早寝記録

帰還

 令さんが怪我をして島を出てから3日が経った。それから、俺はなんとなく朝と放課後を船着場で過ごしている。会長も消えたから、生徒会室ですることもないし。

 放課後の海はキラキラと輝いていた。少し早い気もするが、夏の太陽が海を輝かせているのだ。それにしても、船着場のヘリに腰掛けてどこまでも続いていそうな海を見ていると、本当に閉じ込められている気がしてくる。自分の職業を忘れそうになる。高校生なのか、囚人なのか……。

「また、鏡を待ってるの?」

 答えを出す前に声をかけられ振り向くと、別の意味でキラキラと輝いている人が顔に微笑みを湛えながら立っていた。少し前に、朝早く散歩をしていた時に出会った元会長、首藤葵。どこか外国の血が混ざっているらしく、肌は白く、髪の毛はどんな大スターも憧れるような天然のストロベリーブロンド。それでいて顔の造りは白人ぽくない。だからといって日本人とも思えないのだが、海部を日本人の最高位の格好良さとすれば、こいつはファンタジー世界の最高位の美しさ。何の加工もなしにファンタジー映画のなんか幻想的人型生物の役ができると思う。

「あは。無視された」

 首藤が笑いながら俺の隣へと座る。はじめ、彼が地べたに座ることに驚いたが、朝の散歩で出会ってから結構一緒にいるようになり潔癖そうな見た目と反し、何事もあまり気にしないことがわかった。

「別に、令さんを待ってるわけじゃない。」
「そうなの? 惚れてるかと思ってたけど。だからケナゲに待ってるんだなあって」
「惚れてる? そんなんじゃねえっす」
「そう? まあ、矢野は転入生だからね。感覚が普通だよね」
「……別に、ふつうじゃないですよ」
「ふうん?」

 首藤の琥珀色の目が俺を優しく捉える。色素が薄いくせに目は日本人のそれで、こいつの遺伝子はぐっちゃぐちゃだなと思った。科学で解けない謎はないなんて言われているが、こいつを見てると人間の神秘に勝てるものはないなんて思えるから不思議だ。人間ぽくないからか、こいつには他の人になら躊躇うようなことを言えた。

「俺、好きとか嫌いとか、あんまりわかんないから普通じゃない」
「初恋まだなの?」
「まだっすよ。可愛い顔が近くにあるとかだったらそりゃあどきどきはするけど、好きだから付き合いたいとかそういうの思ったこと無い」
「好きだな、キスしたいなとか」
「ないっす」
「嫌いだな、殺したいなとか」
「それもないっす」
「珍しい人間だね」
「よく、感情が死んでるって言われてました。実際、自分でも思うけど……」
「どっかがおかしいんだろうね」

 楽しげに首藤が笑う。人のことをおかしいと言ってこんなに愉しげに笑える首藤だから俺もこんなことをぺらぺらと言えるんだと思う。こいつは気を遣ったり、そういった高等技術は全く持っていないから。だから安心して言える。

「俺も会長だった頃は結構暴君とか言われて普通じゃなかったけど、普通にあったよ、性欲とか憎さとか。海部なんていじめたくて仕方ねえもん」
「令さんは?」
「鏡?」
「いじめたりしなかったんですか。なんか、中学の時自分の補佐にしてたとか聞いたけど」
「補佐にするくらいだから気に入ってたよ。いじめてなんかいない」
「ほんとに気に入ってたんだ。可愛いから?」

 聞いてみる。答えてくれるかわからなかったがとにかく気になった。いじめもせず、こいつのいう性欲の対象にもしていなかったようだから、どうしてこいつが令さんを補佐に置いていたのかが気になる。
 首藤ははぐらかしもせずに、笑みはそのまま浮かべながら天を仰いだ。青い空に浮かぶのは答えではなく雲だけだろうが、しばらく眺めた後、急に笑みを深めた。答えも空に浮かんでいたらしい。

「だめだこいつ、早く何とかしないと」
「はあ? どっかで聞いたセリフだけど」
「まあ、こう思ったんだよ。人に対してこんなこと思ったの初めてだったんだ」
「はあ……」

