二文字
「俺、生まれてから死ぬまで、一生告白できないと思う」
自分たちの他には誰もいない教室で、葉(よう)は日誌を書きながら、問わず語りに話し始めた。ちらりと目線を上げると、それまでぼんやりと暮れていく空を眺めていた飛鳥が自分を見ていた。
飛鳥はわかりにくい。親の仕事の関係でスキンシップの激しい国で育ったというのに、彼は普通の人よりもそっけなく、無愛想で、感情の通りに自由に生きているように思えた。
しかし、悪いやつじゃない。返事はないが聞いてくれているな、と思い、葉はまた口を開く。
「すごく好きな人に告白出来たとして、振られて、さらに友達でもいられなくなったら、俺、死んだと同じことだと思うから。だって、一緒にいられなくなったら生きている意味なんてない」
「情熱的なんだな」
「意外と。あと、俺仲の良いやつに告白されたら、断れない」
「なんで」
「告白って、勇気のいることだから。しかも、かなり。だから俺なんかに告白してくれるなんて、悪くて断れないじゃん」
淡々と言う葉を、飛鳥はさして興味無さげにだまって見つめていた。
「でも、この前告白されてたんじゃねえの、聞いた話じゃ後輩だったか? 何、付き合ってんの」
「それは断った。なんか、軽かったし」
「あ、そう」
そう言うと、飛鳥はまた窓の外に顔を向けた。その横顔をちらりと見やる。
彼の薄茶色の目に夕焼けが映えていて、とても綺麗だと思った。
「なんで、また日誌書いてんの」
「飛鳥も、なんでまた来てんの」
葉が意外と情熱的だということが発覚した次の日、飛鳥が葉の教室をのぞくとまた彼が日誌を書いているのが目に入った。
「もう日が暮れてるじゃん。帰宅部のくせに、なんなの。部活動に精を出しているやつらをひやかしてでもいたのかって。なんでだよ。嫌みなやつ。どんどんやって」
「何いらついてんだよ」
「いらついてなんかない。いらついてなんかないよ。なんなの。みんな、全く、本当に、ありえない。黒髪で制服を着崩してなくて性格が暗いだけで真面目でおとなしい優等生だと思って押し付けて。なんなの。なんなの。別に日誌なんか書きたくないってば。真面目に見えたってちゃんと授業聞いてるとは限らないじゃんか。なんなの。日直だった日くらいしか授業なんてまともに聞かないよ。妄想してるよ妄想。ああ終わんねえ!」
「大体把握した」
飛鳥はそれだけ言うと葉の前の席に腰掛け、左肘をなんの遠慮もなく葉の机に付くと、いつものように外の景色に目をやった。もう日は暮れかけ、橙と夜の闇が不気味に混ざり合っている。
「今日は満月らしいぞ」
「そこまで居残る気はないよ」
「屋上で見てこうぜ」
「……見つかったら怒られるよ。きっと反省文だ」
「真面目な優等生でもないんだろ」
「……見たくないわけじゃない」
飛鳥は、止まっていた葉の手がここに来てはじめて動き出したことに気がついた。
きっと得意の妄想力で、記憶にない授業風景を曖昧に書ききるのだろう。
「書いたらそこのスーパーでダンゴ買おうぜ。んで、ピラミッド型に積み上げてススキっぽいの振る。あれだ、オツキミ」
「……あってるような、いや、ススキは振らないっていうか、そもそも、今春だし」
「なんだ、違うのか。それじゃあ正しい『オツキミ』教えてくれよ」
「……月を眺めて楽しんだら、それはもうお月見だよ」
「なんだよ気になるじゃねえか! 明日までに完璧に『オツキミ』調べてくるから、覚悟しとけよ!」
「……何の覚悟だよ……」
飛鳥は日誌にあることないこと綴っている葉の真っ黒な頭を見ながら、言葉とは裏腹に満足そうに笑った。
生徒指導室への扉が勢い良く開いた瞬間、「どっちが早く書けるか勝負しようぜ!」と楽しそうな声が、狭い部屋の中に響いた。
「反省文を書く速さで俺に勝てると思ってんの?」
