恋人ごっこ
目覚めは、その日一日を決める最重要課題だと思う。
目覚めが良かったらその日は大したことじゃ腹が立たないし、目覚めが悪かったらハエが目の前を横切っただけではらわたが煮えくり返る。
後者は言い過ぎだが、俺は大体の人にこの感覚を理解してもらえると思っている。
「なんだよ……」
だから、俺のこの一日はきっといらついた最悪のものになるだろう。
会長の部屋にお邪魔してから早3日。会長の一つ上の兄ちゃんにどうしても会えないから、俺は会長の兄待ちでずっと会長の部屋に滞在している。今度で良いです、と帰ろうとしたが、ダメだと押し戻された。
会長の家族たちはうちよりも根掘り葉掘り何でも聞きたがるし、正直もう寮に戻ってしまいたかったが、俺が会長の家族と話したり仲良くしていると、会長が嬉しそうな顔をするので、何も言えずにいる。
昨日の夜だって、明日は近所の海に行こうと言われて渋々了承して寝たのだ。
「お前がなんだよ」
それなのに、目を覚まして一番に見たものは不機嫌そうに眉間に皺を寄せた、仏頂面の会長だった。
意味がわからないしわかりたくもないし眠い。目覚めは最悪だ。
隣で横になって頬杖を付いている会長は相変わらず格好良いが、それがあってももちろん最悪だ。
まだ夢に足を突っ込んでいる意識を覚醒させようと、閉じたがる瞼を必死で持ち上げる。
俺がこんな努力をしていることを知らないのかどうでもいいのか、会長がずいと俺の目の前に何かを差し出した。
近すぎてぼやけるそれに焦点を合わせると、一瞬にしてそれが何か理解できた。そしてそれと同時に眠気が吹っ飛ぶ。
「それ、俺の携帯じゃん! 何見てんの!」
会長が差し出したのは、俺の携帯電話だった。しかも、画面には受信メールが表示されている。
「別に、見ようと思ったわけじゃねえし。寝てたら耳元でぶーぶー鳴って、俺の鳴ってる、と思って見ちゃったんだよ。寝ぼけてた」
言い訳する会長を無視してメールを確認する。やましいメールはないはずだが、よくミキちゃんが妄想を爆発させたり、クラスメイトの佐原が絶対に口に出せない卑猥なメールを送って来たりするから、恥ずかしいメールはたくさんある。
しかし、画面に映し出された文章は奇跡的になんの問題もない事務的なものだった。
ではなぜ会長は不機嫌なのだろう。頭をひねる。すこし考えて気がついた。
「すみません、マナーモードにはしたんですけど、バイブにしちゃってました」
「どうでもいいよ、んなこと」
会長が面倒くさそうに言い捨てる。
どうでもいいのか。そうか。それならなんなんだろうともう一度メール画面を見る。
メールは、ミキちゃんからだった。
『件名:竜宮ラブ
本文:恭ちゃん聞いて!
9月24日最終巻発売だって!結構早いね、楽しみ・ω・』
そして、そのあとに昨日俺が聞いたミキちゃんの夏休みの予定が書かれている。
会長が不機嫌になる要素を文面から読み取ることは出来ない。
「下押してって」
そんな俺に焦れたのか、会長も俺の手元を覗き込んで、とんとんと人差し指で画面を叩いた。急かされるように下を押すと、数行の空白のあとで、また文章が現れた。それを読み絶句する。
『これ、気付いてくれなくてもいいんだけど、恭弥ほんとに会長から離れるの?心変わりした?よく考えた方が良いよ』
ちらりと会長を見ると、会長も俺を見ていた。
会長の灰色の目は、朝の光を受けていつもより透明に、美しく輝いている。
吸い込まれそうになるが、きっと俺の現実逃避の結果だろう。起きがけで上手く嘘をついたりはぐらかしたりできないだろうから、できることなら会長の綺麗なグレーに飲み込まれてしまいたい。
「これ、どういう意味?」
「いやあ、どういう意味でしょうか」
「そういう意味?」
「そういう意味とはどういう意味でしょうか」
「心変わりってことは俺の他に好きなやつが出来たってこと? だとしたら木戸、俺のこと好きだったってこと?」
「はあ?」
会長の斜め上のつっこみに、はぐらかそうと色々考えを巡らせていたのに思考が止まってしまった。
でも、会長は至って真面目な表情ですこし眠そうに眉をしかめているものだから、本気なのだろう。格好良い。
「好きってこと? それとも過去形?」
会長が眉をひそめてそっけなく尋ねて来る。
不機嫌そうだが、どこかそわそわしている会長に、気になることはそこなのかよ、と言いそうになった。だって、俺は『離れるの?』の部分にひっかかりを感じたのだろうと思ったから。
これだけ会長と仲良くしておいて、隣のやつが自分から離れることを考えているなんて知ったら、俺だったら腹が立つ。そして悲しく思う。
「現在進行形か過去形かどっち」
その2択なのかと思ったが、とりあえず「進行形で……」と答えておく。
今までだって俺のこと好きなの? と聞かれたことは何度もあったのだ。今ここで別に好きじゃないし、などと答えても不自然だから。それに、俺は会長のことが確かに好きなわけだから、嘘でも好きじゃないなんていえない。
会長の好きなの? はいつもどういう意味合いを含んでいるのか図りかねるけど、友達としてという意味でも恋愛でという意味でもどちらでも当てはまるから、好きじゃないとはぐらかすことはできない。
「だったら一緒にいれば良くねえ? 何、他にも好きなやつ出来たってこと? 俺、とりあえずは二股でも良いよ」
竜宮ラブの最終巻が出たら離れようと決めていたのに、「好きじゃないよ」とすら嘘はつけないなんて、なんという矛盾だろうと思っていると、会長が恋に恋する女の子のようなことを言って来た。
「何言ってるんですか。二股って、あんた俺のことどんだけ好きなんですか……。数日恋人ごっこして、目覚めちゃったんですか?」
「その前から目覚めてるって」
あっけらかんと言う会長に、ため息が出る。
たまに、ふわふわと空言をいう会長にすごく腹が立つ時がある。腹が立つが、そのあとに来るのはなんとも言えない虚しさだ。
冗談で好きだと言われることほど片恋において悲しいことはないのではないか。ふと、こんなことを思う時がある。
「……俺、あんたのことよくわかんないんだけど」
だから、突っかかるでも無視するわけでもなく、素直な気持ちを口にした。
どんな答えが返って来るかとか、先のことは一切考えず、思ったことを口にした。
そうしたら、会長がすこし思案するそぶりを見せ、緩く静かに笑った。
「多分、俺が木戸のこと龍宮君的な意味で好きだって仮定して、今までの俺の行動と照らし合わせたら、色々わかるんじゃねえの?」
嘲りの口調に感じないこともなかったが、目だけは澄んでいたので、俺はそれだけで会長の言葉を言葉通りに受け取ってしまった。
何度も心の中で復唱するが、目の前には俺を飲み込もうとする灰色の目があるからうまく考えることが出来ない。
「ちょっと考えて来る」
俺はそう言ってベッドからおりて、会長の部屋から出た。会長は追ってこない。
無駄に螺旋を描いている階段を下り、リビングにいた会長のお母さんに挨拶をして、洗面台を借り、顔を洗い歯を磨き、寝間着代わりのジャージのまま外に出た。
そして、働こうとしない頭をたたき起こしてから、廃れた公園に行き、“龍宮的な意味で”色々なことを考えてみるのだ。