stapler
考えると、止まらなくなる。
作成した書類を、ひとつのまとまりにしなければならず、それにはあれがいる。
「鳥飼、それを取ってください」
「それ?」
生徒会書記――鳥飼は、私に言われたものがわからないらしく、涼やかな一重まぶたの美しい目に懐疑の色をにじませた。
「それです。あなたの目の前にある、紙を閉じる道具です」
私が説明すると、鳥飼はああ、と気の抜けたような返事とともに紙を閉じる道具を寄越した。
「ホッチキス、でしょ」
「ホッチキスかホチキスか、わからなくなったんです」
「どっちでもいいんじゃないの」
「なぜかとても気になったのです」
「じゃあステープラーって呼べば」
私の向かいに座っている会長の進藤が、興味無さげに私と鳥飼の話に割り込んだ。ずっと書類に判を押していた彼は、手が疲れでもしたのか頬杖を付いてこっちを見ている。
「どっちがいい? って時は、別のものにすれば穏便に済むんじゃねえの」
「ステープラー……ですか」
「そ。英語」
そう言って進藤は木戸のところに行って来る、と言って生徒会室を出て行った。それを幾分立腹した気持ちで見送る。私はまだステープラーに馴染んでいないのに、進藤はただ選択肢を増やしただけで行ってしまったのだ。
「鳥飼」
「何?」
「誠に遺憾ですね。私もすこしさぼっ、休憩してきます」
私は鳥飼に向かって宣言し、一応目を通さなければいけないプリントを小脇に抱え、生徒会室から廊下への扉をくぐった。
絢爛たる扉は、年代物に見えてまだ8年しか経っていないらしい。進藤はそれなら普通のドアにしてしまおうかと言っていたが、扉くらい豪華で良いではないかと私は思う。
私は、お金はたくさん使う方が良いと思う。
金は天下の回りものというし、流れを良くするのがお金持ちの役割なのに。
そんなことをつらつらと考えながら、明るい廊下を歩く。しかし、窓の外を見るともう真っ暗だった。夜が来ているのだ。今は私達がためてしまっていた仕事を少しずつ減らしている時。毎日遅くまで皆で生徒会室に残っている。
(ちょっとだけ気分転換をしたらすぐに戻ろう……)
面倒くさいからという理由だけで生徒会に顔を出さず、進藤に多大なる迷惑を掛けてしまった自分を恥じつつ歩いているうちに、生徒会室のある棟から教室などがある棟へと来た。
考えると止まらなくなる。
思い込むと逃げられなくなる。
これは私の欠点だと思っている。
生徒たちはもう教室にいないようだったが、廊下には明かりがともっていた。
お金持ちなのに感覚は結構庶民的らしい進藤ならば電気代がもったいないと言うだろう。
誰もいない場所を照らすのは、もしかしたらもったいないのかもしれない。
廊下を渡りきり、踊り場に出る。そのわきにいくつものスイッチが並んでいる。
私は、なんの気なしに全てのスイッチを切った。すぐそばの緑の光以外、光が消えた。緑の光は非常階段を知らせるものだ。
なんとなく満足し、来た道を戻る。
廊下を歩いていると、誰もいないはずの教室から何やら賑やかな声が聞こえて来た。
幽霊だろうか。私は立ち止まった。自分の意志ではない。恐怖から、その教室の前を通れず、わずかな足の震えを感じたからだ。私はおばけがこわい。
私は、耳を澄ませた。否、お化けの声など聞きたくなかったが、聞きたくないと思えば思うほど、そちらの方に神経は集中してしまう。
「真っ暗! こっわ! まじでミキちゃんどうする? 一夜明かす? 明かしちゃう!?」
「なんでいきなり一夜明かすことになんの」
「だってこれホラーフラグじゃねえ? ホラーフラグ! まじでそこら辺から幽霊が出て来てさ、『キャー! 扉に鍵がかかって出られないわ!』的な展開になるんだよ」
「なんでカマ口調なんだよ……」
聞き覚えのある声。
あほらしい会話。
しかし声の主を確認できた途端に、全ての恐怖が消えた。同時に、ホッチキスでもホチキスでも、果てはステープラーでもどうでもよくなった。
声の聞こえた教室にすっと現れてみる。
「ひぃっ」
「うお!」
すると、情けない悲鳴が耳に届いた。顔は判別できないが、空気と声は、木戸だった。そして、以前私に説教をかましてくれた三木君もいる。