室内には、授業が終わってすぐに来たのだろう葉が、狭い部屋の割に広々としたソファにこじんまりと座っていた。
彼の前の机には、未だ手を付けられていない真っ白なレポート用紙が置いてある。
「なんだよ、自信満々の割に白紙じゃねえか」
「待ってたから」
「なんでだ?」
「あすか、勝負事好きじゃん。だからどうせ『どっちが早く書けるか勝負しようぜ! ふひひふひひ』とか言うんじゃないかと思って」
「お前馬鹿にしてるだろ」
「……すこしだけ」
「素直だな!」
「どうも」
そうして始まった勝負は葉の勝利に終わった。
「かさましだけは得意なんだよ。同じことを違う表現で何度も何度も反省すれば三枚なんてあっという間」
「虚しい自慢だなおい」
「負け惜しみ」
「ち、ちがうってえの、ばか」
「何どもってんの」
疲れたような葉のため息が室内に落ちる。余裕なふりをしたが、負けたくなくて頑張ったのだ。そのせいで頭を使い脳みそが疲れ、葉はもう何も考えたくなくなっていた。
そんな葉を、飛鳥がおもしろそうに眺めていた。
教師の説教も終わり、ふたりはまだ暮れる前の通学路を、ゆっくりと歩いていた。校門を出てから、ひとこともしゃべってはいない。それでも葉は、沈黙でいることに対して居心地の悪さを感じていなかった。それどころか、家に足が生えてずっとずっと自分たちから逃げて欲しいなんて馬鹿なことを考える。
「そういえばよー」
「何?」
飛鳥がかったるそうに足を進めながら、かったるそうな間延びした口調で沈黙を破った。
「なんだっけ『生涯告白できない気がするんです』だったか?」
「は?」
突如変てこなことを言い出した飛鳥に、どうして今なのかとわけがわからず、しかし心臓の音が煩いくらいに高鳴ったのを聞いた。前に教室で飛鳥に言った言葉。それを、葉は後悔していた。
「そんなことを言ったこともあったっけ。どうだったかな」
居心地の良かった空間が一気に気まずくなりはぐらかす。自分の声がこれ以上は聞かないでくれと懇願しているように聞こえ、情けなくなった。
「言ったこともあったっけって、つい3日前じゃねえか」
「そう?」
どうやら飛鳥は引き下がってくれないらしい。もともと話し下手な葉は上手な話の逸らし方がわからず口を噤む。諦めた方がいいのかもしれない。
飛鳥は葉の隣で非難めいた視線を送ってくる。葉は小さくため息を吐き、諦めたように笑った。
「嘘だよ、覚えてる。自分で言ったことだから、忘れない」
「あと、なんて言ったっけ?」
「は?」
「忘れねえんだろ。自分で言ったこと」
飛鳥の意図がわからずにまた葉は口ごもった。今度ははぐらかそうだとかそういった算段はなく、ただ単にわからなかったから。他に何と言っただろうか。
葉は、自分の考えを心のなかで整理することにした。そうしたら自ずと答えが出てくるだろうと踏んで。
飛鳥の言うとおり、俺は一生涯告白できないだろう。だって、告白してふられたら、友達でもいられないのだ。そうしたら生きている意味が無い。だから、自分は一生飛鳥に告白することはない。
「告白して振られたら、生きていく意味がなくなるから」
「そうだな。そのあとは?」
「そのあと?」
葉は忘れていた。このようなことを飛鳥に話したのは覚えているが、どこまで話したかを忘れてしまった。たくさん心の中で考えているうちに言ったことと考えたことが一緒くたになってしまったのだ。
あの時の自分はどうかしていた。軽い調子で後輩に告白されて、それからずっとそのことが頭から離れなかった。あまりにも軽く好きです付き合ってくださいと言われたから、後輩とは気まずくならなかった。通りすぎていくそよ風のように告白は消え、また日常が戻ってきた。例えが寒かった。葉は知らず眉をしかめた。
