お日様
矢野に10分待ってもらって作った原稿用紙を見ながら、購買へとまっすぐ伸びる道を歩いて行く。
今日は天気が良く風も吹いていて気持ちのいい日のはずなのに俺の胸の中は大荒れだった。雷鳴轟き風神様が唸っている。
「この島からは、卒業するまで出られません。出られるのは年三回、春休みと夏休みと冬休みだけ、です。部活動は大会のみ出場できますが、監視がひどい、です。もう少し外部との接触に緩かった時、年に25件、誘拐事件が起きてから出島禁止になりました。……矢野くんも、事情があって転校してきたと思うから、わかると思うけど」
「そうっすね」
不自由な学校生活に少しでも潤いを、ということで、厳しくなってから俺達の学園は旧校舎ひとつを残して建て替えられた。生徒会室のある棟から購買へ続く道も、西洋の素敵なお庭のようにメルヘンチックだ。
今だって俺達はバラが咲き乱れるアーチをくぐっている。
入学してくる生徒たち全員が戸惑うのに、矢野は周りには目もくれず俺の手元にある原稿を凝視していた。
「あのー、ヒメ、さんだっけ」
「……鏡です」
「鏡?」
「名字……さっき、あだ名付いたけど、名字でいいから」
ていうか、名字が良いから。
「ふうん。名前は? 名前なんてえ……なんて言うんですか」
「敬語じゃなくても良いよ。俺は」
別に気にならないし……と許可したが、矢野は苦々しく顔を歪め首を横に振った。
「だめっすよ。年功序列っつうの? 縦社会は大事にしないと痛い目遭うから」
「遭ったの?」
「じゃなきゃこんなとこ来ないですって」
「それもそうか」
ここで、名を尋ねられていたことを思い出す。ちらりと矢野を見上げると、矢野はまだ俺の作った原稿を見ながら時折眉間に皺を寄せている。矢野の手がページを捲る時、手と手が触れた。冷たかった。
「令……」
「はい?」
「名前、れいって言う」
「へえ。なんか、ぴったりっすね」
「え?」
「いかにも繊細です! って感じの顔してますもん、あんた」
「昔はデブで坊主だったよ」
俺の告白に矢野が驚く。形のいい目が真ん丸になった。
「冗談っすか? 真面目な顔してるからわかんねえ」
「冗談じゃないよ。名残、見る?」
原稿を矢野に押し付けて、肩まで腕まくりをする。
「触ってみて」
矢野に二の腕を差し出す。矢野の冷たい手が俺の二の腕を触った時、その冷たさに身震いした。
「すっげー。ぷるんぷるん!」
「だいぶ頑張ったんだけど」
「気持ちいいからいいじゃないっすか」
そう言って、矢野が笑った。
爽やかな、今日の天気みたいな笑み。
(うわ……)
衝撃だった。わからない。ただ、衝撃を受けた。初めて彼の笑顔を見たからかもしれない。
心臓が俺の心を置いて騒ぎ出す。
「これ、もらっていいっすか?」
笑みをほのかに残し、矢野が原稿をひらりと振った。
「なんかこの学校すごい変わってそうなんで、あとからゆっくり見ます」
「いいよ」
「どうも」
矢野はちゃんとお礼を言って原稿を折りポケットにしまうと、歩調を早めた。それに俺が付いていく。
「道、わかるの?」
「一本道じゃないっすか。分かれたら教えて下さいよ」
「うん」
ずっとまっすぐだけど、と言いそびれたが、着いたらわかるからいいだろう。
「あ、鏡さん……!」
呼ばれた方向を見ると、下級生らしい生徒がふたり前方からやって来る。
軽く頭を下げてやり過ごす。
矢野が胡散臭い目を彼らに向け、手元の原稿に目を落とした。
「これっすか? この学園には親衛隊というものに所属している生徒が多く存在していますがどのような存在かは想像してください、ってやつ」
「そう。彼らが入ってるかはわからないけど、結構女の子みたいな子多いし、そうじゃなくても、その……この学校、校内恋愛が盛んで。知っての通り男子校なんだけど」
「ふーん。レイさん、鏡さん人気あるんですか」
「顔だけは、なぜか」
「可愛いっすもんね」
「よく言われる」
なんて言うのはどうかと思ったが、認めないと生徒会なんてやっていられない。生徒会は自薦なしの他薦のみ。平たく言うと人気投票の選挙は閉鎖空間で生きる生徒たちの楽しみの一つとなっている。
けど、選ばれた方は散々だ。元々友達の少ない俺は騒がれるのだけ我慢すればいいけど――
「矢野」
「はい?」
「生徒会役員には、あんまり近づかないほうがいいよ」
嫉妬されて、面倒くさいことになるから――
と言ってしまってから気づいたが、アホか俺は。
「それ、もう無理じゃないっすか」
「……ごめんね」
すでに理事長の許可をもらい終わっただろう白石と、今頃親衛隊に説明しているだろう谷中の姿が目に浮かぶ。
矢野はひとつため息を吐いて原稿を読み進めていた。