早寝記録

セーラー服を

 矢野が転校してきてから一週間、時は予想外にも穏やかに流れている。
 海部の根回しが大きいのか、単に矢野が恨みを買わない性格なのか――
 
 いや、海部の根回しだろう。それと、俺の忍耐力。

 俺は学校が終わってからかれこれ3時間微動だにしていない。それだけならまだいい。俺は今あろうことか女の子用のセーラー服に身を包み、にやにやといやらしい笑みを浮かべている男の前に座っているのだ。しっかりとポーズを決めて。
 横座りをし、半開きの唇に親指を当てる。自分で自分を見ることができなくて本当に良かった。

「いいねえ、レイちゃん。まじで良いよ。中性って最高だよね。オレ、3時間興奮しっぱなし」

 黒縁のおしゃれな眼鏡の向こう側でギラついた目がさらに光る。身の危険を感じたが、俺達生徒会は秘密裏にこの男に矢野を守ってほしいと依頼している。守る立場の男が俺を襲うわけない。例え前科があっても――だ。

「もうすぐできるよ……レイちゃん。ああ、この絵、いくらで売れるかな……」

 男の目が別の意味で輝きを増す。

「売るの?」

 思わず声が出る。
 しかしこの変態――三春(みはる)は動いた俺を咎めなかった。きっと、口は描き終えているのだろう。

「売るよ」
「絵を?」
「絵を」
「写真じゃなくて?」
「風紀が卑猥な写真を売れるわけねーじゃん」
「……絵ならいいんだ」
「漫研の奴らも売ってるし、別に出しちゃいけないとこ出してねーから」

 あっけらかんとしている三春に心底呆れかえるが、絵もケンカもこいつの実力は確かだ。それに、風紀委員会副委員長であり、俺達の寮灯火寮の寮長でもある。三春を味方につけられたら灯火寮での矢野の安全は守られる。
 固めすぎると逆に反感や嫉妬を買うかもしれないが、そこは三春のことだから上手にやってくれるだろう。
 にやけた口元はそのままに、三春の表情が真面目なものへと変わる。

「レイちゃんさー」
「何?」
「これ終わったら俺とイイコトしようよ」

 真剣な目をして何を言っているのか、俺には理解できなかった。

「まっすぐ帰る」
「イイコトだよ? イイコト」
「言い方がおっさん臭いよ」
「おじさん気持よくしてあげるよ? 上手だから」
「いらない」

 おっさんが楽しそうにくすくすと笑う。それから、せわしなく動かしていた絵筆をおいた。

「よし、完成!」

 俺はさっさと帰ろうと、固まった体を少しだけほぐした後喜ぶ三春の横を通り抜けて部屋から出ようとした。しかし横を通り抜けようとしたところで三春に腕を掴まれる。
 にやにやと笑う顔に苛立ちを覚えた。

「そのままで帰んの?」
「どうせ誰もいないから。みんな生徒会室にいるし、慶也だって風紀室でしょ」

 それに、一般生徒は俺達の住むフロアには入って来れない。広いフロアに住んでいるのは生徒会役員と、風紀の役職者だけだ。元生徒会役員や風紀委員長らは、隣接するまた別の寮にいる。

「気が向いたらいつでも待ってるよ」

 セーラー服のままで帰ろうとする俺の後ろ姿に三春が投げかける。

「じゃあね」

 三春の軽口に挨拶だけ返して彼のいる居間から出る。こういう時、軽く返せない自分が嫌になる。三春に迫られたことは何度もあるけど、彼はむりやりに何かをしてくることはほとんどない。それに三春は変態で強引だけど良いやつだから苦手だけど嫌いじゃない。
 白石ならどういうふうにかわすだろうか。
 谷中だって軽くかわしてそのあと三春と笑い合える。

(それなのに俺は……)

 俺は何も言えずにムスッとするだけだ。
 無意識に握りしめた手に力が入り、手のひらに爪が食い込み痛かった。
 最悪。本当に最悪だ。
 人と接すると自分の悪いところばかりが目について本当に嫌になる。俺はこんな自分になりたかったわけじゃない。
 小学生の頃、人に好かれたかった。やせて見てくれが良くなったって、中身が変わるわけじゃない。卑屈な性格はずっと変わらない。

 玄関で靴を履き、憂鬱な苛立ちをそのままドアにぶつける。勢い良く開けられたドアは俺の手を離れ、戻ってきた。そのわずかな隙を縫って外に出ようとしたが、間に合わずにドアにぶつかり上がりかまちに尻もちをつく。

「ぷぷ。レイちゃんだっさー!」

 少しだけ開けられた居間の戸から顔をのぞかせた三春が茶化す。

「自分でもそう思う……」

 しかも、スカートが捲れてパンツが丸見えになっていた。白石から誕生日に大量にもらった色とりどりのボクサーパンツ。
 どうして今日は苺柄を履いてきてしまったのだろうか。
 惨めだ……。


 膝に手を当ててぐずぐずと立ち上がる。

「ていうか、レイちゃん服オレの部屋で着替えたじゃんか。忘れてるみたいだけど」

 出来る限りのしかめっ面で踵を返し三春のいる居間へと戻る。

「オレとイイコトする?」
「しない……」

 にまにまと変態臭い笑みを浮かべる三春を見ながら、俺はありえないくらいの疲労を覚えていた。