しかし、思い出した。そうだ。それならば、自分も告白できるのではないかと思ったのだ。軽い調子で付き合いましょうなんてことを言って、振られて、冗談でしたと笑ってまた友達に戻って――こんなことも考えた。けれど、やはり自分には到底できそうにない。
まず、そんなことをして許されるような性分でもなければ、好きだと口にすることもできない。考えただけで胸がしめつけられるのだ。自分が飛鳥にどれほど惚れているかわからない。それなのに、気持ち全てを好きの一言に詰め込む。冗談でできるわけない。口に出せばばれてしまう。だけど、好きだからこそ離れたくない。
「好きだから、振られて離れたくない。それなら、友達のほうが良い」
「ふうん。それから? あと一個」
飛鳥は尚もしつこく聞いてくる。ふと、どうして自分は馬鹿正直に答えているのかとあほらしくなった。
しかし、考える。あとひとつ。何を言ったっけ。告白に対する、もはや哲学のようなものはすっかり出来上がっている。あとは、その中のどれを飛鳥に伝えたかだ。
そもそも、あの時どうして自分は飛鳥にこんな話をしたのか。
日誌を書いていた。その日はクラスの違う飛鳥を偶然に見かけることが出来て、それが授業中だったものだから日誌を書いているときに思い出したのだ。そうだ、思い出した。会いたくなった。見たくなった。そこに、ちょうどよく現れたのだった。
そこで、葉は自分が忘れたがっていた理由を思い出した。忘れようとして実際に成功していたことに己の狡猾さを思い知りもともと下がっていた気分がさらに下がっていく。
「……仲の良い人に告白されたら、断れないって話、だと思うんだけど」
自分は、確かにこう言った。飛鳥の指しているものがこれかはわからないが、葉は彼から「じゃあ俺が告白したら付き合うの?」という答えを得たかったのだ。その確率はわずかだと思い期待などしていなかったが、ほんの少しだけ、本当にそこらへんを漂っている空気中の二酸化炭素くらいの確率で葉の欲しい言葉がもらえるのではないかと思った。もちろん、その願いはかなわなかったのだが。
「なんだ、覚えてんじゃねえか」
飛鳥というと、やっと満足したのか、満足気に笑った。その言葉を聞いて、飛鳥はただ自分をからかいたかっただけかとほっとした。
「葉さあ」
「今度は何」
早く家に着くように、少しだけ歩み速めるが、飛鳥はゆっくりのペースを崩さない。気ままさになんだか腹が立つ。そうでなくとも、しないほうが良い話をしてしまい、恥ずかしさと後悔に押しつぶされそうだというのに。
「友達なら、男でもいいの?」
「はい?」
「俺、葉の一番の友だちだと思ってんだけど」
「飛鳥?」
「俺が付き合ってって言ったら、付き合うのかって聞いてんの。つうか、話の流れからわかんねえの? 断んの? 別に、お前の後輩みたいに軽くねえんだけど」
威圧的な態度。しかし、その中に焦りがあるようにも思えた。
あまりに動揺しすぎて、葉は逆に冷静だった。
自分を、映画でも見ているかのように客観的に見下ろしている感覚。
飛鳥が言わんとしていることがわかる。
そして、それは自分が三日前に持った、わずかな期待だ。
葉の目には、眉間にしわを寄せ、不機嫌そうな表情で顔を赤らめている飛鳥が映っている。
真っ赤な夕焼けを背負っているから、オレンジ色の光に色づけられているが、それでも頬が赤いのがわかる。そして、それは自分も同じだろう。
葉は、一度、声を出そうとして失敗した。冷静なつもりだが、実は、ものすごく緊張しているのだと気がついた。
何度か飛鳥に告げる言葉を心の中で確かめる。短い言葉だが、上手く言える気がしなかったから。
飛鳥が焦れる。
大丈夫だ。ちゃんと言える。自分を鼓舞する。さっきの弱気を打ち消す。大丈夫だ。だって、今まで、千日以上何千回も思ってきた言葉なのだから。きっとちゃんと言える
葉は意を決し、口を開いた。