 そう言って、首藤は懐かしそうに目を細めた。

「自分は自分、人は人。俺以外の誰が不幸になってもいいし幸せになってもいい。どんな人生を歩んだって関係ない」
「まあ、そうっすね」
「けど……なんか、きっかけはよく思い出せないけど、このチビ、これからどうやって生きてくんだろうって思ったんだ」
「へえ」
「白石とか会津が色々世話焼いてるのは見ててわかったけど、ああいうタイプはちやほやしても何とかならない」
「で、補佐にしたんすか」
「事務系の鬼にして将来は雇ってやろうかと思ってね」
「優しいじゃないっすか」

 呆れたように褒めてみると、首藤はあたり前だろうと言って笑った。
 顔を首藤から外し、また海を見つめる。
 令さんを羨ましく思ってしまったことを忘れようと、透明なのに青い海を眺めた。
 海が青いのは空の青さが映っているから、なんて気持ち悪くなるようなロマンチックなことを前に聞いて、少しわくわくしながら本当なのか確かめてみたら、まあ、それも原因の一つだったけど説明がとてもじゃないがロマンチックのかけらもなく興ざめした。こんなことをなぜか思い出す。
 首藤は俺が令さんのことを好きなんじゃないかというが、彼の言うことは間違っている。俺は令さんには好意というよりも羨ましさを感じているから。
 令さんは人見知りをこじらせていて、弱気で、いつも俯いてビクビクしている。小学生の時にいじめられていたとちらりと聞いたことがあるが、いじめられていたくせに歪んでいる所なんて何もないように見える。まっすぐで優しくて、みんなから大事にされている。
 はじめは令さんは俺と一緒で何にもできないやつだと思った。それに、時折寂しそうな目をする彼に親近感を覚えた。でも、違った。
 首藤と出会ってからまだそれほど長い時間は経っていないが、首藤は自分勝手だ。それなのに人が首藤を憧れの眼差しで見つめるのは、彼が自分勝手ささえ魅力に変えるような強烈な光を放っているから。
 そんな首藤さえ、令さんには優しくしてやりたいらしい。
 令さんが羨ましい。ひねくれまくって性格の悪い俺ですら彼の無事を願い、海の向こうに船を探してしまう。本当に羨ましくて恨めしい。
 独りでいた俺を引き取ってくれた祖父が死んでから、楽しいとか悲しいとか腹が立つとか、羨ましいという感情も全部死んで、俺の心は平坦になった。楽しいのは幸せな感情だが、幸せな感情にだって負の感情は常に付きまとう。楽しいことも嬉しい事もいずれ終わり、思い出した時には必ず悲しくなるだろう。だから感情なんて死んだままでよかったのに、前に、谷中に言われて会長とレイさんを迎えに行った時、レイさんに触る会長を見て、俺は珍しい感情に襲われた。ちょっとだけ、いいなあ、と思ったのだ。それは多分嫉妬。それからちょっとしたことで少しうれしくなったり、悲しくなったり、今みたいに腹が立ったりしてしまう。最悪だ。

「確かに、恋する顔じゃないね」
「はあ?」
「睨んでる、海」
「そうっすか?」
「何考えてるの?」
「どうでもいいじゃないですか。暇なだけでしょ、あんた。俺が何考えててもどうでもいいじゃん」
「言いにくいことなんだ」

 首藤がからかうように小さく笑みをこぼし、俺を横目で見た。

「あんた、なんなの。ドSって奴? それとも単なるいじめっ子?」
「はぐらかした」
「つうかさ、いう必要ねえじゃん」

 沈黙。
 首藤は何も言わない。この間に俺は自分の言ったことを思い出していた。
 クソ生意気だ。
 だけど性格上謝ることもできずに、ガキを見るような保護者の顔で俺を見る首藤から顔を背け、海に目を遣る。

「帰って来たようだね」

 首藤がふっと息を漏らす。
 海の向こうに黒いシルエット。令さんが帰って来たのだ。