早寝記録

木戸家家訓(後)

 ――幸せになれ。

 満足げに言った俺の言葉は、戸田さんによって一蹴された。

「ダメです。まだ私たちは進藤君のことを何一つ知らないじゃないですか。木戸さん、放心していないで何か言って下さい」
「ごめんね恭弥、お父さん昨日恭弥が帰って来るって聞いてとってもうきうきしちゃってね、寝てないのよ」

 いや、それだけじゃないだろう。
 どこか天然な母さんに呆れつつ恭弥を見る。恭弥はすこし困った様子で父さんを見ていた。
 父さんはいつものように真剣な表情をしているが、それはただのポーズだということをここにいるみんな――多分進藤以外は知っている。
 寝ていない父さんは彼氏を連れて来た恭弥にとてつもない衝撃を受けて固まっているだけだ。
 その証拠に、何か言おうと開きかけた口がただのひと言も音を発すること無く情けなく閉まった。

「父さん……」

 恭弥も心配そうに父さんの顔をのぞき見る。
 口を出さない進藤は空気を読める男なのだろう。きっと、そこら辺の男ならば場を取り繕おうと何かをしゃべり墓穴を掘る。

「ねえ、気になること聞いていい?」

 そのとき、木戸家一空気が読めない男が始動した。
 次男の悠士だ。悠士は真っ金金に染めた髪の毛を指でこねくり回している。木戸家一チャラそうな容姿だが、木戸家一頭が良い。本人はふざけているからどこまで頭が良いかなんてわからないが、宣言した以外の点数をテストで取ったことが無かった。
 今は偏差値が高い大学に特待生として入って毎日大好きな研究をしているらしい。きもい。

「君さあ、恭弥のどこが好きなの?」

 そう言って悠士が進藤に抜けたらしい髪の毛を突きつけた。

「どこが……」
「うん。なんかあるよね、理由ってやつ」
「ないです」

 進藤が笑う。俺たちは固まる。恭弥も固まる。戸田さんが殺気を放つ。

「優しいところって答えようと思いましたが、きっと優しくなくなっても好きなので」

 そして、進藤が溶けるのではないかと言うくらいふにゃふにゃな笑みを浮かべ、恥ずかしそうに目をそらした。

「ふーん。恭弥は?」
「へ!? 俺!?」
「うん。あ、恭弥大きくなったね。兄ちゃん嬉しい」
「あ、どうも」
「あと、なんかごめんね。昔いろいろ傷つけちゃって。仲良くしてね」
「う、うん」

 さりげなく悠士が謝る。

「俺も、仲良くする。謝っても良いよ」
「別に……謝んなくても良いよ」
「そ」

 長男のアサキもそれに便乗する。

「で、恭弥進藤君のどこが好きなの?」

 俺も、といおうとしたところで悠士が問い直した。絶好のチャンスを失ってしまった俺は馬鹿みたいにあけた口をそのまま閉じる。

「俺は……。あの……」

 言い淀む恭弥は、まるで林檎が熟していくように見る見るうちに赤く染まっていく。

「かてい……」

 そうして、ぽつりとつぶやいた。
 カテイ? かてい。家庭。

「金目当て!?」

 恐ろしい答えにたどり着いて思わず身を乗り出すと、恭弥が昔みたいな心底あきれた目つきで「違うよ」と言った。蔑まれたのだが込みあがってくるのは懐かしさだけだ。もっと蔑んでほしい。

「過程。英語でいうと……ぷろせす」

 そう言って恭弥がまた頬を染めて俯いた。

「たくさん助けてくれたし、話聞いてくれるし、やさしい。俺、寮戻る」

 恭弥が羞恥に耐え切れなくなったのか立ち上がろうとするが、ずっと正座していてしびれたのだろう。一歩も進まないうちにその体がぐらりと揺れる。

「うわっ」

 倒れるかと思ったが、とっさに手を伸ばした進藤によって支えられた。
 それを見た長男はつまらなそうな顔をし、次男はにやりと笑い、父さんは泣きそうな顔をし、母さんは輝いた。
 でも、戸田さんが一番悔しそうな表情をしていた。

