白紙
「もう少しで6月だな。6月行事と言ったら何がある? 白石」
会議室にしている生徒会室の小さな応接スペースで、一人がけの椅子に悠々と座った海部が偉そうに顎で促す。
もう慣れきっている白石は全く気にする様子なくうーん、と首を傾げた。
「6月……ねえ。模試……くらい?」
「次、谷中」
「なにもないね」
悩みに悩んだ白石と違い、谷中が考える素振りも見せずあっさりと答える。
海部がにやりと笑った。
「そうだ。何もない」
海部の言葉に白石が「なんだよそれー!」と抗議の声を上げ、ソファに背中から倒れこんだ。ソファの背もたれと一緒に俺も沈む。
「何もないっつうのは、チャンスなんだよ。これから一年、行事に命かけてるここの生徒たちを満たすため、俺達は身を粉にして動かなきゃなんなくなるだろ。その時あくせくするよりも、今のうちにできることはやっといたほうが良い。なあ、ヒメ」
「そうだね」
「けど、できることってなにある? 毎月の生徒総会の原稿作り? 毎月寄稿する新聞部へのコメント?」
白石が唸る。
「あほか。まずは7月の球技大会と7月か8月の精進合宿の起案に決まってんじゃねえか」
「……精進合宿?」
当たり前のように「精進合宿」の言葉を出した海部に対し、怪訝な表情を浮かべ矢野が呟いた。
そりゃそうだろう。家柄が素敵だったりエリート街道まっしぐらだったり、反抗期真っ盛りの少年たちに「精進」なんて似合わない。
しかし海部は満足気だった。
「裏山で生徒たちの甘えた性根を鍛え直す。今の世の中物で溢れかえってるからよ、それなしで生活すればなんか変わるだろ。まあ、1週間くらいやりたかったところ、3日になったけど」
「サバイバル好きなんすか?」
「別に? なあ、ヒメ」
「海部は人がアワアワしているところを見るのが好きなんだ」
はぐらかして答えようとしない海部の代わりに答えると、彼はおかしそうに笑った。
「ただやるだけじゃあなあなあになっちまうから、チーム戦にしようと思ってる。どんなことにするかはみんなで話し合いたい。どうだ?」
海部の問いかけに、白石はしぶしぶ、谷中は微笑みながら了承した。元々好戦的なのか、チーム戦ということばが谷中をやる気にさせてしまったのかもしれない。
「矢野は?」
何も言わない矢野に海部が問うと、矢野はなぜかハッとしたように海部を見た。
「俺は……多数決要員でしょ」
「なんだよ。つれねえなあ。訊くくらいいいじゃねーか」
海部は笑いながらテーブルの端の方に置いてあった白紙の紙を自らの前に置き、ペンを持った。
本当はこういう細かな話し合いの時にメモを取るのは俺なんだろうけど、自分からは言い出せない。
俺が書くよ、とひとこと言えばいいだけなのに、気心が知れていたとしても、複数人人がいる中で自分から話すことが怖かった。
「さて、どうする? 何をやるか、何人組みにするか、組み合わせ方法、決め方も項目も様々だ」
「僕達のテーマは下剋上にしようよ」
一人暗くなる俺をよそに、谷中が楽しそうに目を細めた。
*
「じゃあ、決まりだな」
海部が満足げに頷く。
チームは二人一組で自由参加。二人一組と三人一組で割れたが、この学校にはカップルが多く、思い出作りで参加するようなおめでたい二人がいるかもしれないーーという意見も出て最終的には多数決で二人一組にすることに決まった。
勝負は今流行ってるらしいサバイバルゲームを真似ることにした。ペイント弾で打たれたら負け。三日目にどこも撃たれていない組の勝ち。これだけだとたくさん勝者が出るが、その時はくじかじゃんけんだ。
ざっくりしすぎだけど目的は根性の叩き直しだから良いだろう。
「褒美はどうする?」
海部が字で真っ黒になったメモ紙を裏返す。
「褒美……なあ」
浮かぬ顔で白石がつぶやいた。谷中もさっきまでは楽しそうにしていたのに浮かぬ顔をしている。
「なんで一気にみんなしぼんでんすか?」
矢野が不思議そうに尋ねた。
「ここのやつらは金持ちばっかだから、物とか金じゃあ喜ばねえの。だから賞品って難しいんだよ」
「あ。そうだ、矢野はなんか欲しいものないの?」
それは、白石の何となしの質問だった。みんな矢野に注目する。
(あ……)
矢野の表情がわずかに陰ったのを誰か気づいただろうか。一瞬のほんのわずかな変化だった。
「別に、ないっすね」
「ないかあ~」
白石が俺へと倒れこむ。重くて暑苦しくて肩を押し返す。
「今まではどんな賞品だったんすか」
「人だな」
矢野の問いに海部が短く答える。
「人?」
「王様ゲームみたいな?勝てばなんでもひとついうこと聞くっての。なあ、ヒメ」
海部がにやりと意味ありげに笑う。
「あー! 去年の? けどそれでもいいかもねえ」
「あの時のヒメ、面白かったしね」
白石と谷中のふたりも合点がいったのか互いに頷き合っている。
「レイさん、何やったんですか?」
矢野が不可解な表情をして俺の顔を凝視している。視線をそらさない矢野にあの時のことがありありと蘇ってくる。
あの日、おれはある生徒に指名された。ある生徒とは俺の親衛隊長萩君……萩君はとても可愛らしい顔をしていてかなり人気があるのに、俺のことを好きすぎて周りから引かれている。とにかくテンションが高く、いつも俺を声高に褒めちぎってくれるが、近づいて来ることはない。
そんな彼が体育委員主催の裏球技大会で勝利し、俺を指名した。
『三時間見つめさせてください』
あれは地獄だった。至近距離で見つめられること。視線を外すことすら許されない。それに彼は本当にじっと見つめるだけで指一本も触れてこなかった。だから他に気がそがれることもなく、俺はひたすら彼と見つめあっていた。
矢野にあたりさわりなく説明する。矢野は一言「平和的なお願いですね」と言った。
その言葉に愕然とする。
「平和……?」
「見つめるだけなんでしょ? 平和じゃないっすか」
「平和じゃないよ!」
わかってくれない矢野に腹が立ち、俺は斜め左でだるそうに座っている彼にぐいっと顔を近付けた。そして、しっかりと矢野の目を見る。
矢野も見返してくる。
俺のあの時のいたたまれなさ恥ずかしさを知って欲しくて、周りでばかにしてくる海部たちの声は聞かぬよう、必死で集中する。
頭の中も視界も矢野でいっぱいにする。
何も考えちゃいけない。目に映るものだけを見よ、感じよ。
矢野はうんざりしたように目を少しだけ細めていた。けど、視線はそらさない。それにどうしてか胸のうちから抗いきれない罪悪感が沸き上がってくるのを感じた。
どうしてこんな感情が出てきたかはわからないが――
「ハズイ!」
これは確かだ。じっと見つめてくる矢野に負け、俺は恥ずかしくて赤くなっただろう顔を隠すため膝に顔を埋めた。
「なんだ。こんなの、大したことないじゃないっすか」
矢野がため息混じりに言う。
「その割に心臓はえーな」
「ちょっと! さわんないでくださいよ!」
「なんだよ。先輩に向かってそういう口のききかたないんじゃねーの? なあ、ヒメ」
「そうだねそうだね」
海部の問いかけにすら何も考えられず、俺はただ顔に集まる熱を冷ますことで精一杯だった。