猫
部員不足解消のための臨時集会は大成功だった。
とくに評判が良かったのは写真部の場面。書記であるレイさんが元副会長に掛けあって、写真部の汚名返上に動いていたらしい。
これを知った時、俺はすごい、という気持ちと落胆とを覚えた。写真部の苦悩をレイさんとともに聞きに行ったのは俺だ。それなのに自分はただ憤るだけで何もしなかった。
それに、レイさんが自分に何も言わないで行動を起こしたのは自分にまだ信用がないからだろう。
寂しそうな目を持つレイさんに勝手な親近感を覚えており、最近では少しだけ仲良くなれた気がしていたからほんの少しショックだったのだ。
失礼だが、少しだけレイさんは何もできないと思っていた自分もいる。
そして、それに安心していたのだ。
何も出来ないのは俺だけじゃない、と。
けれど彼は何もできない人物ではなかった。新聞部の汚名返上のため、学園の神様と名高い元会長までも動かした。あいにく、裏の方で作業をしていて見ていなかったが、集会の最後には元会長が出てきて直々に写真部は悪くないということを全校生徒に発信してくれたという。
「生徒会の裏ボスは令君だって。だから言ったじゃん」
ソファにだらしなく寝そべっている絢也が勝ち誇ったように笑った。
「好かれてるだけだと思ってたんだよ。可愛いから」
「へえ。矢野もそんなこと思うんだ」
「そんなことって?」
「可愛いとか」
「そりゃ思うよ」
俺の言葉に、絢也がにやりと笑う。
「どういう可愛いなん? それ。令君、男なのに」
「……ああ」
そういうことか、と思った。この学校では男が男に惚れることが当たり前のようだが。外の世界では違う。
元々偏見はない。偏見というか、愛とか恋とか絆とか、そういうものを信じることができなかった。もちろん言葉では理解できているが、感情が付いて行かない。だから女でも男でも顔が可愛いと可愛いなあ、と思うが、それ以上の感情は沸き起こらなかった。
だけど――
俺には今でもふとした時に思い出すことがある。前に、谷中に言われて会長とレイさんを迎えに行った時のことだ。その時レイさんに触る会長を見て、俺は珍しい感情に襲われた。ちょっとだけ、いいなあ、と思ったのだ。
それは多分嫉妬。
「俺、レイさんの顔、好きなのかな」
「あの人の顔嫌いな奴はそうそういないんじゃねえ? ブス専とかなら別だけど」
絢也がケラケラと笑う。
彼は軽くいうが、俺にとってはたいへんに重大なことだった。
これが好意かどうかちゃんと見極めなければならない。生きてきて好意を感じたのは産んでくれた母親と、自分を無条件で受け入れてくれた祖父だけだ。
生徒会の面々だって悪い人達ではない。けれど、まだ信用できていない。人は、ちょっとしたきっかけですぐに離れていく。
時計を見るとまだ8時だ。寝るには早い。だけど、今夜は気分が冴えなかった。
「俺、寝るわ」
突然立ち上がった俺に、絢也は驚いたようだったが、気にせず部屋に引き上げた。
まだ慣れない自室を改めて眺める。
さすが金持ち学校というかなんというか、ふたり部屋なのに寝室は別にある。決して広いわけではないが、家具のひとつひとつが高級なのか、そこはかとなく部屋中に高級感が漂っている。これには未だに馴染めない。
(未だに、って言ってもまだ来て3週間か)
そろそろ、自分をここに招いてくれた理事長――陸奥に改めて礼をしにいかなければならないが、彼に会うと祖父のことを思い出す。
独りになった日のことを思い出してしまう。
俺はじいちゃんがいなくなって初めて自覚していた以上に好きだったことを知った。敵ばかりの学校にはあまり行かず、小言を言われながらもずっと将棋に付き合ったり散歩に付き合ったりしていた。
それが、生きてきた中で唯一感じた幸せだった気がする。
――じいちゃんが死んだ時は、何も考えられなかった。
(止めよう)
これ以上考えるのを止める。考えたって良いことはない。
電気を消し、ベッドに仰向けに倒れ込む。遮光カーテンのおかげで部屋の中は真っ暗だ。ただ、かなり激しく雨が降っているのか、雨粒が窓を叩きつける音がやかましかった。
それでも、目を閉じるとすぐに眠気がやってきた。
「あ……」
いつの間にか眠ってしまっていた。目覚めると、思いの外すっきりしていた。
枕元においた目覚まし時計を手に取り見ると、時刻は朝の5時。いつもならば二度寝の時間だが、そういえば昨日は8時に寝た。
