点
反省文で済めばいいがと思いながら、やたら豪華な校門の前でひたすら待つ。
会長自ら脱走なんて、前代未聞の事態だ。俺としてもこんな場合を想定していなかったが、去年なんとなく取ったバイクと小型船舶の免許が役に立つなんて思ってもみなかった。
びびりだから、俺のしたことを改めて考える。今俺は恭弥の学校の校門前に座っているが、昨日からあまり思考できていない。
まず、昨日の朝、鏡が階段から落ちて病院に運ばれた。念のためだと教師は言っていたがそれでも心配で、検査の結果と怪我の具合を教えてもらった時は心底安心した。実は、病院には俺が付き添うつもりだった。朝、いつものようにキスをしてしまったあと、鏡が何かを呟いて、様子が変わってそのまま階段から落ちた。落ちる直前まで一緒にいたのだから、ついていかせてもらえると思ったのに。
まあ、それはしかたない。鏡の無事もわかったから、俺はおとなしく待つつもりだった。来週の月曜には戻ってくるらしいから、戻ってきたら階段から落ちるなんてばかかよと笑ってやろうと思っていた。それなのに――
『レイちゃんが恭弥のところに行きました。ルイさん(レイちゃん姉)のもとから脱走したようです。それはそうと、レイちゃんって恭弥の学校知ってたっけ?』
なんてメールが恭弥の兄、昔陸上少年団で一緒だったトウマから届いたのだ。ルイさんと友達で恭弥の一番上の兄がトウマに連絡したらしい。
高校に入ってから知ったことだが、鏡の姉と恭弥の一番上の兄は仲良しで、彼らが中学の頃からよく連絡を取り合っていたらしい。取り合っていたというか、鏡の姉が恭弥の兄に木戸家に遊びに行った時の鏡の様子をよく聞いていたとのことだ。
恭弥の兄が直接鏡に聞けばいいのにと言っても、鏡の姉は嫌われてるから聞けない、と言っていたとか。
鏡は家族に大事にされていないと思っているが、少なくとも姉には大事にされている。恭弥の兄と仲が良いことすら言っていないし、人伝に聞くことでも無い気がして本人には言っていないが……。
そもそも、俺は臆病すぎる。恭弥の兄ちゃんと友達だってことも告げて良いはずなのに、恭弥の兄と仲良しだから同情して自分と仲良くしてくれるんじゃないかとか、変に勘ぐられるのが嫌で言っていないのだ。
恭弥との約束を果たすために鏡と同じ高校を探しだして編入し、近づいたのは事実。だけど、そんなこと関係なしに今は鏡自身が好きだし、いいやつだと思ってる。
トウマが、鏡が恭弥の学校を知っているか聞いてきたのだって、鏡に過保護な俺をからかってだということも知っているが、トウマには知らないことがある。
トウマは恭弥が小学校を卒業し寮へと旅立つ時、恭弥がどんな思いでいたかを知らない。もう帰ってこないと泣いていたことを知らない。
去年4年ぶりに彼は里帰りをしたらしいが、それ以前は誰が何を言っても決して家へと帰らなかったようだ。
恭弥について思い出すのは、寂しさと不安で泣いているように見えた小さな背中。
どんなに強くても、寂しさと不安は時として人を変えてしまう。
俺がここに来たのはもちろん鏡のこともあるが、恭弥にも会いたかったからだ。あいつなら大丈夫だと思う反面、底知れぬ不安を覚えたのも本当だった。
で、勢い余って走りだし、気付いたら学校所有の水上オートバイにまたがって、バイクをレンタルしちゃってたわけだけど……。
「か、海部?」
うつむき、地面と友達になっていたところで、男にしては高めの、澄んだ声が降りかかった。
「わあ。本当に来たんだ。あんた、すっげー過保護なのな。笑える」
