ふりだし
「らーぶらぶしてる」
頭をかき回されていると、呆れたような声が届いた。
「なんだよ矢野、羨ましいのか」
「そうっすねー。どうだろ。羨ましいんですかね?」
「羨ましいんだよ。お前この前ヒメと見つめ合った時すげえ心臓速かったもん」
「俺、いっつも速いです」
「それが本当ならお前死ぬぞ。病院いけ」
呆れた声を出す矢野の表情を見たいと思っても海部はさらに激しく俺の頭をかき回し続けているから、矢野がどんなで俺たちを見ているかわからない。
せっかくできた後輩に、呆れられたくない。できるだけ情けないところは見せたくない。
「つうか矢野、どうしたの? トイレか?」
「遅いから呼んで来いって言われたんですよ」
「誰に」
「谷中さん」
「ダメだな。あいつ。昔っからせっかちで」
「そうなんですか?」
ぽんと二度弱く叩かれてようやく俺の頭から手が離された。すこしくらくらしたが、すぐに先を歩くふたりを追う。
ふたりは俺の前を肩を並べて歩いている。
海部は強引に生徒会に誘って悪いと思っているのか、単に谷中と同じく気に入っているのか、矢野によくかまっている。
矢野はそれに面倒くさそうにしているが、おそらく嫌がってはいない。
俺は矢野に親近感を覚えていたが、最近それが間違いであることに気付いた。
最初の日に彼は人付き合いが久しぶりだと言ったが、苦手だとは言っていない。
人と上手く付き合えない俺とは違う。
俺のことをいつも助けてくれていた幼馴染だって、俺といたから他に友達がいなかったけれど、みんなから好かれるやつだった。
この変わった学校では結構ちやほやされているが、俺の性格じゃ見た目が変わればまたいじめられる。
俺のことを気に入っている人たちの態度も絶対に変わる。
(人間ってどうしようもない……)
俺だって、海部の顔が好きで近くで見ればどきどきするし、矢野のお日様みたいな笑顔を見て彼が好きになった。俺だってどうしようもない人間のクズだ。いや、人間がクズだ。
「レイさん首落ちそう」
「ほんとだ。見るからに落ち込んでる。何考えてんの?」
「人間はクズだ……」
「はい?」
なんか言っちゃった。
ふたりが驚いて立ち止まったのがわかった。
「進も」
笑みを作ってから顔を上げて、彼らの背中を押して歩みを促す。
「1分間でどうしてそんな考えに至ったんですか?」
矢野の質問に答えようと口を開くが、言ったって呆れられるかうんざりさせるか、とにかくここで俺が正直に理由を言ったって『レイさん好き!』にならないことは確かだ。
軽く返せればいいんだけど、それは出来ない。それが出来たらそもそも悩んでいないと思う。
「お。黙秘権実行してる」
「黙秘権実行されてますね」
軽口を叩いてまたふたりが前を向いて歩き出した。今度は意識して顔を上げ、二人の背中を見続ける。
ふたりは雑談をしているようだったが、ふと、矢野が声色を変えた。
「クズじゃない人も、わずかだけどいますよね」
ぽつりと発せられた言葉。海部が驚いたように矢野の横顔を見た。
「脈絡もなくびっくりした。何、いきなり」
「ずっと考えてたんですよ。雑談中」
「崇高なる会話の中で礼儀のないやつだな、お前」
「ごめんなさーい」
「いらっときた……」
矢野が「そうでしょうね」と生意気に笑う。
どうして矢野が話をぶり返したのかわからなかったが、続きを聞くより前に生徒会室に着いてしまった。
それから急遽顧問から依頼された仕事についてみんなで話し合っている時も、俺は気になってしかたがなかった。
「じゃあ、映像の編集は白石、文章とか構成は俺と谷中、各部活動の動画撮影はヒメと矢野。動画が集まるまで白石は軽音部と吹部でBGM録音――で今週中に終わるな。なあ、ヒメ」
「うん。余裕」
