早寝記録

ヒメ

 学校保有の小さな船に乗り、海を渡る。もちろん海部も一緒だが、迎えに来た教師により海部は船の中の小部屋へと連行されていった。恭弥君のところから約束の船着場に戻る途中、監視の目をかいくぐりこっそり海を渡ったと言っていたから怒られているのだ。
 申し訳無さを感じている……とは思うが実は微妙なところだ。申し訳無さよりも、来てくれて嬉しいという気持ちのほうが大きくてむずがゆい。
 船着場に現れた俺と海部を見て教師が怒りよりもまず呆れた目をくれたというのも大きいと思う。それなら多分海部は叱られるだけで済むから。
 ただ、それでもなにもしないわけにはいかない気持ちになって、出港して10分くらい経ったところで俺は小部屋のドアを叩き、ドアノブをひねった。
 小部屋は狭く、普段は生徒たちの荷物を置く場所に使われている。そこに海部と教師は向かい合っていた。教師は風紀委員会の副顧問で、ゆるめの顧問とは違い、まっとうな人だ。権力には勝てない教師が多い中、たとえ世界的企業の社長子息であっても悪さをすれば全力で叱ることの出来る数少ない教師のうちの一人。
 まだ30代前半と若く、密かに慕っている生徒も多いらしい。
 小部屋の中で海部と教師――細矢が向かい合っている。海部は俺を見て少しだけ驚いだ表情をした後わずかに顔に苦笑を浮かべた。その姿も格好良く、一瞬見惚れる。細矢は終始呆れた目をしていた。

「鏡は入ってくるんじゃない」

 細矢が言う。

「けど、俺の、せいだから」

 細切れだったがどもらずに言えた。後ろ手にドアを閉め、ふたりに近づく。

「ちゃんと君の怪我具合や帰島予定について説明していたのに、海部は教師の目を盗み脱走、あまつさえ……いや、これは俺は知らない。お前がどうやって海を渡ったかは学校側は知らないことになってる」
「ありがたい話です」

 しれっと海部が細矢に向かって言った。

「お前は……」

 細矢がもうどうしようもないというジェスチャーをし、俺の横を通りドアへと向かう。

「戻ったら反省文だ」
「脱走手段はどう書けばいいですか?」
「愛が暴走してなんとか泳ぎきれたとでも書いておけ」

 投げやりな言葉を残し、細矢がドアの向こうへと消えた。
 ふたり残された室内に沈黙が降りる。

「罰金とか海保とか、覚悟してたんだけどな」

 はは、と笑い、海部が丸窓のある壁に背をつけ床に座った。

「どうして来てくれたの? ……トウマくんから連絡来たって言ってたけど」
「鏡が恭弥の学校に行くからって言ってルイさんと別れたって話聞いたのもあるし」

 海部が一旦言葉を切る。そして、穏やかな笑みを浮かべながら、けれども少しいいにくそうに話を続けた。

「でも、恭弥と鏡が会うのが心配だったってのが大きい」
「……心配? っていうか、海部、恭弥君と友達だったんだね」

 仲良さそうに話していたふたりを見てさっきは驚いた。小学生の頃恭弥君は海部と友達だと俺に言ったことがなかったし、海部がトウマ君と仲良しだということも知らなかったから海部と恭弥君の2人に接点なんて何もないと思っていたのだ。

「友達ってか、トウマと遊んでる時に何回か恭弥とも一緒になってことがあるだけ。そのあと何回かケンカに負けたとことかに出くわした」
「そうだったんだね」
「この5年間で恭弥がもしひねくれてたらやばくねえかって思って、気付いたらバイクに乗ってた」

 そんな心配いらなかったけど、と海部が苦笑した。

「トウマくんから恭弥くんのこと聞いたことなかったの?」
「何度か聞いたけど、休みになっても家に全く帰ってこないから知らねえって言われた。俺だって会いてえよとかそこからトウマの愚痴が延々と続くから最近はずっと聞いてねえ」
「そっか」

 海部は足を床に投げ出して壁に背を預けていた。穏やかな表情だが、ぐったりとした様子は彼が疲れていることを示している。もっと海部の近くに行きたくなって、海部の隣に腰を下ろす。膝を立て、俺も壁に背中を付けた。冷たくて気持ちが良かった。
 でも少し近くに座りすぎて、肩同士がくっついてしまった。

