早寝記録

扇風機が見た二人の話

 ある日いきなり、耳を引っ張られた。

「木戸ってピアスとか……興味ねえよな」
「別に興味ないっすね」

 だよなあ、と先輩が残念そうに呟いた。
 俺が高校一年生の時からこの人は何かにつけてプレゼントをくれる。誕生日やクリスマスはもちろん、母の日とか勤労感謝の日、仏陀? か誰かの誕生日、果てはなぜか自分の誕生日までくれる。何でもない日を何かの記念日にして物をくれることも多い。
 それももう五年。ついにネタが尽きたのだろうか。

「じゃあへそは? 引き締まってるし、きっと似合う」
「耳よりやだよ」
「舌?」
「へそよりない」
「鼻」
「ありえない」
「だよなあ」

 先輩は床に直に座る俺の後ろに回って、なぜか抱きしめてきた。

「今日なんかの記念日? ほら、毎回違うやつ」
「細君譲渡事件が起こった日だな。でもプレゼントはない」
「何それ……。ネタ切れたのかと思った。最近飴続きだったし」
「コンビニとスーパーでは買わないっていう縛りがあるんだよ。結構大変」
「俺さあ、なんかあんたも楽しそうだしあんまり言えなかったけど、別に物くれなくてもいいよ」
「出かけると、買いたくなるんだよ。それだけ」
「それなら良いけどさー」
「プレゼント選んでるときって相手のことしか考えてねえだろ。俺はその時間が好き」

 彼は俺の肩口に顔を埋めていて、しゃべるたびに息が掛かるのがくすぐったい。

「……俺、あんまり出かけねえからなあ。スーパーくらい」
「木戸は忙しいから」

 ぎゅっとされた。骨張っていて気持ちよくないだろうに、なんとなく眠たそうな声に聞こえる。

「……つける気ない?」

 先輩が肩口から顔を離し、俺の耳に触れた。手の感触ではない。雰囲気に合わずすごく柔らかい唇で俺の耳に触れている。

「開けようと思ったことないんだけど、なんでんなこと聞くの?」
「穴開けたい」
「俺に?」
「体の中に自分があげたものずっと入ってるって最高だと思わねえ? 俺、授業中とかたまに触っては思い出す」
「確かにあんた今、俺があげたやつしかつけてねえな」

 先輩の耳には穴がたくさん開いている。けれど今は左右一つずつしかつけられていない。彼の好みはもっとごつい感じのものだということは知っていたが、偶然通りかかった店にあった優しげなゴールドのピアスが似合いそうで、誕生日でも何でもないのにあげたことがある。

「次へそに開ける。木戸がやって。仕事始まったらじゃらじゃら付けてくわけにもいかねえし」
「気乗りしねえ。怖い」
「注射だと思ってさ」
「思えねえよ。……けどまあ、いいか」
「やった」

 ぐいと先輩の方を向かされ口づけられた。眠そうだったのにいつやる気が出たのか、いつもより強引に舌が入ってくる。こいつはぐいぐいと自分勝手に見えて、結構何をするにもまずは同意を取ってくれる。
 扇風機が一生懸命働く音に、嫌らしい水音が消されるのがありがたかった。



 ソファに背中を預け、先輩からもたらされる気持ちよさにすがる。最近は声を出すことにあまり抵抗を抱かなくなったが、そういえば今日は暑いからさっき窓を開けたんだった。よほどでかい音を立てない限り聞こえないとは思うが、用心するに越したことはない。

「んっ――」

 入り口から近いところをゆるゆると責められ、手の甲に口を押しつけて声を抑えた。
 正面でがんがん抜き差しされてるときは我慢できているつもりだけど、ゆるくされるのには弱くていつの間にか理性がどこかへ飛んで行ってしまうときがある。彼もそれをわかってやっている。

「あっ」

 いきなり深く差されて、目の前に火花が散った。先輩の首に腕を回し、恥も外聞も捨てて抱きつく。ぐぶぐぶと尻の中でローションがかき混ぜられる音が聞こえるのがやけに耳につく。口を固く結んで声が漏れないようにするが、ふと「ふ」とか「ん」とか言っている自分に気付いてはまた口を閉じるのを繰り返した。だんだんと先輩の余裕もなくなってきて、付き合いも長いからそろそろ終わりだと予想を付けたら顔を見たくなった。
 痛くならないように彼の髪の毛を掴んでぐいと後ろに引っ張ると、案の定余裕のない顔をした先輩が見れた。
 とろんとした目をして眉を寄せている表情が好きだ。白い頬がこういうときにだけ赤く染まるのが好きだ。誰もが憧れる彼の、こんな余裕のない顔を俺だけが見られるのが嬉しかった。


