早寝記録

予言

「戸田さんキツい時に人間の本性が現れるって言ってさ。まあ、俺もそう思うんだけど。で、まず山に登って、それからその中腹くらいにあるやたら高くてぐらつく吊り橋に連れてかれてさ、水……川か。吊り橋の真ん中でここから飛び込んで下さいって言われて。俺、亡き者にされるのかなって思ったけど、まあいいかって思ってそのまま飛び込んだら戸田さんがすぐ助けてくれた」

 戸田さんは昨日会長と何をしたのか言わずに帰ってしまったから、俺は会長が起きてすぐ開口一番に尋ねた。
 眠そうに目をこすった会長だったが、俺の目が血走っていたのか、何も言わずに答えてくれた。
 昨夜会長が寝てしまってから今後について考えていたのだが、そういえば戸田さんは会長に何を施したのだろうかと急に気になりだして、気になって気になっていろいろなパターンを考えているうちに夜が明けてしまったのだ。
 会長の手を握りしめたままだということも忘れて、俺は会長が朝の光に気が付いてうっすらと目をあけた瞬間に聞いた。一晩分のなぞは結局戸田さんと会長の俺の知らない時間で埋まったのだ。
 もっと今後のことだとか考えるべきことはあったのに。

「高所恐怖症だっていうのに、何してんですか」

 しかし、俺は妙にすっきりした気分だった。会長が「俺が高いとこ好きじゃないってなんで知ってんの?」なんて目を見開くのもかわいいと思えてしまうくらいわけのわからない達成感に包まれていた。
 眠さを通り越してハイになっていたのかもしれない。
 だって、じゃなきゃこんなことになっていないはずだ。

「俺さあ、この子と付き合ってるんだよね」

 会長が放心している俺の背を軽くつつく。それに呼応するように反射的に口を開いた。

「き、木戸と申します……。あの、すいません」
「いえいえ」

 俺の目の前には、会長を産み落としたなんて信じられないくらいのぽっちゃりとしたおばさんがいる。全体的に丸っこいが、それがかわいらしさを生み出している。しかし、あまり似ていない親子だなと思った。
 あまり今の状況を考えたくなくて何かに意識を飛ばそうとするが、現実は夢ではなく、現実だった。

 驚くほど大きな部屋の片隅に、ぽっちゃりしたおばちゃんと会長と俺。俺たちは高そうなお菓子の乗ったテーブルを3人で囲んでいる。

「木戸君ね、綾音の母です」
「き、木戸です」

 我ながら情けないと思う。もっと他にいうことがあるだろう。でも、なんて言うんだ? というかどうしてこんなことになっているのだろうか。
 順を追って考えてみよう。
 朝会長と俺の家族たちと朝ご飯を食べた。
 そこで会長と母さんが仲良くなった。
 そのあとに兄弟たちと色々あって会長が兄弟たちと打ち解けた。社交的だなと思った。
 そのあと会長と父さんが女装の話で盛り上がり打ち解けた。変態だなと思った。
 そして部屋に戻って来た会長は俺を真っ直ぐ見て「嘘は綻ぶものだからがちがちに真実を固めないといけない」なんて変なことを言い出して、眠いしいいかと思って会長に手を引かれて家から出て電車に乗った。
 俺は一睡もしていないから電車に揺られるとすぐに眠りに落ちたらしく気がついたら知らない場所に着いていた。

 そうして少し冴えた頭で今度は自分の意志で足で会長の後を付いていくと、豪邸が見えて来た。すげえなあなんて思いつつ、会長が「ここ、俺の家」なんていうのを「やっぱおぼっちゃまなんですね」なんて普通に切り返し、中に入った。
 友達として連れて来てくれたのだろうと思ったのだ。
 だから中にいた会長の母親らしき人に普通に「おじゃましま~す」なんて笑いかけることが出来て、会長のお母さんも「あらあらお友達ねえ珍しいわあお上がりなさいな、そうだお菓子があるから良かったら食べない?」なんて愛想よく言ってくれて、友達の家に遊びにいくのも久しぶりだと感動した所でさっきの会長の発言だ。
 俺だって木戸ですくらいしかいえない。
 会長のお母さんももっと驚けば良いものをぽっちゃりとした身体でにこにこと嬉しそうに微笑んでいる。物事を深く考えないタイプなのだろうか。
 ノンケの息子がいきなり「恋人(男)」を連れて来たら普通驚くだろう。昨日の木戸家豆鉄砲を食らうの回を思い出しても、この母親の反応よりは木戸家の反応が正しいだろう。

「綾音、ついに落とせたの?」
「そう。さすが俺」
「さすが綾音ね」

 なんの話ですか。こんな当たり前の疑問を口に出すことすら出来ない。
 元々年上は苦手なのだ。敬語が上手くないし、緊張するし、それが会長のお母さんだったらなおさらだ。
 でもこの二人は俺の緊張や焦りなんてどこ吹く風で穏やかに談笑している。
 ついに落とせたのってなんの話だ。会長は何かを落とそうとしてたのか? おとす、オトス、落とす。この流れから推測すると俺は攻略対象だったのか? そりゃあ俺は落ちたけど、どうして?

 わからないことは考えずに聞け。母さんの教えだが、考えずに聞いて墓穴を掘ったことが何度もある。
 母の教えは当てにならなかった。ではどうすればいいのだろうか。逃避すれば良いのだろうか。
 会長のお母さんの背の向こう側にある窓からはこれぞ日本の美――という感じの日本庭園が悠然と佇んでいる様が見える。よく手入れの行き届いた庭は黒く髪の毛を染め直した会長とよく似合うだろう。
 藍鼠の着物を羽織り提灯を持ち、蛍を眺める会長を想像すると鼻血が出そうだ。似合う。想像だけで似合う。

「まあ、孫の顔は兄ちゃんとまなちゃんにまかせてよ」
「そうねえ、木戸君子ども産めないものねえ。けどまあ、幸せになるならいいわ」
「さすが母さん、話がわかるね」
「綾音ちゃんが学校に好きな子出来たって言った時に色々考えたの」
「あ、そう」
「ええ、そう。木戸君」
「は、はい!」

 会長の着物姿を妄想してた俺は会長のお母さんの呼びかけに気付かず、また会長に背を突かれてしまった。
 会長のお母さんはさっきと変わらず穏やかな表情で微笑んでいる。目を合わせると、その微笑みは一層深くなった。細めた時の優しい目は、会長と似ているかもしれない。

「愚息ですが、よろしくお願いします」

 そして会長のお母さんは、俺に対して深々と頭を下げた。

「や、やめて下さい! 顔上げて下さい!」

 そんなことされる理由も価値もない俺は会長のお母さんの行動に慌て、立ち上がろうとした時にテーブルに思い切り膝をぶつけた。鈍い音と俺のうめきと会長と会長のお母さんの笑い声が室内に響き渡る。

「木戸君、約束してちょうだい」
「な、なんですか?」

 膝を抱え痛みに涙目になりながら会長のお母さんを見上げる。会長のお母さんは微笑みをたたえながらも意思の強い目で俺を捉え、優しい口調で言った。

「周りに惑わされず、自分の意志で幸せを掴むのよ」
「は? はい」

 曖昧で意味はよくわからなかったが、会長と同じで有無を言わさぬ雰囲気を感じ取った俺は思わず首を縦に振ってしまった。意味は後で考えようと思いながら。