知らない声。人を小馬鹿にしたような皮肉げな調子は変わっていないが、声変わりすらまだだった当時と比べて声はだいぶ低くなった。
顔を上げると、攻撃的なプリントのパーカーに黒いダボダボしたジャージを履いた鏡と、すっかり男になった恭弥が並んで立っていた。
「……久し振りだな」
「ど、どうして海部が……」
混乱を極める鏡とは反対に恭弥は声と同じ、皮肉げな笑みを浮かべている。あんなにかわいかったのに、Tシャツに下はスウェット姿でポケットに手を突っ込んでいる恭弥は明らかに取り締まられる側だ。正義のヒーローには見えない。よくみると昔のように整った顔の造りだが、悪役っぽい表情がそれを隠している。
「トウマから連絡入ったんでしょ。あいつ、夜に俺のとこにもメール寄越してたもん。レイちゃんと会えた? って」
「トウマくん……?」
「龍騎と仲良いから。でも、なあ。そっか」
「なんだよ」
「いやあ、なんか、付き合ってんの? 友達こえて」
「はあ!? あほか!」
「そうだよ恭弥君あほかだよ」
「ごめんね。ここ、実はホモばっかだから俺危険脳なんだよ」
はは、と恭弥くんが悪役っぽく笑う。
「今の笑い、憎たらしすぎ……」
「よく言われる。つうか、冗談だから気にしないで」
「な、」
「まあ、今の反応見たら俺、勘違いしちゃうけど。ふたりとも怒んないで慌ててんだもん」
「きょう」
「レイちゃん、俺、龍騎と内緒話あるからちょっと離れて耳塞いでて」
恭弥が俺の呼びかけを無情に遮り、鏡に命令する。
「うん、わかった!」
鏡は顔を輝かせ、斜面を十数メートルほど駆け下りる。
「じゅ、従順すぎだろ……」
「かわいいよね」
呆れつつ、改めて恭弥と向かい合う。やはりあの可愛かった恭弥の面影はない。生意気な目は当時のままだが、可愛さは消え、地味ながらも格好良く成長している。
「龍騎」
「なんだよ」
「こんなこと言うの恥ずかしいけど、俺、やっぱレイちゃんのこと大好きだわ」
「……そりゃ良かった」
『性格だって、気弱だけど、いっしょうけんめいで、優しい』
恭弥が旅立った日、目に涙をいっぱい浮かべながら声を震わせた恭弥を思い出した。鏡のことを俺は全然知らなかったくせに、こんなふうにこいつが言うならそのとおりなのだろうと思った。
中学の時、なんとか鏡の言った学校を探しだして、高1で半ば無理やり友だちになった。そうして、恭弥の鏡に対する評価が何も間違っていないことを知った。
付け加えるなら、そこに、エロくて可愛い、も加わる。
なんて、こんなことを大真面目な顔して俺が思っているなんて知らない恭弥が、彼にしてはひどく優しく笑った。
「約束……ありがとう」
照れくさそうに恭弥が頭をかく。恥ずい、と言う彼の顔は少し赤い。俺は、咄嗟に言っていた。
「約束、破りそうだ」
恭弥が正面を向き、ぽかんとした顔で俺を見る。
「鏡に惚れた」
言ったら引かれるかもしれないとは思った。思ったが、止められなかった。
恭弥は何も言わない。さっきと同じ表情でひたすら俺を見つめる。目を逸らしたい自分に気づくが、敢えて視線ははずさない。
しばらく黙って見つめ合う。癪なことに、背の高さは昔ほど開きがない。もう高2だからおそらく恭弥に越されることは無いだろうが。
その時、鏡が小さくくしゃみをした。
思わず俺たちから離れたところにいる鏡に目をやる。恭弥も釣られて鏡を見た。
鏡は体を揺らしながら、俺たちに背を向けている。寒いのかもしれない。林に向かって体を揺する姿は、少し滑稽だ。
はは、と短く恭弥が笑う。
鏡から恭弥に視線を移すと、恭弥が目を細めて鏡を見ていた。
それから、俺に顔を向ける。意志の強い目でキッと見られると、同い年なのに背筋が伸びる感じがした。