 * * *


「なんでいきなりピアスなんて言い出したんですか」

 乱れた衣服を整え、ついさっきまで俺達の秘密を目撃していたソファに寄りかかる。固い床は尻に悪そうだが、扇風機が直に当たるところだからほてった体にはちょうど良い場所だ。
 少し頭が働くようになってきたら、ふとやる前の会話を思い出して気になって尋ねてみた。 

「……なんか、和音と一緒にいる時間のほうが長いなって思ったんだよ」

 先輩がため息を吐いた。
 和音さんは彼の一つ上の兄で、俺の職場の先輩だ。綾音ちゃんから男らしさを取り、取ったぶんだけ綺麗さを足したような人。無口で無表情だけど慣れたらすごく優しくしてくれる。店長と店員二人だけの小さなレストランだから、そりゃ自ずと一緒にいる時間も長くなる。

「一緒に働いてるからね。あんたとは夜に仕事ある日はほとんど会わないし」
「自分で一緒に暮らすの断っておきながら後悔してる」
「じゃあ今からでもいいじゃん」
「そうなんだけどよー」

 先輩が言い淀む。

「……一緒に住むと結婚みたいだから、なんか、こう、感動的な何かを経てやりたかったんだよ」
「けっ、こんすか」

 そしてなんだか可愛いことを言った。

「どんなサプライズを用意するか決めかねてて。一生に一度のことだからなあ」
「……俺、言いにくいけどサプライズってそんな……」
「好きじゃない?」

 ここで素直に言っておかなければ、この先サプライズを仕掛けられたときに白けてしまうかもしれない。俺は可愛い反応なんてできないし、せっかく喜ばせようとしてしてくれる先輩をきっとがっかりさせてしまう。

「普通に言われた方が嬉しいタイプってことに、あんたと付き合ってから気づいた」

 先輩は特に表情を変えずちらりと横目で俺を見た。そして、前を向く。扇風機の風があたりはらはらと前髪が揺れていた。

「……ずっと前から好きです。一生一緒にいてください」

 真面目とも揶揄ともとれない絶妙な声色。真剣に返すのかただの他愛ない会話の一部とするのかが俺に委ねられる。

「それは……まあ、返事をするなら、はい、だけど」

 先輩が目を細めて笑う。出会った頃から朗らかなやつだと思っていたが、卒業して先輩とも外に出かけて色んな人と関わるようになって、俺とかごく親しい人以外には結構冷めた態度で接することを知った。顔が良いからそんな態度でも格好良いと言われるけれど、近寄りがたくて怖いやつだと思われているらしい。
 だからみんなは多分、この人がこんな風に穏やかに笑えることを知らない。

「良かった。でも俺結構普段から言っちゃうタイプだから、だからこそ特別な時にサプライズしないと伝わらなくねえか?」
「普段から嬉しいって思ってるよ」
「……今日はずいぶん素直だな。……っていうと怒るけど」
「今日は怒り湧いてこないんですよね。なんでだろ」
「なんでだろうなあ」

 先輩がいつもより緩い雰囲気でなんだか幸せそうに笑っている。
 ふいに愛おしさとも呼べるような温かくて鬱陶しくもある感情に襲われた。

 俺は生じた感情と欲求のまま、何も言わずに先輩に正面から乗っかった。彼の手が背中に回り、満足した。 
 さっきされたように彼の耳に唇を寄せ、ピアスに触れてみると、確かに。

「耳に穴開けても良いですよ」
「急になんで?」

 Tシャツの中に手が入ってきて直に背中を撫でられた。

「さっきあんたが言ってた通り。俺も仕事中とかに鏡見て思い出したい。触るのはほら、俺飲食店勤務だし」

 唇を耳から首へと滑らせていくと、先輩がぴくりと動いた。

「お、気持ちよかった? あんたほんと首のあたり弱いね」

 言いながら身につけていたTシャツを脱ぐ。さっきは脱がずにやっていたからそれは汗で濡れ、肌にひっついて脱ぎにくい。自分のをソファの上に投げたあと、先輩の服も脱がせた。今日は元気だな、と笑われる。それに連休だからと答えて平らな胸に手を這わす。キスしたいな、と思って顔を上げて目を合わせると、心の中で考えたことが伝わったのか、先輩の方から顔を寄せてきた。

