早寝記録

落ちた心臓の行方

 夏から、宮田君と二人で過ごすことが増えた。学校が終わって寮に戻ると、用がないのに互いの部屋を行き来したりする。

 今日も寮の食堂で夕食を済ませた後、「来る?」と言ってくれた宮田君に甘え、彼の部屋に来た。

 適当につけられたテレビの画面には、よくわからない吹き替えの映画が流れている。
 よくわからないのは、最中に風呂を借りたりしてたから。途切れ途切れにしか観ていないから、内容がわからない。

 宮田君も同じだろうに、楽しげに画面を見つめている。

 時刻は22時を回った。
 宮田君の部屋に来てから二つめの映画が始まったが、今度は席を立ったりしていないにもかかわらずあまり内容が頭に入ってこない。

 二人がけのソファに並んで座り、映画を観ている。他の人たちにとっては普通のことかもしれないが、俺にとっては、以前では考えられないような状況。

 無為な時間を俺と過ごすのを選んでくれる人なんて、今までいなかった。
 俺の顔がタイプだから、と誘って来た趣味の悪い女や男はいたけれど、こんな風に何もしないで許されることなんてなかった。

 だからこそ、ただ存在しているだけで許されている「今」がなんたがくすぐったく、いたたまれない気がしている。


 いつから宮田くんのことをじっくりと見ていないかわからない。このことに気づいたから、宮田くんがテレビの画面を見ているのを良いことに、じっと観察してみた。
 「取締の歩く見本」。彼がよくこう呼ばれるのを知っている。ころころ変わる派手な髪の色に、痛そうな所にあけられたピアスの数々。今は外しているけれど、耳とか舌とか眉のとことか、顔だけでもいたるところに穴が空いていて、自分をいじめるのが楽しいのかと思うほど。今もよく見れば眉や鼻にぽつんとした穴が見える。耳には付けているのかな、と気になり、俺は無意識に宮田くんの耳にかかる髪に手を伸ばしていた。
 触れてしまい、柔らかな感触を認めてから、自分が何をしたのかに気づき、とっさに手を離した。

「どうかした?」
「なんでも……」

 あるだろ。なんでもないのに触るとか、理由がないのに触って良いのは恋人くらいだろう。引いた手を宮田くんに伸ばす。
 宮田くんは特に嫌な顔はしておらず、黙って俺が何をするのか見守っているように見えた。
 薄い茶色。まるでキャラメルのように甘そうな髪の毛に触れ、耳が見えるように避けてみた。

「ピアス付けてるのか気になって」

 髪を避けて顕になった首筋は、まだ細い俺のものとは違い筋がしっかり浮いた男のもので、なんだかそわそわする。
 基本的に、宮田くんは大人っぽくて男らしい容姿をしている。制服の着こなしや、身につけるものが激しく、他者に怖い印象を与えているが、素顔は甘い感じに整っている。斜めに流した長い前髪で目元が見えにくいけれど、宮田くんの格好良さに気づいている生徒が集まってこっそりファンクラブを結成しているらしい。
 結論を言えば、鎖状のピアス……一本の鎖が耳に開けられた幾つもの穴をくぐらされていた。それは蛇のように耳全体に巻きついている。

「これっておしゃれなの?」

 素直に尋ねると、宮田くんが子どもを相手にするように笑った。
 俺の口調や態度は常に一定だ。今の言葉もからかい混じりであれば許されるが、今の俺の言い方で尋ねた場合、高い確率で相手を不快にさせてしまう。
 少し考えたらわかるのだが、わかるのはいつも口に出してからで、言う前には気づけないことが多い。人が簡単にできることが俺には難しい。
 
「橘はどう思う?」

 逆に聞かれてしまった。

「俺、装飾品とか一切つけないし、興味もないからわからない」
「確かに自然だもんね。橘は」
「無頓着」
「恭弥が見た目は爽やかってよく言ってるよ」
「あっさりしてるってこと?」

 言うと、宮田くんが今度はおかしそうに笑った。

「そのまま、爽やかって意味なんじゃねえの」

 夏から、宮田くんは笑ってくれることが増えた
 自惚れでも何でもなく、俺が話し掛けることが増えたから。普通なら他人に話さないようなことでも宮田くんには話している。何を他者と共有するのが「普通」なのかわからず、変だと思われたくなくて考えていることも自分のこともあまり人には言わないで来たけれど、どんなことも伝えれば宮田くんは喜んでくれるようだから、とりあえず言うことにしている。

