鈍行
「大丈夫だって」
「わわわわわわかってますよ」
そうは言いつつもどうにもこうにも足が出ない。
3年ぶりの下界なのだ。足がすくんで動けない。
ミキちゃんは冬混みだとかいう祭りを戦だと言っていた。武装したやつらが剣とかもって闊歩したりする中一般人は欲望を手に入れるために東と西で戦うらしい。毎年関ヶ原の戦が現代に蘇っているのだ。恐ろしい。
そのくせ町にはメイドや執事も増えたといっていた。
もう日本は俺の知っている日本ではない。
俺の知っている祭りには武装したやつはいないし、町にだって俺の記憶している限りじゃミキちゃんの形容するツインテールでアニメ声のメイドも鬼畜な執事もいない。
俺の足は今薄茶けた乾いた土を踏みしめている。一歩先にある会長の足は灰色のコンクリートの上だ。
そして、目線を上げるとのどかな田園風景が広がっていて、バス停がさびしそうにつくねんと立っている。他のやつらは金にものを言わせて自家用車なるものでさっそうと帰っていった。
俺は昨日母さんに帰るとは伝えたものの、会長と行くことは秘密にしなければならなかったから自力で帰るほかないのだ。
下界は怖い。
なんかおそろしい犯罪とかすごい増えてるらしい。ご近所付き合いとかが減ってるって話も聞いたし、なんか怖い。
「大丈夫だって。俺しょっちゅう帰ってるけど殺されたことねえし」
「わ、わかってますよ」
会長の言葉に重くもないリュックを背負い直すと、中で何かがこつんと音を立てた。
よし、行こう。
大丈夫、怖くない。振りむけば木々の奥に俺たちの通う学校がそびえ立っている。
金持ち学校だから、こうしてみるとどこか外国の古城みたいで現実感がない。顔を前に向けた時にあるこの田園風景こそ現実なのだ。
いま一度気合を入れる。
そうして俺は意を決して足を――
「踏み出せない……!」
「意味わかんねえし……」
今まで二の足を踏む俺に付き合ってくれていた会長がついに呆れた声を出す。
しかも、5時間に一本のバスが遠くに見えた。
どんどんエンジン音が大きくなり、俺の目の前に広がっていた田園風景がバスでいっぱいになる。
中には2、3人の乗客が乗っているようだ。しかも、生身の女もいる。うわ、怖い。
「……はあ」
会長はため息をこぼして俺の手を掴みずんずんとバスに向かって歩き出した。
「あ!」
足が、二歩三歩と歩みを刻む。
俺の靴が下界のコンクリを歩いてる。
「ほら、なんともねえだろ」
「し、知ってますけど」
バスのステップに上がり、会長に倣って俺も乗車券を機械から抜き取る。
会長は人のいない後ろから2番目の席の側に立った。
「た、立つんですか」
「久しぶりに乗って酔われたらやだし。窓側座れよ」
「……どうも」
会長がまるで母親のようでなんだか照れくさく、そそくさと彼の脇を通り過ぎようとしたところでまた腕を掴まれた。
「なに――」
「リュック上に乗っけるから」
会長はそういうと俺のリュックを取り荷棚に上げて、次いで自分の鞄もその隣に置いた。
「……どうも」
「うん。ほら、座って」
「……どうも」
会長に促されて席に座る。座席は堅かった。
「木戸」
「な、なんですか」
「バスでは静かにしろよ」
「し、知ってますよそのくらい」
「木戸」
「なんですか」
「酔ったら言えよ」
「い、言いますよ。多分」
「多分?」
「言いますって」
会長にギロリと睨まれる。格好良いやつはすごんでも格好良い。
きっと俺は得な性格をしている。普通のやつなら好きな人に睨まれたらショックを受けるかもしれないが、俺は違う。
顔だけじゃ無いが、俺は会長の顔も好きだから色んな表情が見れて嬉しい。
できることなら喜怒哀楽色々な表情の写真を撮りスクラップにしたい。
そんなことを考えているうちにバスは一度大きく揺れて走り出した。
窓から外を見ると、木々の先に小さく学校が見える。
結構なエンジン音ともにバスがコンクリートの上を走る。
学校が視界から消えていく。
それに、なんともいえない寂しさと心細さを感じた。
何しろ3年ぶりなのだ。何をするにも3年ぶり。もちろんバスだってこれから乗り継ぐ電車だってそうだ。
会長がいるから大丈夫だとは思うが、不安しかない。
膝の上で拳を握りしめる俺を見て会長は何を思ったのか、綺麗な長い指で俺の握りこぶしを撫でた。
あまりにも柔らかな手つきに背中がぞくりとした。
「な、なんですか」
「挙動不振のまま家帰ったら怪しまれる可能性が増えるからさ、どっかで下界慣れしていこうな」
会長が俺の手を握ったまま微笑んだ。
心臓がすこしだけ高鳴る。
実を言うと、俺はすこしだけ期待していたのだ。
何を期待していたかというと、俺が女に転がること。3年も男しか見ていないから、思春期まっただ中の今、改めて女を見たらやっぱり女の方がいいと思うかもしれないと思ったのだ。そうしたら会長のことはすっぱりきっぱり諦められて、ほど良い距離のステキな先輩後輩関係が築けるんじゃないかって思った。
けど、そんな願いは儚くも打ち砕かれた。
バスには顔だけなら結構俺好みの清純そうな女の人がいる。けど、なんとも思わなかった。
会長の方がずっとずっと魅力的だ。
やっぱり俺はホモだった。下界に下りてもホモだった。
もうバイかどうかすら怪しい。
会長は俺の右手を左手で包み込み、親指をすりすりと動かしている。
その規則正しいリズムに安心する。
「なんか、もうどこにでも行けそうです」
「……この十数秒の間で何を思ったんだよ」
「この十数秒の間でなんか俺大丈夫かもって思ったんですよ」
「なんでまた」
会長に撫でられている手から顔をそむけて窓に視線を移す。すると、そっぽ向いてる俺とそれを見つめている会長がガラスに映っていた。
「だって」
言おうか言うまいか悩みどころだが、昨日会長を褒めたせいで俺の中の何かが決壊したのだろう。
「先輩いるなら大丈夫かなって」
前なら絶対に意地でも言わなかったことを言えるようになったのだから。恥ずかしくはあるけれど。
ガラスの中の会長は昨日のように驚いた顔をした後、まるで照れるように耳を赤くした。
(照れてんのか)
ふと、昨日の会長も照れていたのかもしれないな、と思った。この人があんなにわかりやすく動揺し照れるはずはないと思ったが、二度目の赤面だ。
しかも今日は別にどこも具合の悪いところはなさそうだし。
一瞬、からかったらおもしろいかな、と思ったがガラスの中の俺も赤い顔をしていることに気付く。これじゃからかえない。
「木戸」
「なんですか」
「俺、がんばる」
「何を」
「息子さんを下さいって」
「そんなこと言うの!?」
会長は頬を桃色に染め、真剣なまなざしで決意を口にした。
――何かが間違っている。