ほとんど聞いてなかったけど、とは言わない。呆れられてもいいからあとで俺と一緒の係らしい矢野に何をするか聞こう。
「けどさあ、ほんとに良いの? ヒメ」
白石が心配そうに俺の顔を覗いてくる。
「何が?」
「え!? だから、海部の決めた係でいいの?」
「うん」
「ほんと? なんで? 大丈夫?」
普段と比べてやけにしつこいなと不思議に思いながら、俺はもう一度海部の顔を見た。
「なあ、ヒメ。もしかしてお前俺の話聞いてなかったのか? 俺、このセリフ最近言った気がする」
「ヒメのぼーっとさがレベルアップしたしね、最近」
谷中に「そうでしょ?」と笑いかけられた。
俺は困ってしまった。みんな俺の言葉を待っている。聞いてた、と言うと絶対内容を聞かれる。それに、白石と、笑ってはいるけれど谷中も心配そうな目で俺を見ていた。それが俺を不安にさせた。
海部はそれほどのことを言ったのだろうか。
聞いてなかった、ごめんね、と言おうとしたが言えなかった。
怖くて言えなかった。
今、みんなが俺の言葉を待っている。
昔から「言葉」というのは俺の最も恐いものだった。言葉を放てば人の表情が変わる。俺が話せばみんなうんざりしたような表情になることが多かった。
話したくない。ずっと黙っていたい。空気になれたらいいのに。
そうすれば、何もしなくても人のそばに居られる。ひとりじゃないから寂しいこともない。
じんわりと手のひらが湿っていく。膝の上で握りしめていた拳はわずかに震えてしまっていた。それに気がついて手を開く。机の下にあるから、誰にも気付かれていないはずだ。
「各部活動に行ってビデオで撮ってくる」
「……びでお……」
「谷中、説明」
「僕が?」
「そう、僕が」
「まあ、いいけどね。ヒメ、よく聞きなさい。さっき二人がいない時に顧問が生徒会室に来たんだ。深刻なことが起こったって。今年の新入生、ほぼ帰宅部か親衛隊一本なんだよ。だから、どの部活も部員不足らしい。まあ、漫研とか軽音部とか、困ってないところもあるけれど。けど、だいたい困ってる。それで、一週間後に臨時集会を開いて、そこで各部活動のプロモーション映像を流すことで部員確保を狙うんだってさ。わかった?」
「うん、ありがとう」
話の内容もわかったけれど、俺は普通に声を出せたことに安心した。
「で、ヒメ、できるか?」
海部がゆっくりと確認するように尋ねてくる。
「ビデオ撮影……」
しかも、プロモーションのための撮影だ。ただ活動を撮ってはい、終わり、にはできない。海部は真面目だし、海部だけじゃなく白石も谷中も真面目だ。前生徒会はカリスマの集まりと言われていたが、俺達は近年稀に見る平和で真面目な生徒会らしい。だから結成してわずか1ヶ月にも関わらず顧問を通して結構やるべきことが舞い込んでくる。
ここで俺ができないと言ってもやっぱり海部は「しょうがねえなあ」と笑って変更してくれる。
けど、それはだめだ。今のままでも十分なのに出来ないと言ったら俺は完璧に生徒会のお荷物になってしまう。
できるよ、と一言いえばいい。こんなに悩むことじゃない。もういじめられてた時の俺じゃないんだから。顔だけだけど、一応たくさんの人に選んでもらって生徒会に入ってる。俺が撮らせて下さいって言ってもみんなちゃんと撮らせてくれるから。
必死に思い込む。中身が何も変わってなくても俺はもういじめられっこじゃない。恭弥くんがいなくたってこれまでやってこれたじゃないか。大丈夫だよ。大丈夫。
こう思うのに俺の口は思うように動いてくれない。
どうしよう、また、机の下で拳を作る。
「できますよ。俺、人見知りしないんで。一人じゃないんだし大丈夫じゃないっすか?」
全身が石のようになって動かない俺の代わりに、矢野があっけらかんと言った。