 宮田くんがおもむろに自らの耳に手をかける。長くて綺麗な指がするすると耳に巻き付く鎖を外していく様がなんとなくいやらしい。
 やがて鎖がすっかり外された。先の尖った一本の細い鎖だ。ピアスなのだから嵌めても痛くないのかもしれないが、どこにも穴を開けたことのない身からしたらとても痛そうに見えた。

「見た目が怖いと結構便利なんだよ」

 宮田くんが長い前髪をかき上げる。一瞬間現れた素顔はやはり男の俺から見てもかなり整っている。みんな綾音とか坂上の容姿をほめそやすが、俺からすると宮田くんも負けていない。むしろ勝ってる。

「近寄りがたいから、余計なやつは寄ってこねえし、楽」
「喧嘩売られない?」
「橘あんまり出歩かないからわかんねえかもしれないけど、そこまで治安悪くない場所だと、どんな格好しててもあんまり喧嘩は売られない」
「そうなの?」
「ああ。……ちなみに、地元どこ?」
「黒鉄だよ」
「くろがね? そっか。そういえば、安心安全タチバナ製、だもんなあ。家」
「まだ、そうだね」
「まだ?」
「高校出たら、自由に生きるつもり」
「今は不自由?」
「精神的に」

 あまり考えたことのないことだった。そうか、俺は高校を出たら自由に生きるつもりなんだ。自然と口からこぼれた言葉が、自分の本心だということに気がついた。
 まだ一年あるけれど、たった一年で宮田くんとこうして並んで時間を潰すこともなくなるのか。

 冷めているとわかっているスープに手を伸ばす。半分ほど残っているスープを一口で飲み干した。味はわからなかった。

「冷めておいしくないでしょ」
「別に」
「別にってなんだよ」

 また宮田くんが笑う。俺はなんて返したら良いかわからず、なんとなくいたたまれなくなって、もう何も入っていないカップに口をつけた。無意識に存在している宮田くんへの疚しい期待が、底に僅かに残ったあまりと一緒に体の中に入ってくる。

 ずっといっしょにいてくれないだろうか。

 果てしなく難しい願いを自覚している。一心同体だと信じて疑わなかった双子の弟にさえ捨てられる俺が、血のつながりも何もない「ただの友達」に抱く願いとしては行き過ぎたもの。

 ふと、夏に俺を慰めるために一緒に寝てくれたことを思い出す。友達の添い寝、などと呼ぶかわいらしいものではなかった。
 暗闇の中、体を重ね、汗を共有してひとつの動物になったような錯覚をさせてくれた。
 いや、錯覚ではなく、あのときだけは俺と宮田くんはひとつの「何か」だった。
 ほとんどの理性は排除されて、他のほんの少しのところで唯一視覚で認識していた互いのことだけを考えていたはず。少なくとも俺はそうだった。

 テーブルにカップを置く。やけに大きな音に聞こえた。
 宮田くんなら、俺が何を言っても大丈夫。ずっと一緒にいることは一緒に死なない限り叶わないけど、卒業までというはっきりとした期間を設定すれば、その間だけは「ずっと」一緒にいてくれる。

「宮田くん」
「何?」

 カップを握る自分の手が僅かに震えている。なぜかわからなかったが、手を膝の上に置き、宮田くんと自分の視界からそれを隠した。

 言いたいことはわかっている。言おうとしている言葉がある。
 さっきスープを飲まなければ良かった。場を持たせる方法が消えてしまった。

「言いたいこと、間違えた」
「はい?」
「……日本語変だった。言おうと思ったことあったけど、くだらないことだったからやめた」

 テーブルに置いた空の器を見つめる。空だったそれは、くだらない俺の思いですぐに一杯になる。隣にいる宮田くんがじいっと俺を見ているのがわかる。視線は全てを焼き尽くす炎の光線となり俺に穴を開ける。穴の空いたところから、心臓が落ちてゆく。見られていることが落ち着かないせいか、それはどくんどくんと脈打って、やがて破裂するだろう。
 こんな妄想をしている俺の様子をおかしく感じるだろうが、優しいから突っ込んでこないはずだ。