「もし龍騎がふられたら、今度は俺が慰めてやるよ」
「……振られねえし」
「ああ、そうなの? 自信あり?」
「まあね。しつこさには自信がある」
「ストーカーかよ!」
恭弥が吹き出す。でも、そうかもしれない。中学の頃は恭弥との約束を果たすために鏡の行った学校を探していたが、その時の俺の執念は谷中や、両親までもが引くほどだった。
「でも、いいんじゃねえの」
「何がだよ」
「俺としては、どこの馬の骨かもわかんねえ女にレイちゃんがだまされるよりは、お前と付き合ってほしい」
「馬の骨って、古いな」
「いいじゃん。本気だもん。龍騎だったら安心だ」
「なんでだよ。俺、いいやつじゃねえのに」
「いいやつだって。俺、恥ずかしいから言いたくねえけど、お前にすごい感謝してるし」
「感謝?」
「レイちゃんと仲良くなってくれるって言ったじゃん」
「……あんなガキの約束、本気にしたのかよ」
「あれ? 龍騎は本気じゃなかった?」
「……本気だったけど、鏡の学校も知らねえのにさ。……よく、信用できたな」
「大人より、子供の約束のほうが信用できるよ」
「人間不信思考、変わってねえな」
「そうでもないよ」
は、と恭弥が笑った時ちらりと鏡が俺達の方を見たのが視界の隅に映る。寒そうだ。早く駆け寄り、こんな時のために持ってきた上着を掛けてやりたい。
心が軽くなっていた。
恭弥は昔と変わらず恭弥だったし、今までの悩みが消えていくようだった。
恭弥は鏡にとってヒーローだった。だけど、事なかれ主義の昔の俺にとってもヒーローだった。
彼は自分の心に正直で、いじめられても鏡といることを止めなかった。俺は嫌われないように傷つかないように空気を読むことばかりを考えていたから、憧れたのだ。
それなのに今の俺はどうだ。
自分の心に嘘を吐き、鏡のためだと言い訳をして、また傷つかない方に向かっている。
――鏡に一番の友達ができるまでは告白しない。
傲慢な考えだ。好きになってもらう努力もせず、都合の良い御託ばかりを並べ立てて逃げている。鏡の怪我が治って覚悟を決めたら告白しようと決意する。
「……今度、連絡しても良いか?」
「うん。遊びに行こうよ。レイちゃんも。俺、夏休み帰る予定だし」
「じゃあ、その時に」
「うん。……俺、もう帰らねえって言ったくせにね」
「別に良いだろ。元気そうで良かった」
「まあね、楽しくやってる。俺、レイちゃんの服持ってくる」
「あのやたら攻撃的な服は?」
「貸す。あげたいけど、もらいもんだからあげれないし。俺の部屋で着替えてもらってもいいけど、帰したくなくなるからなあ」
「良いよ。俺も抜けだしたから時間はある」
「お前も来る気!? 嫌だよ。頭お花畑の男好き共が騒ぐ」
笑い、恭弥が校舎へと駆けて行く。その姿を見て、鏡が寄ってきた。
「海部」
「服持ってくるってよ。その服は貸すって」
「うん」
「……迎えに来た」
「うん。ありがと」
鏡がふわりと微笑む。予想外に礼を言われ少し驚いた。
「ずっと、待ってたの?」
「ああ。正面から行って恭弥いるか聞いたら、授業出てねえっていうし。で、昨日寮に綺麗な子来たっつってたから鏡だなって」
「ありがと」
鏡がまた嬉しそうに笑う。
ふと、かつて恭弥が目いっぱいに涙をためながらもう帰らないといった光景が鮮やかに蘇った。おとなになるまでレイちゃんとは会わないと言って泣いている少年を、俺は助けてやりたいと思ったのだ。
少しは、助けになれただろうか。
事なかれ主義で逃げてばかりの何の価値もない俺が恭弥と鏡の助けに少しでもなれたとしたら、それだけで俺が生きてきた意味がある気がした。