恋する綾音視点
「新風紀?」
「そうです。考えてみたら一年風紀が俺と省吾だけなの、すげーやばくないですか? やばいやばい。ってことで、勝手に風紀にふさわしそうな人を探しに行くんですよ」
皆取も落ち着き、生活に余裕が出てきたのか、この春見つけた面白い後輩が意気揚々と歩き出した。なぜか不良のたまり場がある旧校舎方面に進む後輩の華奢な背中を追う。春の穏やかさと夏の明るさが混じったような風に彼の少し長めの髪の毛が揺れている。
強気な性格なのに髪の毛はなんだかさらさらとしていそうで、思わずその背に手が伸びかけたが、普通の後輩にする行為ではないだろうと、髪に触れる前に思い留まった。
「なあ、なんで旧校舎に向かうの? 風紀向きのやついねえよ」
「いるんですよ」
「お前、現実の不良に夢見るタイプ? 性格の良い不良ってあんまりいねえよ、絶対」
前を歩いていた木戸が突然振り向き俺に心底呆れた目をくれた。見るやつが見たら生意気で小憎たらしく思うのだろうが、俺フィルターを通して見ると、ただのかわいい後輩がただかわいい顔をしているようにしか見えない。
「って、さすがにきもいな」
「はい? なんですか? つうか聞いてきたくせにあんた今完全に上の空だったでしょ」
「上の空ではねえよ。かわいい後輩のことを考えてたんだから」
「はあ!? 俺が割と真剣に話してたのにどこの馬の骨かもわからない別の後輩のこと考えてるとか、すっげー腹立つ」
「お前は馬の骨っていうより飼いならされた狐っぽいけど。結構かわいくねえ?」
「会話が噛み合っていない……」
木戸が肩を落とす。怒ったりしょぼくれたり忙しそうだ。伝わらなかったのは残念だが、俺は木戸と付き合うことを目標にしているわけではないし、かわいいとか言っちゃって真面目に引かれたら困る。恋人とかを飛び越して、なんとか木戸の一番になれないものかと思案することも多いが、中々良い案が浮かばない。そもそも人の心だ。勝手にできないし、攻略法を探るために中を覗くことも出来やしない。
「なあ、木戸」
再び歩き始めた木戸に性懲りもなく付いていく。綺麗で新しいお城のような新校舎よりも、旧校舎へと続くところどころひび割れた石の道のほうが木戸に似合っている。見た目に似合わず彼は柔らかいから、完全な日向よりも影のある場所のほうがよく馴染む。
「今度はなんですか……」
「俺、なんでも人並み以上にはできるんだけどよお」
「そうですか。すごいすごい」
「ケンカはできねえよ」
いうと、木戸がびっくりしたように目をまんまるにして振り向いた。
「まさか、あんた俺が殴り込みにでも行くと思ってる?」
「殴り込みっつうか、殴られる羽目になりそうだとは思ってる」
「なりませんよ」
「旧校舎って不良が大好きなとこだろ」
「……いるんですよ。俺達が来る前に不良をやっつけてくれる一般生徒。まだ誰も姿を見たことねえから一体どんな人なのか謎だけど、どうやら一年らしいんです」
「伸されたやつがわかるじゃん」
「自分らを負かした相手だから教えてくれないんです。だから俺、会えないかと思って最近よくこっちに来るんですよ」
「今みたいな見回りの時に?」
「暇な時にも」
「へえ」
「こっそり覗くだけだから、あんたがケンカ弱くても全く問題ありません」
「そうかよ」
「そうです」
木戸が何かに気がついた。風と葉が揺れる音以外にかすかに音がする。どうやら電話のバイブが鳴っていたようで、彼はポケットから電話を取り出して画面を確認した。
「うわ」
わかりやすく顔が曇る。
「呼び出し?」
木戸が問いに頷く。
「立入禁止の倉庫に入って出られなくなって困ってるバカがいるって。全員に招集命令かかってる」
「なんで出れねえの」
「物品が雪崩れてきて入り口を塞いでるんだってさ。迷惑過ぎる……」
文句をたれながら木戸は指定された場所へと向かった。自業自得とか馬鹿とかアホとか、人一倍罵りながら人一倍一生懸命に雪崩れたものをどかす木戸はやっぱりかわいい。
* * *
「ていうか、なんであんたが俺の部屋でくつろいでんの!?」
「なんだっけ、あいつ……木戸の同室の多田がいれてくれた」
「なんでっ」
「外壁よじ登ってたら気づいてくれてさ」
