罪
いつの間にかすっかり眠ってしまっていて、目がさめた時には良い匂いが漂っていた。時間を確認すると、もう朝の9時。そして、今日は平日。そういえば何も考えてなかった。
やばいと思い勢い良く飛び起きる。平日に眠りこけたまま起きないなんて非常識にも程がある!
「恭弥君!」
共有スペースへと転がるようにして出ると、テーブルに日本の朝! という感じの朝ごはんを並べている恭弥君がいた。
「すごい!」
鮭が良い感じで焼けてる! 味噌汁にも豆腐が浮いてるし、ご飯も艷やかだ。あ。焼き海苔まで用意されてる。
「おいしそう。和風だねー!」
「おはよ、レイちゃん」
「おはよー」
ってそうじゃないだろ!
「恭弥君、ごめん!」
「何が?」
恭弥君からは驚くほどなんの焦りも感じないが、時計を確認するとやはり9時を過ぎている。
「学校! 俺、平日に突然来ちゃったこと忘れてたんだ。朝早くに帰れば良かった! 全く気づかなかった。ごめんね!」
言うと、恭弥君はなんだそんなこと、と少しだけ笑う。
「今日はサボるつもりだし。レイちゃんに来て欲しいとこあるから」
「俺に、き、来て欲しいとこ?」
「昨日レイちゃんの話聞いて一通り満足したから、今日は俺が自虐トークすんの」
「自虐トーク……?」
「そう」
恭弥くんがからかうように笑う。そして、椅子に腰掛け、すっかりそろった朝食に手をつける。
「レイちゃんも食べれば? 俺の記憶では結構遠いし」
「遠い?」
「うん。公園行こうと思って」
「公園って、よく遊んでたなんとか第二公園?」
「そ。俺達の場合、そこしか行くとこねえじゃん。ファミレスとか、補導されたらやだし」
「し、私服だと大丈夫だと思うよ」
「俺、絶対きょどるもん。怪しまれる」
「恭弥君が?」
「真面目ちゃんなんだよ。あんまさぼったこととかねーの」
恭弥君がなぜか満足気に言い、味噌汁を啜る。俺も箸を持つ。味噌汁で幸せを口いっぱいに広げた後ご飯を食べる。満たされた思いがした。
*
俺の着てきた服はまだ面接室にあるため、恭弥君から服を借りた。黒のパーカーに、ダボッとしたジャージは去年まで履いていたものだという。俺と恭弥君は今は結構身長差があるのに、借りたものがぴったりだったことに驚く。
本当なら面接室に行って服を取ってくるのが良いと思ったが、非常口から外にでて、旧校舎の裏門から敷地外へと行くと言っていた。
恭弥君は人のいない場所に詳しく、部屋から非常口に行くまでに一人生徒とすれ違ったが、それ以外で人に出くわすことはなかった。
天気はあいにくの曇天模様だった。白い雲が重なりあった空は、様々な色が散らされている町とは正反対にモノトーンで、その対比が俺を少しおかしな気持ちにさせた。過去を思うときのような、懐かしくも決して戻れないことを嘆くやりきれない気持ち。
今日の天気が恭弥君の心に何か作用したのかは彼の表情からはわからなかった。恭弥君は自然だった。昔と変わっていないように思える。
5時間に一本のバスで駅に行き、電車を乗り継いでかつて俺たちが暮らした町へと来た。お金は昨日病院で姉が何かあったら困ると持たせてくれたものがあったから借りずに済んだ。
町についてからは歩いた。怪我をしているから、バスに乗ろうと恭弥君は言ったが、なんとなく歩きたい気分だったから断った。肩は痛むがやはり足はそれほど痛まない。
とりとめのない話をしたり、黙ったりしながら懐かしい道を進む。あまり大きな町ではない。一部は栄えているけれど、俺と恭弥君の家がある地区は市街から離れたところにある。恭弥君の学校ほどではないが、小さな山が近くにあるため、山から動物が迷いこむこともあり、公園では色々な動物と遭遇した。
