早寝記録

覆面ライダー

 戸田さんにどこかへ連れられて行った会長が帰ってきたのは深夜0時を過ぎた頃だった。
 その会長は意識がないらしく、会長を背に乗せた戸田さんはすこし困った顔をして俺の部屋の前に立っている。

「恭弥、入るよ」
「うん」

 戸田さんは俺の返事を聞いてから部屋の中に入り、俺のベッドの上に会長を置いた。それが意外と丁寧だったのに少し驚く。

「戸田さん」
「何?」
「久しぶり」

 俺は会長の様子を確かめてからドアの方へ向かった戸田さんを追う。俺に呼び止められた戸田さんは俺が帰って来てから初めての笑みを見せてくれた。
 男前で、大人で、格好良い。戸田さんは一言でいうなれば田中ちゃんにワイルドさを足した感じだ。清潔感とワイルドさを兼ね備えている戸田さんは完ぺきな男だ。
 戸田さんと比べたら会長はガキんちょだ。

「恭弥、その子借りちゃって悪かったね」
「いや……。どこ行ってたの? 先輩落ちてるけど」
「進藤君に聞けばいいよ。きっとその方が良い」
「……そう」
「それと、彼は背泳ぎが得意で高所恐怖症らしいですよ」
「? そうなんだ」

 時折混ざる戸田さんの敬語にときめく。会長も普段の言葉遣いに敬語を混ぜたらもっともっとファンがふえるだろう。それほど敬語とそうでないのとの足し算は素晴らしいのだ。
 しかし今はそんなことを考えている場合ではない。
 ちらりと会長を見る。会長はすやすやと寝息を立てている。いったい何があったかわからないが、戸田さんのとんでもなく切なそうな顔にちくりと胸が痛む。

 俺は戸田さんに弱い。そりゃそうだ、だって俺は戸田さんにこれでもかというほど可愛がられて育ってきたという自信がある。
 誰にもほしいと言えなかった覆面ライダーの人形だって何にも言わなくても戸田さんは気づいて買ってくれたし、俺がさみしいときはいつもどこからともなく現れては話を聞いたり遊びに連れて行ってくれた。
 実家に帰りたくはなかったが、戸田さんの顔は見たかった。メールや電話はしていたが、たまには甘えたかった。中一から寮にいて、意地で帰らなかったけど、やはりさみしいときはあったのだ。

 これは自意識過剰でもなんでもなく、戸田さんは俺を大事にしてくれている。戸田さんはまだ結婚していないし子どももいないが、すごく勝手なことだとは分かっているけど、戸田さんに奥さんとか子どもができたらいやだな、と思う。
 きっと、戸田さんも同じ気持ちだ。

 ふと、戸田さんにこれは父さんとか兄ちゃんを驚かせるための作戦だよ、ということを言ってしまおうかと思った。
 口を開きかけて、止める。
 会長は心臓が蒸発しそうなほど恥ずかしいことを恥ずかしげもなくやってくれたし、戸田さんのきつい何かを受けてくたくたになって帰ってきた。
 俺が会長に何の相談もなく言ってしまうのは会長に対する裏切り行為でしかない。
 ついでに言うと、俺は本当に会長のことが好きだから今日のことが嘘だとしても気持ちは本物だ。
 この先付き合うことはないんだけど。

 どうしたらよいのかわからずにぐだぐだと悩んでいると、それをどうとらえたのか戸田さんがぽんと俺の頭に手を乗せた。

 会長よりすこし背の高い戸田さんを見上げる。

「恭弥」
「何?」
「ぎゅっとしてもいいですか」
「いいですよ」

 首を縦に振った俺を戸田さんが抱きしめる。

「うっ」

 骨がきしむほど力を入れられて呻くが、戸田さんは力をゆるめない。暫く死を感じていたが、意識が遠のきそうになったところでふっと力が緩んだ。全身の血が体中を駆け巡る。なんだか気持ちいい。

「恭弥」
「何?」

 戸田さんの肩口に顔を埋めているため、くぐもった声しか出ないが、戸田さんはちゃんと理解してくれる。

「進藤君がいやになったり変なことされたり浮気されたりけんかしたりしたらすぐに電話しなさい。いつでも何時でもすぐに飛んでいくから」
「うん」

 戸田さんはもう一度力を込めると、名残惜しそうに体を離した。笑みを浮かべてはいるがさみしそうなその顔になぜか鼻の奥がつんとする。
 竜宮ラブ★四季の窓を読んでから涙腺が壊れたのだろうか。なんだか泣きそうだ。

「それじゃあ、おやすみ」
「うん」

 戸田さんが俺に背を向けてドアの向こうへと消えて行った。
 会長と離れなければいけなくなったとき、すなわち竜宮ラブ最終巻が出た時は、すぐに戸田さんのところに行こう。そして慰めてもらおう。
 戸田さんに対してはどこまでもわがままな自分に嫌気がさすが、戸田さんは絶対に受け入れてくれる。

