表情は変わらない。彼はいつもの温和なえろい笑みを浮かべている。
めんどくさいし、と俺と能登の声が重なる。
してやったり顔で能登が笑い声を上げた。
能登が我が物顔で俺の部屋に入り、それについていく。諦めたか、はじめから俺が食堂に行くことなんかに期待していなかったか。けれど能登は俺のベッドから電話を取り、ついでに俺の手もとって玄関へと向かう。
「能登君。俺行きたくない。疲れたし」
「なんか食べたの? もし食ってても俺がまだだから、俺が食べるの見てて」
めんどうくさい。
「行くのが面倒」
「でも連れてくし。ここで頑張って反抗するほうがめんどうくさいと思うよ」
能登の押しの強さは知っているつもりだ。能登の言葉に俺は早々に抵抗するのを諦め、ちょうどエレベーターに乗り込んだ時に髪の毛を結んでいたゴムを外した。それを見た能登が満足気に笑う。
「良かった。結んだ福井くんかわいすぎて心配だったから、自分で取らないなら俺が取ろうって思ってたところ」
「かわいすぎって……さすがに言われたことない」
「全体的に今日の福井くんは絶妙なダサさで俺うっかり押し倒しそう」
「意味わかんねえけど、部屋戻ってやっても良いよ」
食堂に行くよりも部屋に行って気持ちよくなったほうがずっと良い。俺は能登とするのが好きだから。
「まじで? デザートじゃん。知ってる? デザートって食後に出されるお菓子のことなんだよ。食前じゃないんだよ」
「……何いってんの」
「今は食前だから、やっぱ言葉の意味通り食後にいただきたいわー、俺ー」
「俺ひとこともデザートって言ってない」
くだらない言い合いのうちに、エレベーターは食堂がある二階へと到着してしまっていた。中学ジャージにおしゃれじゃない眼鏡にほどきたてのボサボサの髪。北上や浜名が見たらその瞬間雷が落ちるだろう。でも、いないから良いのか。
能登と俺の登場に未だ生徒たちで賑わっていた食堂が余計に騒がしくなった。すごくたくさんの生徒たちが俺のダサい姿を目にしている。しかし、俺が食堂を利用することが本当に珍しいからか生徒たちからダサいとか俺を罵るような言葉は聞こえてこなかった。
席についている生徒も立ったまま喋っている生徒もウエイターもみんなに見られている気がする。しかも、好奇に満ち溢れた目で。
普段人の多いところは避けていて、こういう目を向けられるのはほぼ全校集会の時だけだ。あと体育祭とか文化祭とか、目立たなくてはいけない行事の時にしかたくさんの目に晒されない。なんだかいたたまれない気持ちになる。いづらい。
「福井くんどこ座るー?」
しかし能登は慣れているのか、人の目を全く気にしていないようだった。
どこでも良い、と言ってから、できれば死角がいい……と注文する。おっけーと返事をする能登はどこまでも軽かった。
奥の方の柱の陰に能登が座る。二人がけの小さな席だ。
「見られるけど、こっちからはあんまり他の席とか見えねえからいいとこだと思うよ」
そう言って、能登は笑っている。確かに俺の席からは能登と、彼の後ろの壁しか見えない。
「福井くん、何食べる?」
言いながら能登がテーブル脇に設置されたタッチパネルを操作する。和風、中華、各洋食など、バラエティに富んだメニューが次々に表示される。
昼はメニューの数が少ないけれど、夜はやたら豪華だ。
「ていうか、福井くん食堂来ることあんの?」
「年に何回か……元会長の下にいた時は、たまに連れてこられたりしてた……けど、あの人 専用のスペース作ってるから……。いまも使ってるみたいだけど」
「そこには行かねえの?」
「自分から? まさか」
「仲よかったんじゃねえの?」
「別に……。遊ばれてただけ」
「ふーん」
能登が長崎ちゃんぽん柚子胡椒付き、というなんだか意外なものを注文する。
俺は能登から渡されたタッチパネルを不慣れな手つきで操作する。
好きなものはお手軽なもの。あと、柔らかいもの。かたいのは途中で疲れるから。だけど、自分ではめんどうくさくて作らないものを食べたいという欲求が沸き起こる。
ここまで来たんだ。どうせなら食べたいものを食べよう。
「ちょっと待って……悩むから」
「ゆっくりで良いよ」
能登が頬杖をついて俺を観察し始める。ちょっとどうなの……と思ったが、口には出さずにメニューを眺める。スペインとか行ってみたい気もするけれど、アヒージョとか書かれてもよくわからない。なんなのアヒージョって。なんか聞いたことがある気がするけど、アヒージョだっけ。アダージョ? なんかよくわからないけどとても気になる。アヒージョって何。
考えているうちに俺の指はアヒージョをタップしていた。
「福井くん意外ー。なんか俺勝手にクリームパスタ系注文すると思ってた」
「それもす、好きだけど……」
「スペイン料理のイメージねえもん。福井くんまったく燃えてる感ないし」
「頼んだことないよ。なんとなく頼んだだけ……」
「そうなの?」
「うん」
能登は笑っている。つまらない俺といてなんでこんなに笑えるか不思議だ。
普段からずっと笑っているのかと思うが、クラスでも能登といるようになったから能登を客観的に見られない。笑ってるイメージはあるが、その前はあまり意識していなかった。人を意識すると自分もされそうで、俺は誰のことも見ないようにしていた。
能登のくだらない話を聞きながら料理が運ばれるのを待つ。お金持ちの学校だからか、料理はどれも本格的で出てくるのに時間が掛かる場合もある。料理のプロたちは団結し、各テーブルごとに注文された品を同時に出せるように完璧な時間調整を行い調理している。
能登と待つ時間は決して短くなかったが、全然つまらなくなかった。なんとなく、能登が喋らずに黙っていてもつまらなくなかっただろうな、と思う。
「おまたせいたしました」
格好いいウエイターが料理を運んでくる。お辞儀の角度がえぐい。
どうもーと能登がゆるく笑い、目の前に置かれたちゃんぽんを眺める。わあ長崎っぽいー、と意味不明なことを口にしながら、いただきます、と言って食べ始めた。湯気に乗ってほのかに柚子のかおりが漂ってくる。いい匂いだ。
そしてアヒージョはやはり見たことがなかった。なんかギトギトした見た目。エビとかトマトとかきのこが入っている。他のお皿にはバゲットが乗っていた。
パンをちぎり、スープのような液体に付ける。口に入れる。おいしい!アヒージョが何か見てもわからなかったが、おいしい料理として俺の頭にインプットされた。
「あは。福井くんなんか輝いてるー」
「おいしい! これ! 能登くんも食べてみる?」
「うん」
ちょうだい、と口を開けた能登にエビを差し出す。能登が俺の差し出したフォークに食いつく。彼はお上品に口を動かした。よく噛んでから飲み込み、ふわりと笑う。
「うまいわー。ちゃんぽんもだけど、ここおいしいよね。福井くんもちゃんぽらねえ? あげるよ」
「俺、今日はいい! この出会いを大事にする」
「浮気しねえの?」
「今日は! 初めての出会いだから」
「初デートで浮気は屑だよなあ」
「浮気はどんな時もくずだよ」
「そっか」
こんな会話を繰り広げながら、俺は食事を楽しんだ。
翌日の校内新聞に感動の出会いを果たした俺の写真が掲載されるなんて知らず、俺はアヒージョに浸ったのだった。