「怪我、痛くねえの?」
「うん。肉の壁が守ってくれた」
「もう肉ねえじゃん。つうか痛えだろ。上から落ちたって聞いたし」
「でも、言うほどじゃないよ。だるいけど、痛みは激しい筋肉痛みたいな感じ」
「痛いな、それ」

 海部が眉を顰め、壁に付けた背を浮かせ、おそるおそる俺の肩に触れた。海部の手は俺の肩にそっと触れているだけだけど、傍から見たら、もしかしたら俺が壁に押し付けられているように見えるかもしれない。こう思うと緊張した。心臓が高鳴り、顔が火照る。
 真面目に心配してくれているだけなのにこんなことを考えるなんて俺はきっとヘンタイだ。こんなに近いのに、今ももっとくっついてくれればいいのになんて思っている。

「わざと落ちたの?」

 海部の影で暗くなったことに心地よさを感じながら、おかしなことを考えているとふいに海部に聞かれた。それが数日前、俺が島をでるきっかけになったことだと気が付き、正直に答える。

「怪我して島から出ようとは思ったけど、あの時は偶然。落ちようと思って落ちれてたら、もっと上手に落ちてるよ」
「なんで急に恭弥に会いに行こうと思ったんだよ」

 この問には正直に答えられなかった。恭弥君に謝って、過去を清算できたら海部に告白しようと思っていたが、いざとなると言い出せない。キスもたくさんしているし、今だってこんなに距離が近いのに、好きの一言がどうしても言えない。それに、今はもう告白するために恭弥君に会いに行ったのだと自分でも認めたくなかった。俺の勝手な告白のために恭弥君を利用したと思いたくなかったのだ。いくら思いたくなくても理由が変わることはないが、この俺の狡い心を海部には知られたくない。どう答えよう。嘘は吐きたくない。

「……ま、答えなくてもいいけどさ」
「な、なんて言っていいかわかんないんだ。けど、いつか言うよ」

 好きだって!

「良いって。なんでもかんでも俺の言うこと聞かなくてもいい」
「聞きたい!」

 苦笑する海部に勢い良く叫ぶ。ふと、白石の犬が頭に浮かぶ。なんでもいうことを聞きたいとしっぽを振っているようで、自分が本当の犬のように思えてしまった。
 海部は困ったように笑い、おれの頭を撫でた。高校生にもなって頭を撫でられるなんて恥ずかしい気もしたが、本とかでよくいい大人の恋人同士が頭を撫で合う姿を見る。お、俺と海部はキスとかするけど友達同士だから、それには当てはまらないけど。自分の妄想が滑稽で撫でられているのとは別の意味で恥ずかしくなった。

「海部を従えてやる、くらい思っても良いよ。鏡がどうなっても俺、嫌いになんねえから」
「そんな――」

 ひどく優しく海部が言って、俺の肩に置いていた手を頬へと移した。元から近かった顔が更に近づき、無意識の内に目を閉じると、唇に柔らかな感触を覚えた。いつもならすぐに離れていくそれは中々離れていかず、心地よい熱が徐々に体の奥、胸のあたりから沸き上がる。海部が少し口を開き、おれの唇を優しく食む。俺もそれに応えるように、海部の首に痛む腕を回し、閉じていた口を開いた。
 その時、急に「おい」という細矢が俺たちを呼ぶ声がして、慌てて離れる。すばやく立ち上がり、ドアを開けると、両手にお盆を持った細矢が立っていた。お盆の上にはお弁当と水が入ったコップがある。
 体の火照りはまだ継続しており、俺のおかしさが細矢に伝わらないだろうかヒヤヒヤした。

「まだ二時間くらいかかるからちゃんと食っとけよ」
「あ、ありがとうございます」

 教師らしい優しいことを言った細矢が俺を避け、いつのまにか立ち上がっていた海部にお盆を渡した。どうも、といって海部が受け取る。
 
 その後は持ってきてくれた昼食を食べ、ぼうっとして過ごした。
 だいぶ経った頃、丸窓から外を覗くと、俺達の島が遠くに見えた。長期休みでなければ出られない、まるで監獄のような島。世間知らずの金持ちや、自由にのさばらせられないようなやつらの青春の6年間を奪う場所。
 だけど、島が見えた時ほっとした。家へと帰るような、そんな思いだった。