早寝記録

号外

 人に何かを頼むのは恐ろしいことだ。
 断られたら、呆れられたら、嫌われたらどうしようと、いつも勇気が出ない。

 最後に人に頼みごとをしたのはいつだったろう。わずかにずれている遮光カーテンをきちんと閉めつつ考える。

 幼くも頼れる顔が浮かんできた。
 昨日、矢野が来てからよく思い出す。
 幼馴染で、俺がいじめられていたときずっと一緒にいてくれた。顔も体つきも女の子っぽくて俺よりも小さかったくせに傷だらけになってまで助けようとしてくれたこともある。
 中学校で離れてしまうことがわかった時、外見でいじめられることがないようにと、ダイエットに付き合ってくれたのも彼だ。減量できた最大の原因はその友達が春休みが始まった途端寮に行ってしまってさみしくて食事が喉を通らなかったからだけど。

 俺が最後に頼みごとをしたのは彼だ。俺は彼に甘えきっていたから。

 お互い携帯電話なんて持っていなかったこともあり、小学校を卒業してから今まで連絡したことはないが、元気だろうか。俺のことを思い出してくれることはあるだろうか。

 深いため息が出た。
 もし思い出してくれることがあっても、良い思い出としてではないだろう。良いやつなのに、いじめられてた俺とばかりいたから学校にほとんど友達作れなかったし。
 一度、聞いてしまったことがある。
 放課後の教室で、彼とクラスメイトが話をしていた。俺は一回帰ったあと、忘れ物に気づき戻ったのだった。

「きょうや、なんで鏡とばっかいんの?」

 そのクラスメイトが俺に何かしたことはなかった。彼は、ただ不思議そうにたずねていた。

「なんでって、仲良いから」

 そう恭弥君は答えた。

「お前と仲良くしたいやついっぱいいるけど、鏡といるから仲良くできないんだって」
「ふーん」
「ふーんって、それだけ?」
「うん? だって他になんていえば良いの」
「きょうや、鏡以外に友達欲しくねえの?」
「別に。それにおれ、いじめっ子って嫌いなタイプ」
「すきなやつはいねえよー」
「おれからみたらお前もいじめっ子だよ」

 このあとも会話は続いていたようだったが俺はそれ以上聞くことなく、忘れ物も取らずに帰った。
 どうせたいしたことのないものだしいいや、と思って。

 思い出すと、またため息が出た。ため息をつくごとに嫌なことが排出されればいいのにと本気で思う。
 彼は俺といた事でたくさんのものを犠牲にした。俺といなければきっともっと楽しい小学校生活を過ごせただろう。
 人に頼ることが恐い。
 してくれようとすることには嬉しさを感じるが、自分からお願いすることは出来ない。

 俺は、恭弥君に何度も「いっしょにいて」とお願いしていた。彼は「もちろん」と言って俺を甘やかした。その結果、優しくていいやつなのに俺以外の友達は出来ずじまいで――

(わかった)

 俺が、矢野を気にするわけ。

 彼は恭弥君に似ている。口調だけじゃない。仕草や雰囲気がかぶる。だから友達になって欲しいし、彼が嫌がらせをされたら守りたいと思うんだ。
 俺は、矢野で恭弥君への罪滅ぼしをしたがっている。

 矢野を矢野として見ていないということだから、俺は最低だ。

 その時、ベッドに投げっぱなしになっていた携帯電話が光った。真っ暗の中をその光を頼りに進む。手を伸ばせば壁に電気のリモコンが掛かっているが、取るのさえ面倒くさかった。

 電話の画面には海部の名前がある。

「はい」

 名前を確認してすぐに出ると、海部が元気よく名乗った。

『鏡、今ひま?』
「ひまだけど……」

 彼が名字で呼んだことに驚きつつ答える。今は何もしていない。というよりも、もう日付が変わったし、寝ようと思っているところだった。

『暇なら部屋に来いよ』
「うん」

 けど、そんなのは関係ない。パジャマ代わりに着ていたTシャツと短パンのまま何も持たずに海部の部屋へと向かう。

 海部の部屋は俺の隣の隣だ。俺達の住むフロアには住人のわりに部屋が多いが、寂しいためみんな固まって住んでいる。この学校はやたらと無駄な部分が多いが、金持ちの考えることを理解しようとするのはつかれるから、俺はただ与えられたものを当たり前のものとして受け入れることにしている。