のそのそと起き、なるべく音を立てないようにしながら身支度を整える。
敷地内を探索するのも良いだろう。
寮内はしんと静まり返っていた。わずかな機械音以外はなんの音もしない。
寮の外に出て、中庭に向かう。空は高く、薄水色の空は清々しく突き抜けている。息を大きく吸うと、綺麗な空気が体中を巡る。
中庭はまるで西洋の庭だった。
しかし、すべてが西洋風ではないらしい。神崎から聞いたが、中庭の北側に、一見すると見過ごしてしまうような細い細い道があり、その先には小さな日本庭園があるという。
それを見てみたくなった。今度行こう、と誘われたが、いい機会だし下見をしよう。
どっちが北かわからないから、中庭の円周を回る。はたから見れば不審者だが、朝の5時だからということもあって気が大きくなっていた。とくに気にせず細い道を探す。
すると、木と木の間に、道のようなものがあった。なんという木かは知らないが、幹全体に大きな葉がついている木だ。葉は、地面すれすれまで茂っている。葉をかき分けると、確かに人工的に作られた道がある。ただ、整備されているかというと全然そういうことはなく、踏みならされてできた獣道に見えた。
それをただひたすら進んでいくと、段々と石が増え、周辺の木々が減っていく。やがて石畳の道に変貌した。そして、奥に小じんまりとした竹林が見えてくる。
近づくと、そこは清涼という言葉がぴったりの空間だった。青々とした竹に太陽光が降り注ぎ、幻想的な光の道をそこここに作っている。
おそらくここは神埼の言っていた日本庭園ではない。和の雰囲気はあったが、進んでいっても竹林が続くのみで庭らしきものは出て来なかった。一番奥にあったのは、小さな鳥居と、祠がひとつ。もしかしたら、竹林がこの島の本来で、人の手で西洋風に変えられたのかもしれない。
俺は探検に満足していた。この道は中々見つけられないだろう。よほど目を凝らさなければ木と木の間の道なんて見えないし、進んでもしばらくは何もない獣道だ。みんなきっとすぐに引き返す。
まるで自分だけの秘密の場所を見つけたような高揚感に浸っていた時だった。
「補佐の子、だよね」
ひとりの世界に亀裂が生まれた。それほどの衝撃が走った。
振り向くと、竹やぶの道の上に、淡いストロベリーブロンドの髪色を持ったとんでもない美形が微笑みを浮かべて立っていた。こんな朝早くだというのに、彼も制服に身を包んでいる。
「矢野……です」
ちゃんと自己紹介をした自分に拍手を送りたかった。人に名を尋ねる時はまず自分から。そして相手との距離や関係がつかめずいる時はまず敬語でものを言うこと。色々と失敗を繰り返してきてわかったことだ。それを実践できてなんだか嬉しかった。
「あは。やっぱ合ってた。良かった」
美形が破顔する。一筋の輝く髪の毛がはらりと頬に掛かる。日本人離れした髪色。真偽の程はわからないが、それは天然のものに思えた。
「先輩、ですか」
「うん。おれ3年だから。首藤って言う。首藤葵。よろしくね」
「はい」
ぎこちない笑みを浮かべ、距離を詰めてくる首藤に備える。危険な感じがした。生徒会のメンバーもみんな先輩だし目の前にいる人に負けず劣らずの顔面偏差値ではあるが、首藤にはなにか得体のしれないところがある。
不良丸出しで子猫に愚痴っていた谷中が本当に可愛く見える。
「朝、早いっすね」
「まあね。早朝の散歩が好きなんだ」
「いつもしてるんですか」
「うん。特にこの散歩コースは気に入ってる。人と会うこともないしね」
「……そうなんですか」
「けど、今は嬉しいよ。君、うるさくないし」
言って首藤がにこりと微笑む。
なんて返そうか思案していると、首藤は俺が何かを言う前に口を開いた。
「明日も来てよ」
それだけを言って、首藤は踵を返した。そして、光が注ぐ幻想的な竹林の中に消えていく。
得体の知れない首藤の意図はわからなかったが、俺は断れなかった。
首藤がどんなやつかわからないが、俺は絶対になさそうな仮定の話を考えていた。
――もしも首藤が寂しいやつで、俺が断ったことによって傷ついたら。
この可能性が0でないうちは俺には断ることができない。
首藤が神がかり的な人気を持つ元会長だということを知ったのは、早朝の散歩を開始してから3日が過ぎた頃だった。