喋らずに歩く最中、過去に思いを馳せるが、やはり思い出すことはいじめられた思い出よりも恭弥君と過ごした穏やかな日々が多い。
市街地を抜け、山が見えてきた。懐かしいね、と恭弥君が呟く。
途中、ガラの悪い高校生の集団とすれ違った。馬鹿笑いをしている中に、なんとなく知った顔をみつける。かつてのいじめっ子と似ていたが、昔はあれほど嫌いだったのに、なぜかなんとも思わなかった。
「ほんと、世の中理不尽にできてるよなぁ……」
呆れた顔で集団を見送った恭弥君がため息を吐く。
「やっぱりあれって」
「だと思うよ。あのアホ面は忘れない。楽しそうに笑っちゃって、ムカつく」
「そうだね」
一応同意をすると、恭弥君が今度は俺に呆れた顔を向けた。
「そうだねって顔、してないよ」
「なんか、あんまりムカつかなくて」
「大丈夫? セイジンクンシみたいに生きてると、爆発するよ」
「聖人君子? かけ離れてるよ。それと俺」
「そう? けど、見かけはそんな感じ」
「そうかな」
「うん。レイちゃんを女の子にしたら、なんつうの? 女神様?」
「やだな、それ」
「すごいモテてる、俺の想像の中のレイちゃん。でも、モテすぎてかわいそう。やっぱ、男で良かったよ。いや、でも、うじうじ治ったからモテるか……」
真剣な顔で恭弥君が言うから、思わず笑ってしまう。
「うじうじするの、治ってないよ」
「治ってる。レイちゃん、俺の知ってるレイちゃんとだいぶ違う」
「……そう?」
「昨日、龍騎と仲良くしてるって迷わず言ってたし」
「え?」
「仲良くしてくれてる、じゃなくて仲良くしてるって言ったでしょ」
「うん」
「昔は、俺と仲いいんだねって誰かに言われても、恭弥君が仲良くしてくれてるって言ってたのに」
恭弥君が道の石ころを蹴飛ばす。石はまっすぐではなく、横へ転がり草陰へと消えた。
「仲良くしてるって聞いた時は嬉しかったけど、寝る時、そういえばって思ったんだよ」
「俺、恭弥君のこと、考えられてなかったから」
「ほんとだよ」
恭弥君が冗談ぽく俺を責める。
「友達だと思ってたの俺だけなのかなって、中学入りたての頃とか真面目にへこんでたし、俺。レイちゃんのこと笑えねえほどうじうじしてた」
ふざけたように恭弥君は言ったが、歩きながら覗き見た恭弥君の目は冗談を言っている人のそれではない。
返事をしなければいけないが、なんて言っていいのかわからなかった。ごめんねと言いたかったがきっと恭弥君は喜ばないし、謝ったら話が終わってしまう気がする。
何も言い返せないでいると、恭弥君がちらりと俺を見て、満足気に口角を上げた。困った顔をしてしまっていたのだろう。
「まあね、途中から、忘れたけど。いいことだけ覚えて、他忘れようとしたら成功した。……見えたね」
恭弥君が立ち止まり、町外れにある小規模の森を見つめる。俺も恭弥君の横顔からそっちに目を移すと、密集した木々の間から遊具が顔をのぞかせていた。
気づけば、あたりにもう家も店もない。山道に近いひっそりと存在する公園の周りには、誰の思い出にもならなそうな道路しかなかった。
公園自体も、木で出来た踊り場もある結構大きな滑り台と、そこから伸びた木に吊り下げられたブランコ、あとは砂場があるだけの簡単なもので、住宅街から離れた森の中にあることもあり、遊具もあまりないから、俺と恭弥君以外の子供をそこで見たことはあまりない。しかし、森の中は定番の犬の散歩コースになっていたから、危ないから近づくなと言われたことは多くなかった。
いつも俺と恭弥君が使っていた森の入り口に立つ。
