先の春
「オムライスがメインだなって思ってたけど、なんかメインは他のがいいなあって思ってきた」
「いきなりなんですか」
ベッドサイドに寄りかかったままぼーっとしていた会長が突然口を開いた。しかも、言っていることは意味不明ですこし不安になる。ぶっこわれたのだろうか。
「何ですかって、決まってんじゃん。ほら、将来俺と木戸で店開くでしょ。そのメイン料理だよ」
「決まってんの!?」
「決まってんの。夜は俺が酒を振る舞う。バー的なものにしよう」
「良いけどさ、俺夜遅くまで頑張れるタイプじゃないから」
「じゃあ夜の11時に閉店な」
「早くないっすか」
「いいんだよ、無理してまでしなくても。あくまでもメインは木戸だし。あ、夜開くのは週二とかでいっか」
会長が何について話していたかはわかった。どうやら彼は俺と店を開くつもりらしい。
それが実現するかはわからないが、最近ではどんな形にせよずっと会長と一緒にいたいという気持ちがどんどんと強くなってきている。
「けどさあ、そうなると俺だけの木戸じゃなくなる気がするから、なんか嫌なんだよなあ」
「バカじゃないですか」
「ばかじゃねえよ。だからあのオムライスだけは俺が独り占めしようかなって思って。あれ売ればまじで商売繁盛行列御礼間違いねえんだけど」
「謙遜とかじゃないんですけど、過大評価しすぎ」
会長は俺の言葉を無視して思案に暮れているようだ。わずかに眉間に皺を刻み、目をつぶって自分の世界に入ってしまった。
会長の部屋で彼の机を借りて田中ちゃんに出された課題をしていたが、会長が変なことをいうものだからすっかりやる気がなくなってしまった。今は吐き気を催す化学式よりも、心が踊る未来について考えたい。
化学から逃れるための言い訳のような考えを浮かべながら、俺は席を立ち会長のとなりへと腰を下ろした。
片目を開けて会長が隣りに座った俺を見やったが、すぐに目は閉じられた。
俺はそこまで料理が得意なわけではない。味だって自分ではおいしいと思うが、それは高校生レベルでの話で、やはり料理を商売にしている人には到底敵わない。
舌の肥えた会長がどうしてそこまで俺の料理を気に入ってくれてるかはわからないが、もしも将来俺がメインで飲食店を開くのなら、会長に苦労をかけてしまう気がする。
「やばい。俺、またぐるぐる悩みそう」
「何について?」
俺の小さなひとりごとを律儀に拾った会長が尋ねてくる。
「将来について」
「将来? 何悩むことあんの? ほら、人っていつかは死ぬじゃん」
「突拍子も無い! なんなんすか、あんた。いつも急に例え話とか突っ込んでくるけど、俺その度にいちいち突っ込みたくなる」
「だけど、人はその運命には抗えないだろ」
「完全無視!」
「それと同じで、木戸が俺と店開くのは決まりきってることだから、運命だと思って諦めろって」
会長がなだめるように俺の背を数回叩いた。
会長は勘違いしている。というか、俺が会長とお店を開いたりすることを嫌だと思うはずはないのに、そんなこともわからないなんて、この男はあほじゃないんだろうか。
最近は本音を言うことに対して悔しさだとか照れくささを感じることは少なくなってきたが、今は本当のことを言うのがなんだか悔しかった。
俺はあんたと一緒に生きていきたいんだ。
たとえそれがなんだろうとどうでもいい。
これを言えば良いんだろうけど、言わなきゃわかってくれないと思うと言いたくない。
「あんた、俺のことさっぱり理解してねえのな」
だから、こんな生意気な言葉がつい口をついて出てきてしまう。
「は?」
「あんた、俺のこと、さっぱり、理解して、ねえのな」
今度はひとつずつはっきりと言ってやる。
「いや、聞こえてるって」
「嫌味ですよ、ただの」
「なんだよ急に」
「面倒くさいですかそうですか俺面倒くさいっすね」
「言ってねえだろ、んなこと」
「察する文化、それがジャパニーズだと思うんですけど」
「なんなんだよ木戸、いったいどこでいらっときたわけ? 待て、俺くらいになると会話をすべて思い出すのも可能だ」
そう言うと、会長はぶつぶつとつぶやきながら考えだした。
距離だけで言うなら俺と会長はくっついているのに、心はまるで綱引きでもしているようだ。
今になって別に反抗する理由なんてなかったんじゃないかと思ってきたが、もう遅い。
こうなると俺は後悔の念に押しつぶされそうになるぎりぎりまで生意気な態度を取り続けてしまう。
そんな自分が嫌だった。
「わかった」
会長が勝ち誇ったような笑みを浮かべて俺の方を向いた。つられて俺も彼の方を向く。至近距離で目と目が合う。身長は会長の方が高いのに、目線の位置がそれほど変わらないのが悔しかった。
「編み出そうぜ、新オムライス。デミグラスとホワイトソースは俺のもの」
会長がにやりと笑う。
彼の的はずれな答えに俺は心底呆れながらも、湧いて出てくる感情が春のように穏やかなものだということに驚いていた。
今の俺の料理の腕じゃ会長に苦労をかけることは目に見えているが、まだ時間はあるのだ。それまでに腕を磨けばいいだけの話。
会長だってやらないだけで何でもそつなくこなすし、もし俺だけでは限界があってもふたりでやれば最高の料理ができると思った。
「まあ、俺の専属シェフって道もあるけど、それには俺が木戸を養えるだけの経済力が必要だからな……」
「一緒なら、なんでもいいです」
悩みだした会長にひとこと告げる。
会長は一瞬だけ驚いたように目を真ん丸くさせたが、すぐにとろけるような笑みをくれた。
きっと、俺たちは世の中を甘く見ている。
けれど、それでも将来は明るい。根拠もなくそう思った。