泣きぼくろ
俺は、何かを打開したくて腐男子の部屋を訪れた。
虚構と現実は異なるものだと理解しているつもりだけれど、もしかしたら虚構の中に俺を助けてくれるものがあるかもしれない。
図書委員長の補佐をしていた時、暇つぶしにと委員長――首藤先輩が薦めてくれた本を読んでいたけれど、人生とは何かを考えらせられた結果、さらにネガティブになってしまったように思う。だから純文学はだめだ。なんかもっとライトなものが良い。そうして思い至ったのが腐男子如月の所有している本たちだった。
腐男子の本棚はキラキラしていた。
ためしに、適当に手に取って見る。
「月代の恋……時代物か……」
俺が今求めているのは現代日本の学生ものだ。できれば寮が良い。海部は如月と仲が良いといってもこういった本をおそらく読んだことはないだろうから、もしも使える技があったら盗もうと思っていた。
一際きらびやかな表紙を発見し、手に取り表紙を眺める。
「龍宮ラブ……」
学園モノらしく、ほぼ脱がされているが、制服を着ている少年ふたりが抱き合っていた。後ろの概要を見ると、人気者に恋するまっすぐな少年が主人公の話らしい。
「それ、強気受けだよ」
「つよきうけ?」
俺の後ろに来た如月が教えてくれる。
「突っ込まれる方が強気な性格してんの」
「へえ」
聞いて、本棚に戻す。
「面白いのに。ようやく完結したしさ」
「……恥ずかしいけど」
ここまで言って、やはりやめようか迷う。
「言ってごらんよ。秘密にしといてあげるからさ」
そんな俺の空気を感じ取ったのか、優しく先を促す如月に、なんだか気持ちが悪いな……とこっそりと思いながら、告白する。
「参考にしようと思って」
思いの外小さくなった声が恥ずかしくて、タイトルも見ずに本を引き抜く。着物を着た、女みたいな男の子が表紙の本だ。
「やっぱかわいい! ヒメっぽい!」
如月が後ろからものすごい力で抱きしめてくる。ぐぇ、と蛙が潰れたような声が出た。
「参考にしたいとかかわいい! 海部うらやましい! でも想像すると萌える! ああ、いつもだったら気にせずいっちゃうけど、海部を裏切るのはちょっとなあ……」
拘束が緩められるのと同じく、声もしぼんでいく。そして、なにやら後ろから俺の腰に手を回し、ぶつぶつとつぶやいている。密着しているが、こいつは腐男子だから……と思うことで気にしないようにする。
如月の頬ずりに少しの気持ち悪さを感じながら尋ねる。
「如月」
「何?」
「うらやましいって言うけど、海部って、俺のこと好きだと思う?」
「は? 何? ヒメ、なに当たり前のこと聞いてんの」
如月が驚愕の表情を浮かべる。
嫌われてはないと思うけど、海部が俺に惚れているのか考えると、どうも違うと思うのだ。
俺は海部の気持ちが読めなかった。元々人の気持ちには疎いけれど、海部が俺にくれる好意がどんなものかわからない。
キスはしてくれる。柔らかく抱きしめてくれる。だけど、口で言ったとしてもキス以上のことは決してしない。
海部にとっておれは大切な友人なのかもしれない。そう思うと胸が痛んだ。
(十分ありがたいことなのに、俺、贅沢になった)
「……なんかヒメ悩んでる? 想像以上に」
さっきとは打って変わって真剣な表情をした如月が後ろから顔を覗きこんでくる。俺と彼との距離は近く、キスでもしそうな角度だった。
「おすすめ、読みたい」
答えずに質問すると、意外にやさしい如月が本棚に向かって手を伸ばす。それから、一冊の本が俺の手に落とされた。
「泣きぼくろ……」
「表紙の子、ヒメに似てると思わねえ?」
「……似てるかな」
彼が選んだ本には、学ランの前をはだけさせ、婀娜っぽく笑っている黒髪の少年がひとり描かれている。もちろんデフォルメされているけれど、男らしさがあまりないところは似ているかもしれない。
「これの漫画バージョンもあるんだけどさ、あいにく友達に貸してるんだよ」
如月の言葉を受けてペラペラと中をめくると、最近は授業くらいでしか接しなくなった細かい字がびっしりと書かれていた。
「これ、おすすめなんでしょ」
「とても」
「じゃあ、借りてくね」
それだけ言って如月の腕の中から抜けだして自室へと戻る。
自室へと戻った俺は、すっかり寝る準備をし、まず、借りてきた本の裏表紙に書いてある概要を読んだ。
「だれとでもねる少年、なき……」
少し不安になりながらも本文に入る。
「――あぁっ、んんっ……押し寄せる快感の波に南季の理性はすぐに消えた……」