「進藤君は……」

 なんだか泣きそうな父さんがここに来て初めて口を開く。

「はい」

 進藤が好青年よろしく返事を返し、支えられたままの恭弥は緊張した面持ちで父さんを振り返った。
 そういえば、そもそもの原因を作ったのは父さんなのだ。
 恭弥を女の子にしたがった一番は父さんだ。兄ちゃん二人も妹がほしかったみたいで率先して恭弥に女装させていたが、着せ替えられる恭弥を見て一番だらしない顔をしていたのは父さんだ。
 俺は着せ替えにあまり参加しなかったけど、自分じゃなくて良かったと胸をなでおろしていたのは事実だ。
 女の子にしたかった恭弥が彼氏を連れて帰ってきた父さんの胸中はいったいどのようなものなのだろうか。

「いや、進藤君!」
「はい」

 しっかりと言い直した父さんに進藤が返事をする。
 固くもないし、抜けてもいない絶妙の表情だ。こいつ、俺と同い年のくせにこういう経験初めてじゃないのではないだろうか。完璧すぎる。俺なら絶対こんな風に落ち着いてはいられない。

「恭弥を、まかせて、いいですか」
「だめです」

 意を決して一言一言確かめるように仲を認める――いや、嫁に出す旨を伝えた父さんだったが、またも戸田さんに却下された。

「まだ二人は若い。木戸さん、この子が開口一番何て言ったか覚えてますか? 息子さんをくださいと言ったのですよ。それなのにこんなに簡単に認めてどうするんです。若気の至りという言葉があり、若者たちはそれを体現します。あなたの若いころを思い出してください。ちゃんと進藤君の本質を見てから肯定を口にしなさい」

 戸田さんの言葉に、父さんはでも、とか、だって、とかまるで小さい子供みたいに口をとがらせた。自分の父親ながら情けないが、父さんと戸田さんは昔からこうだからもう仕方がないのかもしれない。
 しかし、戸田さんの方が10歳くらい年下なのに、最後は敬語が消えていた。きっとそれだけ腹が立っているのだろう。

「木戸家一同、恭弥を嫁に出すことを認めたのですか」

 戸田さんが言い放つ。殺気も放つ。
 木戸家が固まる。
 しかし、母さんはすぐに硬直から解けて、戸田さんに向き直った。

「私は良いと思いますよ。幸せになるのも失敗するのも恭弥の責任です。私たちに口をはさむ権利なんてないでしょう? それに、進藤君格好良いし」
「……最後のが本音じゃないですか」
「テンションうなぎのぼりよ」
「私は右肩下がりですよ」

 戸田さんがあきれたようにため息をつく。30代のため息は格好良いなとひそかに思った。
 それから戸田さんは私の悪あがきです、と言って進藤を連れてどこかへと消えた。
 きっと、戸田流認定試験でも施しに行くのだろう。ああ恐ろしい。
 どっと疲れを感じ視線を下げると、畳の上に置いた携帯電話が青く断続的な光を放っている。
 奇跡的にまだ充電が切れていなかったようだ。
 誰から来たのか確認すると、会長の泉水からで、『しごとおわらぬてつだえ』と変換も改行もない用件だけのメールが届いていた。
 返信せずにまた畳に電話を置き、家族を見る。
 父さんと恭弥が和解していた。
 久しぶりにそろった家族に、――弟の恋人というイレギュラーはあったが――心が満たされる。

 久しぶりに幸せだな、と感じた。

「恭弥、俺は恭弥に女の子になってほしかったんじゃない」
「え? そ、そうなの?」
「そうだ、俺は恭弥の女装を見るのが好きだったんだ」
「……もっとだめじゃん」

 久しぶりに幸せだな、と感じた。