早寝記録

恐怖

 俺は、実はあまり泣いたことがない。
 中学にあがるときの春休みは、小学1年生で出会ってからずっと一緒だった恭弥くんと初めて離れて寂しくて部屋で毎日泣いていたけど、中学に入ってはじめうまく行かなかった時もこんなもんかと思っただけだったし、多分、基本的な部分で俺は冷めているんだと思う。

 だけど、恭弥君に後悔を話せと言われ、話をしている内に、悲しくもないのに涙があふれた。恭弥君は驚いて、必死に宥めてくれたけど、今考えても俺はやはり悲しくて泣いたのではない。

 色々な感情が押し寄せてきたのだ。
 恭弥君のためにと言い訳をして逃げてしまった後悔、そのおかげで海部に会えた嬉しさ、人と少しも話せなかった俺を拾い上げてくれた慶也と白石に対する感情など、全く異なるものたちがぐちゃぐちゃに混ざってわけがわからなくなった。

 思えば、俺はいつでも運がいい。
 小学生の頃は恭弥君がいつもそばに居てくれた。
 中学生の頃は、白石と慶也が、あと、一応首藤先輩。一応なんて付けたけれど、本当なら俺は首藤先輩に感謝してもしきれないくらいなのだ。先輩は中学の時に周りの反対を押し切って俺を図書委員長の補佐にした。従順で犬みたいなパシリが欲しいとか何とか言っていたけど、俺を補佐にすると宣言した先輩が暫くの間生徒からも教師からもバッシングされていたことを知っている。
 俺はその時からすでにいいとこは顔だけだと有名だったから。
 だけど先輩はバッシングを歯牙にもかけず、絶えず飄々とした態度を貫いていた。それに、彼はただ飄々としていただけじゃない。俺に厳しい訓練を課し、泣いて逃げ出すほど厳しい訓練の末、俺を図書委員のプロにしてくれた。今でも書類整理とパソコンで文字を打つ速さと正確さなら誰にも負ける気がしない。
 そして高校に入り海部に出会った。
 俺はいつでも運が良い。首藤先輩も(一応)含めて、俺にはたくさん味方がいる。

 こう理解して、飲み込んだ途端色んなモノがぐちゃぐちゃに混ざり合って、こねられて、そこから水分が生まれた。涙に至る経緯をもしも可視化するならば、こんな感じだ。

 今、俺は暗い室内、恭弥君のベッドで天井を見つめている。恭弥君は、ベッドの下に布団を敷いて、そこで寝ていた。
 橘さんから借りた学ランを脱ぎ、恭弥君が貸してくれた服に着替えるとき、俺の怪我に気付いた恭弥君がベッドを譲ってくれたのだ。恭弥君のベッドを奪いたくはなかったけど、怪我に障る! と必死な顔でベッドを勧められたら断れなかった。恭弥君曰く、滅多に使わない布団は背中とかが痛くなるらしい。

 恭弥君の寝息は聞こえない。静かに、今日の夜みたいに静かに眠っているのかもしれないが、なんとなく、恭弥君は起きているような気がした。

 泣いてしまった。それに、今日はしゃべりすぎた。
 ベッドに体を横たえれば、倦怠感とともに階段から落ちた痛みも合わせてやってくる。

 海部は、俺のことどう思っているだろうか。
 朝に階段から落ちたのは偶然だけど、俺は遅かれ早かれどこかけがをするつもりだった。色々な人に迷惑を掛けてでも恭弥君のところに来るつもりだったのだ。

(俺は、わがままだ)

 生まれつきか、生きて来たなかで歪んだのかはわからないが、俺はわがままなのだろう。海部や恭弥君、それから白石のように良い奴になりたいけれど、自分のことばかりで人のことを考えられない自分はいいやつではないし、きっと、この先なることもない。

(他の人は、自分の汚さをどうしてるんだろう)

 考えれば考えるほど自分の汚さが浮き彫りになる。
 ひとつでも汚いところを知られたら、きっとまた嫌われる。いじめられるかもしれない。だけど、俺はそれを恐れて喋らないから俺の汚いところをみんな知らないだけだ。
 でも、汚い人間を俺はたくさん知ってる。そいつらは汚いところを隠そうとはしていないのに常に強者の立場だ。汚いところを知られることが、イコール嫌われることにつながっていない証拠だろう。

(人間関係って、謎だ)

 それでも、恭弥君には許して欲しいし、海部には好きになってほしいと思う。
 諦めようか。自分を嫌なやつだと受け入れてしまったら今よりも楽になれる。繕わず、みんなに好きになってもらう努力はせず、自然に生きていくのもいいかもしれない。
 こんなことを考えるということは、俺は自分を「やればできる」人間だとうぬぼれて考えていたのかも。ちゃんと頑張れば、人に溶け込めると思っていたのか。今まで、自分から溶け込もうとしたことなんてないくせに。

(寝ようかな)

 恭弥君と再会出来た夜。ちょっともったいない気もするけど、寝てしまおうか。ただ暗いだけの天井を見つめていた目を閉じる。闇が濃くなった。

 何も考えないのは得意だ。それに今日は体も疲れている。すぐに寝られるだろう。それからすこしして、眠りに落ちそうになった時、なぜか矢野の顔が浮かんだ。また目を開ける。お日様のような矢野の笑顔を思い出し、まぶしさも思い出してしまった。

 恭弥君とどこか似ている編入生。彼が来てから俺と海部の関係が変わったし、恭弥君のことをよく思い出すようになって、最終的に俺はここにいるのだ。矢野のことは好きだ。恭弥君に似ているとか関係なく。だけど、果たして俺は矢野自身のことをちゃんと見ようとしたことがあっただろうか。そしてこれは矢野だけでなく、みんなに言える。俺は人と付き合う時、嫌われているかそうでないかだけを気にしていたように思う。
 実際は今でも怖い。嫌われるのが怖い。人を信じることがすごく怖い。こんな内面を知られたら嫌われてしまうが、この恐怖はなくならない。
 けれど果たして、人に向き合わず空気になる努力だけをして嫌われないように生きるのと、嫌われるリスクはあるが、人と向き合って好きな人に好きになってもらうように努力をするのとどっちが幸せだろう。

(そもそも、手に入れたいって思ったんだ)

 俺は海部が欲しい。海部の心を手に入れたい。

(謝りたいなんて思って出てきたけど、結局はまた好きになって欲しかった)

 ベッドの下の恭弥君を見下ろす。暗い中でも恭弥君のシルエットはよく見える。向こうを向いているから顔は見えないが、それでも満足感を覚える。恭弥君がいる。また、俺の隣に。

 恐怖の先に海部を手に入れられるかもしれないという希望がある。そして、今まで背を向けていた恐怖と向き合ったら、恭弥君と再会出来た。

 俺は俺のままだけど、ようやくみんなと向き合える気がする。