「私です。坂上です」
「は!?」
自己紹介をする。そうしたら、木戸と三木君が手探りで近づいて来てくれた。
ぺたぺたと顔をさわられ、確かめられる。
「うっわ。まじで坂上さんじゃん。つうかすっげー! 俺、みんなのアイドル坂上さんのほっぺたさわっちゃってる!」
木戸がはしゃぐ。三木君は、木戸の後ろでおそらくはあきれ顔で突っ立っている。
「恭ちゃんふざけ過ぎ」
「だってホラーよ、ホラー! テンション上がるってまじで」
「……私が消したんです。もったいないから」
「そうなんだ。つうか急に消しちゃってさ、俺らすっげービビった」
「俺は別にビビってないけど」
「えー。ミキちゃんびくってなってたくせに!」
「……気のせいだよ」
段々と暗闇に目が慣れてきた私はひとりではしゃぐ木戸を見ながら自らの気分が落ちてゆくのを感じていた。
久しぶりに三木君と会えて少しだけ浮かれていたけれど、当の三木君は私から顔を逸らしている。おそらく嫌われているのだ。
三木君は良い子だ。
友達が嫌がらせをされた時に守ろうと思える子なのだ。
(嫌われるのは当たり前だ……)
だって、木戸に嫌がらせをしたのは私なのだから。私はまだ彼に許してもらっていない。
「あれ? なんだよ。ミキちゃんも坂上さんもテンション低すぎ。なんだかなー」
木戸がため息を吐く。私は平素からはしゃげはしないだろうが、三木君はおそらくはしゃげるのだろう。彼がはしゃげないのは私のせいだ。
そもそも、木戸は私に普通に接してくれるがもともと私は木戸にいやがらせをしたのだ。普通に接してくれる彼に甘えず、きちんと反省した態度を取らなければいけない。
はしゃいだほうが良いだろうか。けれどそうしたら三木君が嫌な思いをするかもしれない。何いきなりはしゃいでんだこのくそやろうと言われてしまったら私はショックを受ける。
いや、ショックを受けたほうが良いのか。どうなのだろうか。反省や謝罪をあまりしたことがないからわからない。
それにはしゃぎ方もわからない。はしゃぐ達人から技を盗みたいがそうそう都合よく現れるものではないだろう。
「ま、わかるけどね。大体高校生にもなって停電くらいでそんなテンション上がら――」
「木戸!」
木戸が鼻で笑い出したまさにその時、勢い良く教室のドアが開いた。声の主を私は知っている。
「あ、先輩」
そこには進藤がいた。彼はドアを開けた勢いのままに教室に入ってくる。
「停電! 停電じゃねーか! ってのはおいといてここらへんにいる気がすると思って来たらまじでいるんだけど! 俺すげー!」
そしてうきうきと弾んだ声を出した。
「何来てんですか。あんたも坂上さんも」
「坂上? あ、気付かなかったわ。ていうかサボってんじゃねーよお前」
「息抜きです。すぐに戻ります」
「そうかよ。まあ、今停電だしな、しょうがねーな、今日は!」
「先輩さ、たかが停電くらいではしゃげるなんてまだまだ子どもっすね」
「なんだよ。木戸もはしゃいでたんじゃねーの。遠くからかすかに楽しげな声聞こえてきてたんだけど」
「耳良すぎ!」
自分たちだけの世界を早くも築いてしまったふたりを見つつも私は三木君が気になっていた。進藤と木戸の会話は終わらない。彼らの会話に私は関係ないからずっとふたりのことを見ているのも失礼だろう。
一番は三木君に話しかけられたらいいのだけど、その勇気が出ない。
人付き合いとはどうすれば良いのだろうか。しかも嫌われているのだ。誰かと仲良くしようなど思えたことがないからか、私には話しかけ方がわからなかった。
しばらくの間私はうつむきながら進藤と木戸の会話を聞いていた。聞いていたといっても集中など出来ず理解はできていない。
このままではいけない。
三木君に説教されたあの後に私は木戸に謝りに行った。その報告もしなければいけないし、改めてあの時のことを謝りたい。謝ったら三木君は聞いてくれるだろうか。鬱陶しいと思われないか。
(思われてもいいか……)
それに謝らなければいけないから謝るのだ。私の都合なんてどうでもいい。