昔道があった場所は、かろうじて人が歩いた痕跡があるくらいで、すっかり草が生い茂り、獣道然としていた。
恭弥君はためらうことなく草むらへと入っていく。俺も後を追う。
地面に落ちている木の枝をぱちぱちとならし、体に被さる草を掻き分けながら進んでいくと、数分もせず公園の前に着いた。
門の前には看板があり、なんとか第二公園とあるが、なんとかの部分が朽ちて読み取れなかった。なんていう名前だったろうか、となんとなしに考える。
恭弥君は、中々公園に入ろうとしなかった。ふと見ると、半袖のシャツから覗く腕に木の枝でついたであろう細い切り傷ができていた。
「怪我してる……」
指で、恭弥君の腕を少しだけ押すと、はっとしたように恭弥君が俺を見た。
「ぼうっとしてた」
「何見てたの?」
「見てたってか、負けたこと、思い出してた」
そして、恭弥君が苦笑交じりに言った。
「負けたこと……?」
「そう。昔、負けてたこと。俺、弱かったなあって」
「でも、いつも、追い払ってくれてたよ」
「……レイちゃん、俺に悪いなんて考えなくて良いよ」
「え?」
「レイちゃんは俺にいじめっこから守ってもらってたって今でも思ってるみたいだけど、俺だって普通に嫌われてた」
「そんなことないよ。恭弥くんと仲良くなりたいって子俺たくさん知ってる。直接言われたもん」
「ひとりの時に手出されることが多かった。生意気っつって。で、負けて、よくここに一人で来てた」
「……知らなかった」
恭弥君は懐かしそうに目を細め、看板の消えかけている文字を指でなぞる。
「レイちゃんがいじめられたのだって、俺が悪いってのもある」
「ないよ!」
突然、なんでもないように言う恭弥君に対し否定する。
「あるよ。俺が火に油注いだようなもんだし」
「そんな」
「俺、自分勝手だよ。俺が譲歩すればもっとクラスに打ち解けられたのに、ふたりで良かったからそれもしないで売られたケンカを買うどころかどんどん売ってったし。……まあ、レイちゃんがうじうじうじうじしてるのもあったけどさ」
「うん」
「けど、うじうじしてすっごい優しいのがレイちゃんだから、やっぱ俺と周りが悪い」
「いや、」
「ってことにしてよ。じゃねえと罪悪感がひどいんだよ」
「恭弥くんがそんなの感じることないよ」
「あるの。色々と、俺だって反省することが多いんだよ」
恭弥くんがわずかに苦々しい表情を顔に浮かべ、ふたりでよく来た公園の中に入っていった。ゆっくりと歩く恭弥くんの少し後ろを歩く。
広かった公園は実は小さなもので、よく登って遊んでいた砂場近くの木の柵は、腰掛けるのにちょうどいい大きさしか無い。落ちたら怪我をするかも、とびくびくしていたのに、緊張感のある危険なおもちゃは今や休息をもたらすイスだ。そこに腰かけてみる。
恭弥君はまっすぐに砂場へと向かった。恭弥くんが歩くたび、砂が彼の足を捕らえる。その様子を眺める。
砂場の真ん中には誰かが作った崩れかけのトンネルがあった。恭弥君はしゃがみこみ、指でトンネルをつつく。
「自虐トーク、するんだっけ」
「うん。そう。レイちゃんに、俺の懺悔を聞いてもらおうと思って」
「懺悔って、なんかものものしい」
「悔い改める気持ちだから、俺」
言って、恭弥君が爽やかに笑う。
「レイちゃん、今だけ神様仏様の気持ちになって」
「わかった」
俺も少しだけ笑って頷くと、よろしく、と言って恭弥君が話し始める。俺は、彼の言葉を聞き逃さないよう、立ち上がり、砂場に近づいた。傍に行き彼と同じくしゃがもうかと思ったが、なんとなく立ったまま上から恭弥君を見下ろすと、今俺の目の前にいる恭弥くんがあの頃の、小学生の彼のように思えた。