「くだらなそうには見えねえけど」

 つっこまれた。空の器から宮田くんに視線を移す。長い前髪で片目が隠れている。ふと、また素顔が見たいなと思った。
 さっき宮田くんがしたように、手を伸ばして彼の前髪をそっとあげてみると、望んだとおり端正な顔が現れた。
 俺の突拍子のない行動にも宮田くんは特別な反応を見せず、ただ受け入れてくれる。

「数秒で、大事なことがくだらないことに変わったんだ」
「そんなことある?」
「あったよ」
「教えて」
「恥ずかしいことだから」

 宮田くんは余計知りたいなと難しい顔をした。
 今、無抵抗に髪を掴まれている彼と、彼の顔を見たくて、許されているのをいいことにこんな行動をとっている俺は友達なのだ。たくさんいた方が褒められる、そんな関係の中にいる。

 ふいに宮田くんに伸ばしている手を掴まれた。俺とは関係のないところで勝手に動いていたものが自分に触れている。支えるものを失ってはらりと舞った髪の毛によって再び顔が隠れてしまったが、残念に思う暇はない。何か言わないと、この状況はまずい。だってこれは――

「お、俺全然格好良くないから、たまに見てみたくなったんだよ」
「俺を?」
「宮田くん、格好いいから」
「……んなこと普段言われねえよ」

 宮田くんは見え透いた嘘を吐いた。

「怖いとは言われるけど」

 ――確かに。

「そ、それ考えると風呂上がりの宮田くんが一番格好よさがばれる。今、何も付けてないし」
「じゃあ、誰も気づかねえな」

 ひどくおかしそうに笑う宮田くんを、一体俺はどんな気持ちで見ているのだろう。宮田くんは俺からどんな反応が返ってくると思っていったのだろう。予想なんて何もせず、ただ自然に任せて口に出したのかとも思ったけれど、主に夏から彼は俺がほしい言葉ばかりをくれる。俺が喜ぶさまをストックしていって、それをもとに次の言葉を選んでいるとさえ感じられるほど。

 宮田くんと俺の手が所在なく宙に留まっている。離さないでほしいと思うのは友情ではない。かと言って、恋でもないだろうが。
 俺は宮田くんのことが特別好きだけど、周りを見渡してみた時に、恋をしている人たちと俺とではぜんぜん違うような気がするのだ。

「どうしようかね、この手」

 宮田くんの声にはっとして遠くに行っていた意識を戻す。
 彼は余裕の笑みを浮かべて自らの手と、それが掴んでいる俺の手を眺めている。彼に掴まれている俺の手はまるで「物」で、宮田くんは所有者のようだ。今にも俺から彼に掴まれている手だけが離れていってしまうように感じたが、もしもそうなったら俺の本体は別れていった「手」そのものになる。
 どうしようかと宮田くんは言った。
 汚らわしい手ですが、よろしければお食べください。
 こんなこと、変態を極めた言葉だから言わないけど。ああ。やっぱり俺は魚になりたい。できれば、骨まで食べられる美味しい魚。白身が良い。

「橘……」

 頭上から宮田くんの声が降ってきて、いつの間にかうつむいていたことを知る。同時に、燃えるような頬の熱さを思い出した。握られている手はすでに感覚さえも失っている。ちら、と見上げると、もちろん宮田くんがいる。

「う、うああ」
「どうしたんだよ……。先に触ってきたのはそっちなのに」
「なんか……寝るのより恥ずかしいんだけど」

 ポロっと出た。びっくり。今まであの夏の日のことをぶり返したことはなかったのに。
 宮田くんも俺も意識して口に出していなかったのに、ほとんど無意識にぺろっと言ってしまった。
 掴まれていない方の手で頭を抱える。

「橘の恥ずかしさの基準って……」

 呆れたように言う宮田くんに、今度は頭を抱えるという重要な役割を担っていた方の手を掴まれた。
 しかも、つかむ、なんてものじゃない。つなぐ、と言えるように指が絡んでいる。恋人繋ぎの亜種みたいなやつ。

 冬に、恭弥くんが悩んでいたことがあった。綾音とキス以上のことをすべきかどうか、付き合っているくせに彼はこんなことで真剣に悩んでいたのだ。
 そんなの、ケツにちんこ入れるだけだと俺は答えたし、現にいやらしいことは人間割と誰とでもできると思う。愛や好意がなくても、人間の三大欲求に入っているくらいだし、本能のせいにできる。キスだってそうだ。大抵の場合、あんなの単なる前戯だろう。だけど――