 ノックもせず、ドアを開ける。
 俺が来るからか、彼の部屋には鍵が掛かっていなかった。
 玄関に明かりは点いていなかったが、リビングから漏れた光で辺りはよく見えた。

「海部、上がるよ」

 靴を脱いでから声をかけると、リビングへと続くドアから海部がひょっこりと顔をのぞかせる。

「早かったじゃねえか」

 海部が手を伸ばし玄関の明かりを点けた。

「電気つけなくて良いのに」

 苦笑してもう慣れ親しんだリビングへとおじゃまする。相変わらず綺麗な部屋だった。ものは結構あるのにきちんと整頓されている。散らかるのを防ぐために極力物を置かない俺とは違う。

 ソファに座った海部に促され、彼の隣へと腰を落ち着ける。お尻が心地よく沈み、気持よかった。

「寝るとこだった?」

 瞼を下ろした俺に海部が尋ねる。

「寝ようかな、とは思ってたけど、ひまだった」
「そっか」

 海部が笑うのを目を開けて窺い見る。頬が上気しているからもしかしたら風呂上がりなのかもしれないと思った。
 海部には色々聞きたいことがある。
 まず、矢野をどうするのか。
 それから、どうしてキスなんてしたのか。
 からかっただけだと思っても、聞きたかった。俺の知っている海部はあんなに突拍子もない事をする男ではない。

 保健室で矢野に付き合った後、結局生徒会室に行かず、彼を部屋まで送った後俺もそのまま寮へ戻った。海部からは先生との話があり生徒会室に来るのは遅くなると聞いたし、白石は慶也と消えた。谷中は親衛隊の集会日だしで、俺ひとりでいてもつまらない。
 それに、残っていた記録は放課後までに終わってしまったから。

 なんとなく、隣にいる海部に寄りかかる。触れていると安心できるのだ。海部とふたりの時はよくこうしてただ時間を潰している。無音で、ゆっくりしているこの時間が好きだった。

「海部」
「何」
「矢野はただの多数決要員にすんの?」

 俺の質問に、海部はああ、とまるで気がない返事をくれた。

「多数決っつっても、流れとかわかってなきゃちゃんと考えれねえだろ。別に強制はしないけどできる限り参加してもらうつもりでいた」

 海部の答えに俺は安堵した。多数決の時だけなんて寂しすぎる。友達付き合いとかもあるだろうから無理はしないで欲しいが、これでまだ仲良くなれる。

「なんだよ。随分と嬉しそうだな」

 海部がにやりと笑った。なんだか、矢野絡みの時は彼はよくにやにやとしている気がする。

「嬉しいよ。多数決の時だけなんて寂しいから」
「なんだよ。なんか面白くねえなあ」
「なんで?」

 やはり面白そうに逆のことを言う海部に聞いてみる。彼は意味有りげな笑みを湛え、だってよお、と続けた。

「初めてだろ、こんなに気にかけんの。つまんねーよ。俺たちだけのレイちゃんがさあ」

 からかわれている。なぜかしらないがむっとした。

「怒んなって」

 海部がからりと笑って俺の頬を両手で挟んだ。そして顎を上げられる。キスでもしそうな体勢だと思った。

「ねえ、どうして」

 キスなんてしたの? と聞こうとしたが、それは叶わなかった。海部がまた唇で俺の口を塞いだから。その行為は自然に行われた。彼はそっと微笑んで静かに顔を寄せてきたのだから。

 短いキスを終えた後、海部がふ、と笑った。

「鏡さあ、もし俺がお前とこれ以上のことがしたいです、って言っても断れねーだろ」
「これ以上……」

 聞かれて、考える。
 人からは非難されそうだけど、きっと断らない。

「きっと、そのうち言うよ」

 海部の指が俺の頬を撫でる。もうすぐ生まれそうな、すぐに壊れてしまう卵でも触るような慎重さで。
 なんで、と理由を問いたかったが、もしも彼が俺を好きだとしたらこんな回りくどいことはせず単刀直入に告げてくるだろう。
 それをしないということは、俺には恋愛感情を持っていないということ、だと思う。
 一年ちょっとの付き合いだけど、海部は意外とまっすぐな男だということを俺は知っている。

 勝手に傷ついた俺は、慰めを欲しがるように浅ましく彼の胸に顔を埋めた。