「だから、壁はよじ登るとこじゃないって何度言ったらわかるんですか! 落っこちたらどうすんの!」
「木戸に会うために登ってるんだからさ、落ちて動けなくなったら一生面倒見て」
「なんて身勝手な!」
「そもそも、部屋の位置が良すぎるんだよな……。窓の横によじ登ってくださいと言わんばかりのはしご的なものあるじゃん」
「あれ、工事用とか非常用とかそういうものでしょ。日常用では絶対ない」
「いいからいいからまあ座れって」
優しく言ってベッドをたたく。ちなみに俺は木戸のベッドに寝っ転がって無断で借りた漫画を読んでいる。殺人鬼と一緒に山で迷子になるという中々にハードな物語だ。
非常識な行動しかしていないのだから怒ってもいいのに、木戸は不満の全てを溜息とともに吐き出すつもりなのか、常人ではなせない程大きく長い溜息を吐いて渋々といった様子でベッドの端に腰掛けた。よく見ると髪がほつれ、顔には擦り傷がある。風紀委員の証である肩章が付いた制服は土で汚れていた。
外で倒されたか、ほこりっぽいどこかでケンカでもしたのだろうか。とっさに誰にかはわからない怒りと不安が生まれた。見回りはひとりだけど、問題を見つけたら他の委員を呼ぶ決まりなのになんでこんなに汚くなっているのだろう。もしかして、強い一年とやらを探しにまた旧校舎に行っていたのだろうか。
「随分疲れてるな。負けたのか? 木戸、弱そうだもんなあ」
「腹立つことしか言わないね。負けてません。俺、逃げる専門だし、逃げ切ることが勝利なんですよ」
「逃げ切れたの? 顔、擦りむいてる。怪我してんじゃん」
「あのねえ、逃げ切れてなかったらこんなにぴんぴんして帰ってこれないし、普通に歩くのもできねえんだから。こんなん、怪我の内に入らないですよ」
「弱いんだから、怪我するなよ」
「それ、意味わかんないって」
木戸の顔に苦笑が浮かぶ。生意気そうに見える吊り気味の目が細くなり、口元からは少し尖った犬歯が覗く。
多くの人が褒めて、好む感じの顔の造りではないが、俺は彼の強気な目も、噛まれたら痛そうな口もなんとなく好ましいと思っている。かわいい。
手を伸ばせば届く位置に木戸が座っている。頬に擦り傷。若干血が滲んでいる。
「血がついてる」
言い訳だった。こんな傷、木戸が言うように怪我にもならないだろう。それでも俺はその傷を口実に彼の頬に手を伸ばし、その肌に触れたのだ。
「あんた、男のくせに冷え性なの? ひんやりしてて、気持ちいいんですけど」
珍しいことに、木戸は茶化すことも恥じることもなく、俺の手に手を重ね擦り寄ってきた。あまりのかわいさに、ときめきに、心臓が破裂しそうなんて陳腐な表現が浮かぶほどに動揺していた。
この手を引いて押し倒したい。同性愛者ではなかったはずなのに、汚い欲なんてなしに俺は彼に恋をしていたはずなのに、生じた願望は醜い欲に塗れたものだった。
「……まだ旧校舎に通ってんの?」
「ん? んー……。ああ、行ってますよ。本当、人手不足すぎる。この学校バカばっかだから全然足りねえ」
危ないからもういかないほうがいい。ここで今みたいに俺の手に縋って目を閉じている方が幸せになれる。風紀委員会なんてなくてもいいのだ。危ない目に遭ってまで守らなければいけないものなど、一介の学生である彼らにあるはずがない。本来ならばどれもこれも教師や親の役目なのに。
「人知れず不良をやっつけてる一年には会えたのか?」
言いたい言葉は言ってはならない言葉だ。
「まだ見つかってないですよ」
「それなら旧校舎に行く時呼んでよ。俺も興味ある」
返事はすぐに返ってこなかった。だけど、俺が体感したほどの長い時間でもないだろう。掛け時計の秒針が刻む音が数回だけ、やけに響いて聞こえた。
「いいですよ、ついてきて」
目を開けた木戸が苦笑する。なんで彼は聞き分けのない子供を許すような、そんな寛容な笑みを浮かべたのか。
まさか、心配を悟られたのではないだろうなとぎくりとしたが、彼の陥る「危険」について行く許可を得られたのだ。悟られたとしても笑ってくれたし、今日はこれで良しとしよう。
「小さくても怪我なのかなあ。冷たくて気持ちいい」
俺の手の冷たさなんてとっくに消えているはずなのに、木戸が嬉しそうに呟いた。