読み始めて数十分ほど。なんか、ひとりなのに恥ずかしくなってきた。小説を声に出して読む癖がまさかこんなところで仇になるとは思わなかった。
しかも、一ページ目から濃い(と思われる)エロから始まったのだ。なぜ如月はこれを薦めたのかわからない。はじめからハードルが高い気がするが、概要によると南季を好きになってくれる少年が現れるらしい。
改めて時計を見ると、ちょうど30分が経過していた。早くも集中力が切れ、なんとなくちょこちょこと挟まれるらしい挿絵を探すためにページを捲る。
「……海部だ」
挿絵には、海部にそっくりな少年が描かれていた。何が起こるかはわからないけれど、下衆い笑みを浮かべて南季を組み敷いている。海部は下衆い笑みなんて浮かべないが、造形は海部だった。デフォルメされたらきっと海部はこの人になる。かっこいい。
(だから如月はこれを薦めてくれたのかな……)
俄然読む気が湧いてきた俺は、再び物語の中に入り込んだ。
*
「やめて、いっちゃう、おれ、こんなのっ……」
すかさず次のページをめくると、海部のような少年に南季が組み敷かれて泣いている挿絵が目に飛び込んできた。
「……つうか、何してんすか」
声が聞こえ、びくりと肩が揺れる。
振り向くと、戸口に呆れ顔の矢野が立っていた。
「きゅ、休憩に、本読んでたんだよ。……矢野、来てたんだ」
「給茶室から一時間出てこねえって海部さんが嘆いてましたよ」
「え!」
びっくりして時計を見る。
「い、一時間経ってる……」
気付いてなかったんですか、と矢野がため息を吐きコンロの前へ立った。
「コーヒー淹れにきたんですけど、レイさんも飲みます?」
「い、いい。俺、行くから」
「ま、人数分でいっか」
そそくさと持ってきた紙袋の中に読んでいた泣きぼくろを仕舞い、給茶室から生徒会室へと入る。生徒会室にはもちろん俺以外の生徒会メンバーが揃っていた。みんな真面目に仕事をしている。
「ヒメ! どうしたの? 寝てたの?」
パソコンに向かっていた白石が顔を上げた。
「5分くらい本読もうと思ったら、こんな時間」
海部は谷中と応接スペースで向い合い話し合っているようだったが、俺の言葉を聞いて呆れ顔をくれる。谷中は、無駄に爽やかに微笑んだ。
「一時間だよー。完璧寝てたと思ったって」
「ごめんね」
バツの悪さを感じつつ、いそいそと白石の隣にある自分の席へと座る。そしてスリープモードにしていたパソコンを起動させた。画面に広がる小宇宙に、南季のことは忘れようと心に決める。
「まあ、ヒメはもう自分の分終わったんでしょ? 良いんじゃない? 本読んでも」
「手伝うよ」
俺は白石の机に置かれているボイスレコーダーを手に取った。
「あ、それ先週の会議」
「書き起こすね」
「良いの?」
「うん」
こう言って、イヤホンを装着する。外界の音がぼやけたことにより、バツの悪さがわずかに和らいだ。それに、録音の書き起こしは俺の最も得意とする作業だ。これをやっている間は何も考えなくてもいいし、画面に文字が踊る姿は見ていても楽しい。
なんとなく海部と谷中の方をみてみると、彼らは話し合いを再開していた。何を話し合っているのかわからないがやけに真剣な顔つきだ。
「……そういえば、何読んでたの?」
「え?」
不透明ながらはっきりとした問いかけが聞こえ隣を見ると、白石が興味深そうな目をして俺をじっと見ていた。
「ヒメ、中等部の頃から首藤さんに与えられてたのしか読んでなかったじゃん。……もしかして、また借りたの?」
「……先輩からは借りてないよ」
「先輩からは?」
「……如月から借りたんだ」
「如月!? じゃああれだ、男と男のラブストーリー!」
「声、おっきい」
「白石、何興奮してるの?」
海部と谷中の方を見ると、ふたりは話し合いを止めて俺たちを見ていた。
しかたなく、つけたばかりのイヤホンを外す。
「谷中も気にならねえ? ヒメ、如月から本借りたんだって。時間も忘れて没頭するくらいのやつ」
「それは気になるね。どんなやつの借りたの?」
「お、男と男のラブストーリーだよ」
「どんな男と男のラブストーリーなんだよ」
「海部まで……。べつ、別に、普通だよ」
「普通? 普通ってなんだよ」
「ちょっと見せてー」
「あっ」
白石が机に置いた泣きぼくろの入っている袋に手を伸ばしてくる。
「ちょっと、ヒメ」
間一髪、紙袋を掴み小脇に抱え、すばやく立ち上がる。俺は自分がこれほど速く動けることを今の今まで知らなかった。
「ひ、秘密だよ」
こう言って後退る。