 妙な気分で会長の眠るベッドに近づくと、いつの間に起きたのか会長に腕を引かれた。

「わ」

 変な体勢で腹をベッドサイドに強かに打ち付ける。その際に背が反ってぼきっと腰が鳴る。

「いてえ……」
「俺の前でほかの人とラブるとか、さいってーじゃね?」
「お、おれと先輩付き合ってないじゃないですか」
「え。ほんとにラブってたの?」
「ラブってないですけど」

 横になったままの体勢で会長がベッドの上に乗せていた俺の手を取った。
 この雰囲気とこの距離は友達の距離じゃない。
 今はふたりなんだから恋人のふりをしなくたっていいのに。そう思ったら途端に体が熱を帯びる。
 手から会長の何かが流れ込んできて、俺の体から頭まですべてを支配する。その支配から逃れようとさっき痛めた腰をさするがどっちも収まらない。

「俺さ」
「何ですか?」

 会長はいったん口を閉じた後、目を三日月型に細めてしてやったり顔で笑った。

「戸田さんに認めてもらった」

 そうして、とてもうれしそうな顔で俺の手をぎゅっと握る。

「大事にしないと死にたいと願うほど後悔させますって言われた」

 そうですか、戸田さんに認めてもらうなんてとてもすごいことですよ。いや、違う。何をしてきたかわかりませんが大変でしたね。これも違う。
 なんて言うべきか心の中で必死で考える。

「木戸」
「……なんですか」

 でも、答えは出なかった。考えている間にも会長の真意がわからぬ言葉は続く。

「俺、頑張る」
「何をですか」
「大事にするよ」
「……ばかですか」
「頭、良くはねえな」
「あ」
「ん?」
「初めて否定的なこと聞いた」

 いつもは自分に対して自信しか持っていない会長が、初めて卑下をした。卑下っていうほどじゃないかもしれないけど。
 でも、そんなことはどうでも良い。
 重要なのはその前。
 戸田さんに認められたらしい会長は、どうやら俺を大事にしてくれるらしい。冗談かもしれないが、今日で会長の演技力は相当なものだということが分かったから真意はわからない。
 わからないことは聞いた方がいいが、返答によっては俺の身の振り方が変わる。
 俺としたら、どっちの方がいいのだろうか。本気か嘘か。
 俺はどうしたらいいのだろうか。俺は、どうして会長とは離れようと思ったっけ? いつだったろうか。そうだ、ミキちゃんとのぞき見した時だ。会長を好きだっていうことを認めた時だ。
 坂上さんとしていたブラックリスト作りを何日か会長に手伝ってもらった時、段々と仲良くなる二人を見て思ったんだった。
 だって、坂上さんとなら会長は俺とではできないことがたくさん出来る。ちょっと騒がれるけど、普通の友達みたいにご飯食べたり校内を堂々と歩いたりできる。会長が俺といるのは俺が他の生徒たちと違って会長に対して生意気だからだ。そういう風に思っていた。
 けど、会長は俺といる時楽しそうに笑ってくれるし、こんな馬鹿げたことをしに家にまで付き合ってくれる。戸田さんと何をして来たかは知らないが、俺はこんな疲弊しきった会長をみたことがない。

 会長はいつも俺のために何かしてくれる。
 食堂で殴られりした時も、皆取をなんとかしろと言われた時も、溺れた時も助けてくれたし、俺が会長に内緒で坂上さんとずっと仕事をしていた時も問いつめてこなかった。変な顔で、複雑そうな表情で俺を見てただけ。

 会長が俺をそういう意味で好きだとは思わないが、気に入られていると思う。それも、すごく。

 なのに会長と離れて良いのだろうか。
 会長と離れることが正しいのかどうかわからない。俺より坂上さんとか常磐さんとかといる方が会長にとって良いのだとしたら離れなければいけない。
 本当に好きなら自分のエゴを押し付けてはならない。きっと、相手のことを一番に考えなければいけないのだ。

「木戸さあ」
「なんですか?」
「俺のこと好きなの?」
「そういうこと、言わないで下さいよ」

 それなのに、人の気も知らないでいつものようににやにや笑う会長に腹が立つ。
 このままだと会長にやつあたりしそうで、ベッドに顔をうずめる。息苦しいが背に腹は代えられない。
 会長も何も言わない。
 壁にかけたアナログの時計が規則正しく時を刻むのが聞こえるが、頭の中がぐちゃぐちゃしすぎて不規則に聞こえる。

「俺さあ」
「なんですか」

 数秒かはたまた数分かわからないが、俺にとっては数十分経過したとき、会長が眠そうな声を出した。話す早さもいつもより遅い。

「戸田さんと……俺、生きて来た中で一番頑張った……」

 ベッドから顔を上げて会長を見ると、くたりとしながらも柔らかく笑っている。目はとろんとしていて、いつもよりだいぶ幼く感じた。そして言い終わるや否や幼い会長がことりと落ちた。瞼は閉じられ、俺の手を握っている力もなくなる。

 その様子を見て感じてうなだれる。

 そして余程疲れていたのか、たちまち深いところまで行ってしまったらしい会長の手を、俺は自分から握り直した。

 離れるべきか否かより、どうやら俺が離れられるかどうかが問題らしい。