「俺さあ、高校入って、すっごい人気あるやつと仲良くなったんだ。顔がすげえの。超美形。性格は偉そうだし、怖いって噂だったけど、近づきたい奴が多かった」
「うん」
「でも、人気すぎて逆に中々友達できねえの」
「俺とは反対だ」
「たしかに」
恭弥くんが笑う。
「でも、今は違うんでしょ。ちやほやされてそう。世の中見た目が大事だからね」
「ダイエット成功してから、見た目でいじめられることはなくなったよ」
「でしょ? 所詮そんなもんだよね」
以前聞いた言葉。デブ、坊主と言われていじめられていた俺を見て、幼いながらに見た目が全てだと結論づけたようだった。でも、俺がいじめられる原因は実は見た目ではない。太っていても好かれる奴はたくさんいる。俺がいじめられていたのは俺がうじうじしていたから。デブというのはただ俺を傷つけるための武器のひとつでしかないのだ。
「……俺、レイちゃんをいじめてた奴ら見ながら、世の中見た目が全てで、かつ顔の良い奴は性格悪いって思ってたんだけど」
「うん」
「さっき言ったすっげー格好良いそいつ、良い奴だった」
指でトンネルとつつきながら話す恭弥くんの表情が曇る。恭弥くんの人差し指が、トンネルに突き刺さり、穴が増えていく。
「何が気に入ったんだか、俺が可愛くねえ態度取ってもいつも近寄ってきて、初めは突っぱねてたけどそれにも慣れて、ずっと一緒にいるようになったんだよ」
「友だちになったんだね」
「うん。あっちがいっこ先輩だけど」
その時、恭弥くんの眉間に皺が刻まれたのが見えた。表情は悔しげだ。
「俺、そいつと仲良くなって、どんなやつかわかったら……」
恭弥君が口をつぐむ。それから、悔しげだった表情が一瞬歪んだ。
「……俺と離れたら、そいつにもっと友達が出来るって考えるようになったんだよ。良いやつだし、怖いって噂も嘘だってみんな気づき始めてたし、いつも一緒の俺が離れたら友達増えるって。レイちゃんに言われて嫌だったのに、そのこともすっかり忘れてた。結果、あいつは平気そうな振りしてたけど、傷つけた」
「うん」
「だから、レイちゃんに謝られるとさあ……わかる? バツが悪いんだよ。俺、生意気だしいいやつでもねえからごめんなんて言えねえけど、レイちゃんが俺に謝ると、俺もあいつに謝んなきゃいけない気になんの」
「今も、仲いいの?」
「ああ。仲いいよ。見た目に似合わずアホだし、優しいから、今も仲良くしようぜってへらへらしてる」
「ひどい言い草」
憎々しげに言う恭弥くんが面白くて、つい笑ってしまう。
「ひどいんだよ、俺。レイちゃんが思ってるようなやつじゃねえの。目つきも口も悪いし、昨日は生意気に思われてるなんて言ったけど、実際生意気だし。好かれる要素ねえよ。だからレイちゃんも木戸教に入信しちゃだめだよ」
「もうしてる」
「まじかよ」
「まじだよ。ねえ、恭弥君」
「何?」
恭弥くんが、ついに崩壊したトンネルから顔を上げ俺を見上げた。少しだけ眉間に皺が寄っている。子供らしい表情だ。いつも俺に向けられていた暖かな笑みではないが、なぜか俺はその表情を向けられたことが嬉しかった。対等になれたと思ったのかもしれない。
何もしていないくせに、心に支えていたものが音も立てずに消えていく。
恭弥くんと目線を合わせたくて、その場にしゃがむ。崩壊したトンネルを挟んで恭弥くんと向き合う。
「ごめんね」
謝ると、恭弥君が思い切り顔をしかめた。
「レイちゃん、俺の話聞いてた?」
「うん。聞いてた。恭弥君」
「なんだよ」
「ありがと」
続けてもう一度お礼を言うと、恭弥君が止まった。そして、照れたように目を逸らし、意味わかんねえ、と吐き捨てた。