なんだか、男と男のラブストーリーを読んでいることは置いといて、「誘い受け」を読んでいることが恥ずかしかった。しかも如月は表紙を見て南季と俺が似ているといったのだ。そう思われたら恥ずかしいどころの騒ぎではない。
「ぷ、プラトニックだから……」
「なんかあやしー」
「……おもいっきり「いっちゃう」とか言ってたじゃん、レイさん」
「矢野!」
「なになに!? ヒメまさか本読みながら」
「してないよ!」
「なんだよ鏡、お前大きい声出るんじゃねえか」
「海部、今は話を逸らさないほうが面白いって絶対」
「そうだな。鏡、お前もしかして本読みながら」
「だから、してないってば! お、俺、口に出して読む癖が、あ、あるから」
「確かに……」
中等部から一緒の白石が俺の癖を覚えていてくれたようで、ほっとしたのもつかの間、
「でも、エロシーンまで声に出すとか、俺全然知らなかったよ」
「だ、い、な、なんていうか、む、無意識、だよ」
「結構臨場感ありましたよ」
「なんだ、矢野、海部より先にヒメの喘ぎ声聞いちゃったのか」
「おい、谷中、それはお前の目指してる王子様的セリフからはかけ離れてるぞ」
「俺が目指してるのは優等生だよ」
「優等生でも……つうか普通に俺って言ってんじゃん」
「あ。……やっぱまだ一人称はうまくいかないんだよね」
「まあ、それはいいんじゃねーの」
良かった。着々と俺の話題から離れていっている。俺は紙袋を鍵付きの机の引き出しに仕舞い、鍵を胸ポケットに入れた。これならば胸をまさぐられでもしない限り誰かに泣きぼくろを見られる心配は無い。
それにしても、続きが気になりすぎて生徒会室にまで持ってきてしまったけれど、これからは先がどんなに気になっても部屋まで我慢したほうがよさそうだ。
「あ、ていうかさっきの言葉そのまんまにしておけないよね。海部、まだヒメの喘ぎ声聞いたことねえの?」
せっかく話題が俺から谷中に移りきりそうになった所で白石が元に戻す。
どうぞ、と皆のところに淹れたてのコーヒーを置いていく矢野でさえ気になるのか、「ほんとのところどうなんです?」なんて海部に向かって聞いている。
「ねえよ。本読んでんのも俺知らなかったし」
「本じゃなくてもあるんじゃねーの?」
「ねえよ。なあ、鏡」
白石の問いに海部が即答した瞬間、俺はショックを受けている自分に気が付いた。そりゃあ、海部の言ったことは当然だ。付き合ってないし、海部の前ではしたない声をあげたこともない。……というか、キスしかしたことがない。
だから海部だって今の答え以外に答えようがないのに、俺はどうしてショックを受けているのだろう。
たぶん、一瞬の内に、俺が喘いでるとこなんて海部は見たくないよなあ、なんて思ってしまったからだ。
キスはしてくる。その先があるような言葉だってくれる。
だけど、海部は決して実行しようとしないのだ。この前だって、キス以上のことをしてもいいって言ったのに、海部は何もしなかった。
でも、海部だって俺と同じくらいドキドキしていたし、テンパっててよく覚えてないけれど、結構誤解しちゃうこと言われた気がする……。
ただ、海部は終始どうしていいかわからない、と言っていた。
そこで俺ははっとした。もしかしたら俺が海部を好きなのがバレていて、俺の扱いに困っているのかもしれない。
(でも、悪い感じは受けなかったし……)
「ま、まさか……!」
「ヒメ? どうしたの? 海部、ヒメの反応変だよ。ほんとは聞いたことあるんじゃないの」
「ねえよ、まじで。鏡、おい、戻ってこいよ」
俺は今まで自分がされる側だと思っていたが、海部はそう思っていなかったのだろうか。この前の海部とのやりとりを必死で思い出す。
『俺が、キス以上がしたいですって言ったらどうすんの?』
『しようよって言うよ』
の流れからどうしたら良いかわかんねえに行ったから、あの時俺が南季のようにガンガン攻めればよかったのだろうか。俺だって男だ。行けるはず。行ける……。
――わけない!
海部だけじゃない。もしも俺が女の子を好きになっていたとしても多分、いや絶対にガンガンなんて行けないだろう。
もしかしたら海部は俺にキスをしたいだけで、エッチまではしたくないんじゃないか。
(きっとそうだ)
こう思ったら、こうとしか思えなくなった。
「……俺、なんか……今日は帰ります……」
いてもたってもいられなくなって、重い手を伸ばしパソコンの電源を落とす。
「おい、どうしたんだよ、鏡」
海部が立ち上がる。
「ひ、ヒメ、顔青いね」
「ごめんね……」
そうして俺はふらふらと、おぼつかない足取りでドアまで向かった。