早寝記録

新月見うどん

 ――新月の夜は良いことが起こる。

 俺は月見うどんが好きだ。大好きだ。
 何が好きかと言うと名前が好きだ。うどんに卵を落として月見。
 きっと名付けた人はつゆに浮かぶ卵に夜空と月を見たのだろう。その心が好きなのだ。風流とでも言えば良いのかわからないが、俺もそういうふうに心豊かになりたいと思う。

 しかし毎日は食べない。毎日食べて何が風流だ。
 凝り固まった生き方はしたくない。柔軟に生きたいのだ。だから俺は月見うどんを食べるのは月に一度、新月の夜と決めている。

 そして今日が新月だった。
 俺は意気揚々と食堂に行き、おばちゃんに「月見一つ!」と元気に頼んだ。
 俺は有頂天だった。
 つるりとのどに月が滑り落ち、俺の体内にぽっかりと浮かんだのだ。
 外は新月だが俺の体の中には月がある。
 たとえ新月の夜も月が消えることはない。見えずとも俺の体の中にある。

 そんなこんなで俺は機嫌が良かった。
 それなのに――だ。

「何泣いてんの」

 寮に帰った俺を待ち受けていたのは同室者の辛気くさい顔だった。

「泣いてねえし。ぶっ飛ばすぞこら」
「穏やかじゃないなあ」
「穏やかじゃねえよ」

 俺の同室者は城宮と言う男で、周りからの評価は「不良」だ。品なく真っ赤に染められた髪の毛は頭皮に優しくないだろう。
 不良と言うモノはどうやらストイックなモノらしく、自らの頭皮をも痛めつけたいらしい。
 一度、城宮に「俺が不良だったら気に食わないやつの髪を真っ金金に染めるのに。そうしたら長いスパンで痛めつけられるよ。だって将来毛根が死にそうだもん。明るく染めるとさ」と言ったところ、次の日起きたら俺の髪が真っ金金に染まっていた。
 その日から、俺は「城宮に感化されて不良の道を歩き出した城宮の子分」となぜか周りにカテゴライズされてしまったようで、友達は俺のもとから去り、不良には目をつけられるようになった。

 去っていった友達はそれはそれでかまわない。俺の話も聞かず噂に流されていなくなる程度の関係だっただけの話だ。
 不良に目をつけられたのは痛かったが、城宮にも罪の意識が少しはあるらしく俺が殴られていたら助けてくれる。
 罪の意識感じるならやらんでよ! と責めたら「だって……金髪にして俺の子分って噂になったくらいで友達いなくなるとか……吉原君はもっと人望厚いと思ってたんだ……」といつもの強気な城宮からは想像もできないほど切なそうに言われてしまい、俺の心は完膚なきまでに叩きのめされてしまった。

 しかし、慣れると城宮の子分生活も悪くなく、不良仲間も少しずつ増えて俺の高校生活は方向性こそ変わってしまったが割と楽しいものになってきている。

「で、どうしたの? ケンカに負けたとか?」
「転校生に付きまとわれた」
「転校生?」
「知らねえの? 吉原君のクラスじゃねえかよ」
「まじ? 俺今日ずっと図書室いたから知らんの」

 そう言った俺に城宮は呆れた目を向けて来るが、普段は城宮の方がサボリ魔だからちょっと理不尽に思った。

「図書室でなにしてんだよ」
「本読んでるんだよ」
「あ?」

 文学とはおおよそ無関係な城宮には図書室で本を読むという思考がないらしく、品悪く聞き返される。
 俺はふう、とわざとらしくため息を吐いて鞄から一冊の本を取り出し城宮に渡した。
 城宮は眉間に皺を寄せながらも素直に手に取り、表紙や裏表紙をまじまじと眺めている。

「最近あんたも俺は普通に不良だと思ってるみたいだけどさ、根は真面目ちゃんなんだよ。図書館は次にシめるやつを会議する場じゃなくて、本を借りたり読んだりする場なんですよ」
「吉原君のふいの敬語聞くとぶっとばしたくなる」
「穏やかじゃないなあ」
「穏やかじゃねえよ」

 俺が渡したほんの中を城宮がぱらぱらとめくる。
 途端に彼の端正な顔がぐちゃりと歪んだ。

「城宮に読ませようと思って借りて来た」
「いらんし」
「面白いよ。それ俺小学生のときに読んでたんだけど、今読んでもおもしろかった。朝に図書館行って、ご飯までそのシリーズ読みふけっちゃった」
「……かいじん800めんそう……」
「そう、怪人八百面相。800って日本じゃものすごく多い数の代表なんだよ。嘘八百とか言うでしょ。
 そのシリーズの主人公は悪人でね、色んなのに変装してライバルであるショタコン探偵に戦いを挑むんだよ。ほら、わくわくしてきたでしょ」
「しねえけど読んでやる」
「どうも」