「て、手をつなぐのはだめだって……」
「恥ずかしい?」

 こいつ、「恥」を知らないのではないかと疑うくらいなんでもなく問われてしまう。今の俺の様子は客観的に見てかなり奇怪だろう。今まで耳を見たり顔がよく見えるようにと恥知らずにもペタペタと触っていたくせに、手を掴まれた途端これだ。恥ずかしくない、とは答えられない。ということは理由を述べなければならないのだろうか。恥ずかしい理由を伝えるのは恥ずかしくて、でもまた恥ずかしがったら更に恥ずかしがっている理由を求められる。

「理由が、いるから」
「理由?」
「手……とかは、本能より、理性が勝ってる」

 わけがわからないのか、宮田くんが黙ってしまった。

「手を繋ぐのと、ただ抱きしめるのは、よしやろう、と思わないとできないことだから。あ。例外もあって、今の宮田くんは俺が先に触って、それをどけるためだから違うってわかってるけど、お、俺にとってはちょっと……」

 特別な行為で、まだ誰ともしたことがない。
 もしも俺のことを好きな人と手を繋ぐとか、ただぎゅうっと抱きしめられるとか、そういう状況に陥ったら俺の心臓は止まるだろう。だから、宮田くんが俺のことだけを好きだったら俺はすでにこの世におらず、少しだけ高いところから俺を殺した宮田くんと、幸せな顔をして死んでる俺を見下ろしている。

 宮田くんは何も言わない。ついに引かれただろうか。宮田くんは黙ったままだから、俺が何かしら喋り続けないと、手を繋いでじっとしているという、これ以上無いくらい恥ずかしい状況が出来上がってしまう。

 離してほしい、と言うか、もしくは力尽くで外そうとすれば、まあやってできないことはないけれど、恥ずかしささえなければ俺にとっては幸せな状況だから自ら外すことなんて出来ない。

 早々に話すことが思い浮かばなくなる。宮田くんの顔は見れない。
 目に入るのは、やけに胸元のあいた部屋着から覗くきれいな鎖骨。

 その時突然両の手が解放された。それにあっと顔を上げると、視覚が宮田くんの顔を捉えるより先に、手を離されたことに失望するよりも前に、抱きしめられて動転する。

「……確かに」

 宮田くんが呟く。

「よしやろう、と思わないとできないね」

 宮田くんが小さく言った言葉に、急に冷静になった。

「大丈夫、だよ」
「何が?」

 宮田くんの背に回しかけていた両手で、彼の胸あたりを押すと、弱い力にも関わらずすぐに離れた。それに些か寂しさを覚えたが、俺のことだから顔に出ることはないだろう。

「今の宮田くんのは、ただ試してみただけだから。俺が妄想して築き上げた、少女漫画みたいなのとは違う」
「妄想して築き上げてたんだ?」
「……」
「難しいな」

 難しいって何が。聞いたら教えてくれるのだろうが、そこまで気にならないので聞かない。

 冷静になったら、やりたいことができた。
 宮田くんのことは相変わらずよくわからない。見た目を怖くしている理由は今日わかったが、今も彼が本当は柔らかい人物なのか、優しいけれど棘のある人なのか判断がつかない。
 それでも宮田くんは俺が何をしようとも愛想を尽かさずにいてくれることを知っている。俺の言動をからかったりするけれど、俺を殺す凶器になると思っているのか、「変」という言葉だけは使わないでいる。

 お尻をずらして宮田くんににじり寄る。肩がくっついた。少し体勢を変えて、正面からぴたりとくっついてみる。お風呂あがりだからか、清潔な、いい匂いがする。
 少しして、背中の下の方に手が回ってきて満足した。
 このあと、いやらしいことは起きない。

 宮田くんは俺を意味のわからないやつだと思っているだろうけど、これが今俺が宮田くんからもらえる最大限に幸せなことだ。こうして受け入れてもらっていると、自分が肯定されている気分になる。
 調子に乗って、宮田くんの背に腕を回す。しばらく、ただただ幸せだけを享受した。

「……なんか、むらむらしてきた」

 抱きしめる力を強くして、宮田くんがどうにもならない感じで呟いた。
 うそぉ。
 妄想して築き上げてきた、欲を伴わない愛みたいなものの幻想が崩れ去る。
 でも嫌な気分ではない。なぜなら、乙女チックな妄想とは別のところで、俺はいつも宮田くんが俺に欲情してくれたらいいのに、と期待していたのだから。