意を決し、話しかけようと口を開けた時だった。
「坂上さん、俺のことすきじゃないでしょ」
ため息混じりに呟かれた三木君の言葉を私はすぐに理解することが出来なかった。
「俺だったら嫌いだもんなあ」と、独白のように三木君は続ける。
なんとなく諦めたような三木くんの様子に私は慌て、自分のできるかぎりの速さでそんなことはない、と言った。三木君が私を見る。彼はまっすぐに私を見ていた。その眼差しに説教された時よりも深い後悔の念が心のなかに現れた。
「変なの」と三木君が言う。
「変ではないです」と私は反論する。
「変だよ」
「変じゃありません」
「意味分かんねー」
「私は、君のこと好きですよ」
率直な気持ちを告げると、三木君の動きが止まった。そのようなあれではないはずなのに、私の心臓はなぜか大きな声で叫んでいる。
「なんだよ。さりげなく告ってんじゃねーよ! 俺もまだなのに」
進藤が入ってくる。それを木戸がうんざりとした様子で見ていた。
「ミキちゃんにも春が来ちゃったか……ついに」
「春がきたとか木戸って表現割と古いよな。古き良き木戸だな」
「何言ってんですか、あんたは」
「私、愛の告白をしたのではありません」
固めてしまった三木君に申し訳ないと思いきちんと否定する。彼と仲良くなりたかったが、私が加害者で三木君が被害者のようなものだ。私から近付いてはいけないのだ。身勝手にも心が痛んだ。
「恭ちゃん、帰るよ」
三木君はそれだけ言って木戸の腕を掴み、椅子や机にぶつかりながら暗い教室から出て行った。それを進藤が楽しそうに眺めている。
「行っちゃったな」
ふたりきりになった教室で進藤が言う。依然として彼はおもしろそうな態度を崩さない。
「そうですね」
言うと、教室の灯が点った。見ると廊下にも明るさが戻っている。おそらく木戸と三木君がつけたのだろう。
「行くか。このままじゃ終わんねえからな」
進藤が伸びをして私に笑いかけてきた。少し前ならばありえない行為。嬉しくもあり申し訳なくもあるが、今私の頭や感情を支配しているのは先程出て行ってしまったばかりの三木君だった。
「今度、壁の歩き方教えてやるよ」
「はい?」
進藤がわけのわからないことを言う。疲れているのだろう。可哀想だ。なるべく私もサボらずにがんばろうと奮起しようとするが気分が上がらない。
好きです、なんて言葉を間違えたか。また私は彼に迷惑を掛けてしまったのかもしれない。
私の胸中など推し量ることもなく進藤がにやにやと続ける。
「寮の壁に結構広い取っ掛かりがあるんだよ。それ伝って行けば普通に窓から侵入できる」
「……何を言ってるのですか」
「夜這いすりゃいいじゃん」
進藤がさらにあほなことを言う。
「私は夜這いなどそういったことを気軽にできはしませんし、夜這いするにも権利があります」
「なんだよ。俺だって夜這いなんてしねえよ。ただ、お前がしたがってそうだったから言っただけ」
「別に、私は夜這いなど興味がありません」
当たり前のことを伝えると、進藤はふてくされた様子で「残念」とひとこと言った。
「からかわないでください」
「別にからかってねーって。君のこと好きですよ、がきらきらしてたから言っただけだよ」
「きらきらってなんですか」
「恋の擬音じゃねーの」
「私に恋されても三木君は迷惑ですし、そもそもそのようなあれではないですから」
「ま、良いけどよ。けど、仲良くなりたかったらめげずに突撃。これしかねーよ」
進藤は生徒会室に戻る、と言ってすっかり明るくなった教室を出て行った。それを幾分立腹した気持ちで見送る。私の心を迷路の中に突っ込んで、進藤はひとりでさっさと行ってしまったのだ。
「待ってください。私も行きます」
悠々と前を行く黒い背中を追いかけながら、私は自分が寮の壁をよじ登っている姿を想像していた。
しかし、待て。
想像をかき消すように首を振る。
初めはやはり普通の場所で謝罪から。
まずは好きですと言って固めてしまったことを謝ろう。
そして許してもらえたら――
都合の良い妄想に自然と口角が上がる。
そのことに気づいて私は慌てて笑みを引っ込めた。
進藤の背中はまだ遠い。