「木戸さ、俺に突っ込みたい?」

 乳首を爪でゆるく引っ掻くと、先輩がわずかに体を揺らした。

「なあ、答えて」

 俺としてはしゃべらずに、珍しくひたすらやりたかったが先輩はそうではないらしい。なんとなく真剣な声色に、俺は諦めて手を動かすのを止めた。

「別に、突っ込みたくはないよ」
「なんで?」

 まさかの質問。

「なんでって……。そういえば、高校生の頃からどっちが上か下かって気にしてたっけ」

 初めてこいつとやったときのことを思い出す。もう記憶の彼方で詳細な会話の内容は忘れてしまったが、確か「いつか逆転しても良いと思ってる」とかなんとか言ってた。俺なんかに人生を狂わされてしまったくせに、女の子の側だったら準備をしないと格好悪いところを見せてしまうとか言っていた。
 男との恋愛なんて考えたこともなかっただろうに、自分が突っ込まれる可能性も視野に入れているのって結構すごいことだと思う。俺は女も男もどっちのことも好きになれるし、突っ込まれるのにも抵抗はないから異性愛者の先輩と付き合った時に自然と自分のほうが突っ込まれる側なんだと思った。

「俺は別にこだわりないから、あんたのやりたいほうに付き合うつもりだけど。俺は人に入れたことないから……つうか、最後まではあんたとしかやったことないからわかんないけど、突っ込まれるの気持ちいいからす……」

 なんか、ふと自分がかなり恥ずかしいことを言っているのに気づいた。でも、真剣な表情をしているが、先輩の目が輝いているから、続きを言った方が良い気配がする。

「突っ込まれるの嫌いじゃないから、まあ、良いんじゃねえ?」
「確かにいつも気持ちよさそうだ!」
「おい!」

 先輩が元気になり、突然尻に指を突っ込まれた。

「最初の頃はもげるかと思うほどだったけど、今は普通に入るし……」
「い、いまは十分前までやってたからだろ」

 床に押し倒され、そのまま覆い被さられて口づけられる。口を開き自ら舌を出すと、やんわりと食まれた。心臓が激しく動き、顔にだんだんと熱が集まっていく。

「あ」

 と言ってまた先輩が顔を上げる。

「落ち着きねえな」
「ベッド行こうぜ。ここ、背中痛いだろ」
「昨日シーツ替えたばっかだから嫌だ。ここでいい」

 手を伸ばし首の裏を掴んでぐいと引き寄せてキスを強請った。キスも前戯も何もかも、俺は受け身のほうが好きだ。押し倒すのより押し倒される方が好き。こいつは優しいからあんまりしてくれないけれど、嫌なことがあった時とかは初めに謝られて、普段より性急に、自分勝手に攻められることがある。いつもなら俺のわがままで生意気な性格的に苛つくのに、たまに自己中心的に抱かれると、なんだか支配されているようでいつもより気持ちよくなったりする。

 初めから深く口づけられる。触れているわけじゃないのに顔に熱がかかるのがいつも不思議だ。こういうときに人間は熱を発していて、ごくごく近いところならばそれを感じられるんだと気づく。この熱がわかる距離を俺はこの人以外の誰にも許したくない。

 まだ窓は開いたままだ。聞こえるはずないのに、だんだんと乱れていく息づかいが隣まで届くんじゃないかとひやひやした。

 隣の人にばれて、ご近所中の噂になったらどうしよう。先輩の大学とか、店の客にばれたらどうなるんだろう。
 先輩は俺が許すなら俺達の関係が誰にばれたってかまわないと言う。付き合っていることを隠さずに生きていきたいと言う。
 俺は自分からこの関係を誰かにしゃべることはないと自信を持って言えるけれど、誰かに付き合っているか尋ねられたら否定できないとも思う。

 自分からは言わないけれど、人にばれたってかまわないと五年前の俺が聞いたら卒倒しそうな自分になった。
 
 その変化を俺は、嬉しく思う。