 俺は表面では邪気のない笑みを浮かべていたが、その裏では邪悪に笑っていた。
 推理小説の登竜門であるこの小説から徐々にマニアックなものを宛てがい、最終的にミステリ談義ができるレベルにしようという俺の目的に城宮は気付いていない。
 こいつは意外と凝り性で2時間ドラマとかも好きだから、きっと気に入るはずだ。
 ふふふふふ、と堪えきれずにくぐもった笑いを漏らしてしまったが、城宮は気にも留めず「それより」と一度浮上させた表情をまた曇らせた。

「何?」
「俺転校生に付きまとわれたんだよ」
「ああ、そういやさっき言ってたっけ」
「そうそう。今日昼に授業サボって昼寝してたらさ、いきなり転校生がぬおっと現れて『さぼっちゃだめなんだよお前不良かよ不良はダメだよどんな心の闇があるんだよ俺が取り除いてやる』って来てさ。起きがけだったから頭も回らずそのまま食堂に拉致されて、なんかそこには生徒会とか親衛隊持ちのやつらがうじゃうじゃいて、『こいつ俺の親友!』って俺いきなり親友にされて、しかも『ところでお前名前なんて言うんだ?』とかギャグみたいに聞かれてでもここで名前を教えちゃいけないって警報が俺の中で鳴ったので脱兎の如く逃げ出し、追いかけられさっきようやく撒けて今に至るみたいな」
「そっか。大変だったね」

 説明は下手だったが、一生懸命説明しようとする城宮がかわいかったのでそこはつっこまないでおく。俺が同情を示したことが嬉しかったらしく、城宮が「そうなんだよ大変だったんだよ」と俺にタックルをかまし、尻餅をついた俺の腹にぐりぐりと頭をすりつけて来た。
 腹の中の月が落ちたな、と思いつつ城宮のぱさぱさしている赤髪を撫でる。

「事情知ってるやつから転校生は生徒会の誰かの部屋に入ったって情報もらったから今日はもう大丈夫だと思うけど、明日がこえーよ」
「不良なのに情けないね」
「不良は追われるのには慣れてねえんだよ」
「そうなの?」
「そうだよ」
「じゃあひきこもれば?」
「吉原君も?」
「俺も。どうせ来週から夏休みだって始まるし。明ける頃には転校生もきっと忘れてるよ、城宮のこと」

 城宮は「そっかあ」とまるで子どもみたいな声を出し「それもいいかも」と呟いた。
 一週間くらい買い置きしてる缶詰生活でも良いだろう。
 夏休みに入ったら友達のいなくなった可哀想な俺を色々なところに連れて行ってくれるという約束もあるし、不良なんだから1週間くらい学校をさぼるのなんて珍しいことじゃない。缶詰に飽きたら隙を見て夏休みの開始を早めてしまおう。
 なんだかんだ言って俺は城宮を気に入ってるから、もしも夏休み明けに転校生が城宮にまとわりつくことがあったらその時は命をかける覚悟で転校生と戦おう。

 ふと、もしかしたらこの自分勝手な性格の悪さが表情とか体中からにじみ出てたのかな、と思った。
 だからみんな簡単に離れていったのかもしれない、と。

「俺、性格悪いかな」
「良くねえけど俺は好き」
「そっか。じゃあいっか」
「いいんじゃねえの?」

 いたずらっ子っぽく微笑む城宮を見て俺も笑う。
 城宮は体勢を変え、ちゃっかりと俺の膝の上に頭を乗っけた。
 上から城宮を覗き込む。その時に、真っ金金に染められた自分の髪の毛が視界に映る。

「これ、吉原君の好きな月みたいだろ」

 城宮が手を伸ばして俺の髪を梳く。
 俺が好きなのは月じゃなくて月見うどんなんだけどなあ……と思ったが、俺の頭を月みたいと言う城宮が風流人のように思えたので口には出さない。

 その代わりに、根元黒くなって来たからまた染めてくれる? と問うと「今度はちゃんと痛まないように薬とか用意してやってやる」と城宮が笑った。

 ああ、と思う。
 城宮と居るのはやはり幸せなことだ。
 転校生と仲良くならずに帰って来てくれてよかった。

「城宮」
「何」
「夏休み明けに城宮が付きまとわれてたら子分として転校生を引きはがすよ。何しても」
「穏やかじゃねえなあ」
「穏やかじゃないよ」

 そう言った城宮の顔は言葉とは逆に穏やかだった。