共有願望
「このビデオカメラ、すっげー高そう」
机を挟んで俺の向かいに座った矢野が珍しそうに海部に渡されたビデオカメラを眺めている。
誰もいない空き教室。今頃各クラスではホームルームが行われているだろう。それが終われば部活動だ。
俺達はここで軽く打ち合わせをした後、一緒に部活動撮影に行く予定だった。
矢野は、操作方法は……と机の上に広げた説明書に目を落としている。
「そういえば、俺の書いた原稿みんな読んだの?」
訊いてから、これは今は関係ないことだし迷惑だったかもしれないと思った。しかも俺の書いた原稿、なんて曖昧に言ってしまった。
「ごめ」
「5回読みました。現実離れしてたから、なんか5回目まで信じられなくて」
「……そう」
「はい。けど、レイさん達の近くにいたらすぐ信じられました」
「俺達の近く?」
「すげーぎゃーぎゃー騒がれてるから」
「ああ……」
矢野が、「完璧」と呟き説明書とカメラを机の上に置いた。
まだ部活動が始まるまでには時間がある。
昨日のトイレの帰りに気になっていたことを訊いてみようか。恭弥くんに似ているからか、矢野だったら訊いたら答えてくれるという確信があった。
「矢野」
「なんですか?」
「あのさ……」
訊こうとしたが、恐怖ではなく羞恥が俺を足止めする。クズじゃない人もいるって、なんで急に言ったの? と聞くのはなんだか恥ずかしい。それに、この聞き方で本当に伝わるのだろうか。
今まで人とあまり喋らなくても良い生活をしてきたから、俺の言語能力は低い。小説とか漫画は結構読んだりするけど、虚構と現実じゃ言い回しとか結構違うだろう。
「言い難いこと?」
矢野が言う。彼の冷静で静かな語り口に俺はいつも安心を覚える。
「昨日のこと」
「昨日?」
わからないだろうに、矢野は真剣に考えてくれているようだった。申し訳なくて、けどなんて言ったら俺が聞きたいことが伝わるのかわからない。全部説明するには長くなるし、聞きたくないことだってあるだろう。俺の考えはまるで梅雨のようだから。じめじめしていて薄暗い。
「もしかして海部さんと三人の時の?」
矢野がひらめいたと言わんばかりに眉を上げた。
「よくわかったね。けど、俺困らせたいわけじゃないんだ。なんて言えば伝わるんだろうって考えてた。言い訳ばっかでごめんね」
「別にいいっすよ。あれでしょ? クズの話」
「うん」
「俺、レイさんが呟いた時、確かに人間はクズだよなあって思って」
矢野が説明し始めた。
「けど、じいちゃんはクズじゃないし。ねえ、聞いてくれます? 俺のじいちゃん自慢。誰かに聞いて欲しかったんですよ」
誇らしげでいて、少しだけ照れ臭そうに矢野が笑う。
「じいちゃん自慢?」
いつになく饒舌な矢野に、俺は内心驚いていた。驚きつつも、間をおかず深く頷く。聞いてみたかった。
小さな笑みを作り、矢野が話し出した。
「俺が一緒に暮らすようになった時にはもう隠居してたんですけど、仕事も出来るし、金持ちなのに金に無頓着だし、ひねくれてた俺をすごい溺愛してくれたし、とにかくすごい人だったんです。将棋も俺、一回も勝ったことなかった」
「矢野、大好きだったんだ」
「大好きでした。色々礼言う前に死んじゃったけど。それに、友達もいなかったから自慢もできなかったんですよ」
内容に合わず矢野はにこにこしていた。
まだ聞いていたかったが、言うべき言葉が見つからない。
「じいちゃんは、俺が何したって許してくれるって、俺わかってたんです。もし俺が凶悪事件の犯人でも可愛がってくれるんだろうなって」
それから矢野は、彼のじいちゃんがいかにすごい人物かを話し続けた。俺はにこにこしながら誇らしげに話す矢野を見ながら、なぜかどきどきしていた。
普段は愛想も何もない矢野がにこにこしている。
初日に彼と買い出しに出た時に笑顔を見た以来の衝撃を受けていた。
胸のあたりがざわざわとしているが、不快なざわつきではない。
ふと、矢野には俺がどう映っているのだろうかと気になった。今まで気にしたことなんてなかったことだ。海部には、どう映っているだろう。谷中は?
考えたら怖くなった。
自分のいいところを探そうとしてもひとつも出てこない。実際にないんだとも思う。
それよりも、恭弥くんは俺と一緒にいてくれてた間中、どう思っていたのだろうか。うじうじしているだけだった俺を、どう見ていただろう。
いつか、矢野で恭弥くんへの罪滅ぼしをしたいのだと思ったことがある。俺たちと近づいた矢野が、他の生徒達からの嫉妬や嫌がらせをされないようにすることで、恭弥くんに抱いている罪悪感から逃れようとしたのだ。
矢野と恭弥くんは似ているから。
「レイさん?」
矢野に呼ばれ、はっとする。
「ごめんね」
こわごわ謝る。話を聞かない俺に対して矢野は嫌な感情を覚えたはずだ。
「気分悪い? なんか青ざめてますけど」
「大丈夫。ごめんね」
「俺も夢中になっちゃって、すいません」
ひとつも悪くないのに謝ってくれる矢野は優しい。
どうしたら矢野は悪くなくて、悪いのは全部俺だと言うことを伝えられるだろうか。
どうして人間は間接的にしか思っていることを伝えられないんだろう。言葉も表情も態度も不完全だ。完全には伝えられない。
どうしたら伝えることが出来るか聞いてみようか。
けど、どうしたら伝わるんだろうって言葉に出すことは恥ずかしい。
矢野は馬鹿にしないだろうか。
わからない。
恭弥くんならなんて答える?
最近になって思い出すようになった彼は、いつまでたっても俺の指針だった。
思考がぐるぐるする。
なにか言わなきゃ。
矢野が教えてくれたこと、すごく嬉しかった。矢野は何も悪くない。悪いのは俺だよ。
ほんとの気持ちを伝えるにはどうしたらいいだろう。
「……矢野」
口を開き、待っていてくれる矢野を見る。俺の願望かもしれないけど、矢野の表情は俺のことが嫌いだという風には取れない。呆れられてもいない気がした。
「俺、矢野のじいちゃんの話聞けて、嬉しかった」
やっとのことで絞り出し声はひどく情けないものだった。
それなのにどうして、矢野は安心したように、優しく微笑んでくれたのだろう。