早寝記録

輝く白

「……静が、弁当?」
「なになに? 羨ましいの? 羨ましいだろ。嫉妬して!」
「意味分かんないんだけど、え、てか静が弁当? 何? まさか彼女……!」
「違うよ」

 三年生になってできた友だちの春が驚愕の表情を浮かべて弁当を凝視している。春には詳しい家の事情だとかおれが危ない集団に属していることは言っていないが、廃倉庫(今は和音さんが買い取ったけれど)に寝泊まりしていることと、おれの料理の腕は知っている。おれは調理実習で全てを無に帰してしまったのだから。

「彼氏?」
「んん?」

 机に並んでいる昼食が三つに増えた。話に夢中で気付かなかったが、昼食仲間の最後のひとりが到着したのだ。最後の一人といっても三人だけなんだけど。
 そいつはとても人気者で、和音さんとはタイプが違うがとにかくモテる。顔も良いし性格も穏やかで、頭もとにかく良いけどそれをひけらかしたりはしない。優等生だがとっつきやすい。
 だけど最近こういうぶっとんだ発言をすることが増えた。

「ばっかじゃないの、壱! 普通はねえ、彼氏なんて聞かないの。聞くなら聞くで冗談っぽい雰囲気で聞きなよ」

 春が彼の隣に座った壱を肘で軽く小突く。

「冗談っぽい顔って苦手だし、冗談じゃないもの。静が誰を好きかなんてわからないでしょ。それに俺は怪しんでる人がいるんだ」
「怪しんでる人?」

 壱の言葉におれと春の声が重なる。おれたちは、御行儀よくいただきますをしてから卵焼きを口に放り込んだ壱の言葉を待つ。

「もしやもしやかずねさん?」

 しかし、壱が嚥下を完了する前に春が口を開いた。

「さすが春。まあ、単純な消去法だよね」

 水を一口飲み、壱が答え合わせをする。これが見事だった。彼はおれが今まで話してきた少ない情報で論理的に和音さんへとたどり着いたのだった。

「けど、一番はやっぱり顔かな」

 百点満点の回答をした壱が、からかうように笑った。

「和音さんの話をする時の静の顔、恋する女の子の顔だもん」
「壱、俺最近気付いたけど、男の子も恋してる時きらきらしてるよ。そこには性差なし」
「じゃあ俺がいつもキラキラしてるのもきっと恋をしてるからだね。誰にとは言わないけど」
「知らんよ!」

 いつものように軽口を叩き合うふたりをよそに、おれは和音さんのことで頭がいっぱいになっていた。気がついてしまった、気がする。
 このお弁当を作った人が誰か。
 だから、否定できなかった。……待て。否定しなきゃいけないとこがある。

「和音さんと付き合ってないから! ここ改めて貰わないと和音さんにまじ失礼! わかった!?」

 叫ぶが、もう春と壱はふたりの世界に入ってしまっている。おれの声なんて聞いてない。

 おれは食べ始める前にもう一度お弁当を見下ろした。
 多分、スタンダードなお弁当。二段組で、下段がのり弁で、上段におかずが入っている。その中にタコさんウインナーがあった。タコさんウインナーには顔がついていた。たぶん目にはごまを指し、口はのりで作ったのだろう。細かい作業だが良くできていた。ただ――

(これ、絶対和音さんだ……)

 前に一度、瑞樹が凛のためにお弁当を作ったことがある。確か、凛が遠足に行くときのことだ。おれと、その日泊まっていた和音さんが倉庫の台所に立つ瑞樹を見てすごく驚いたのを覚えている。
 瑞樹もいろいろあるようであまり家にはいられないらしく、こっそり倉庫の台所を借りるという苦渋の決断をしたと言っていた。
 瑞樹がお弁当を作るのを和音さんは興味深く見ていた。
 そして瑞樹がウインナー下部にいくつも切り込みを入れ始めた時、彼の好奇心は最高潮に達したのだった。

「何してんの? 朝だから頭おかしくなってんの?」

 タコさんウインナーの存在を知らなかった和音さんは、ウインナーの下部を数本に切り分ける瑞樹の行為を奇行ととらえたらしかった。

「タコさんウインナーだよ。和音知らねえの? クラスメイトのさ、お弁当に入ってなかった?」
「知らない。人の弁当とか、興味ない」
「そうかよ」

 俺はこの時瑞樹の目が意地悪く光るのを見た。

「じゃあ俺がお前にタコさんウインナーというものを教えてやろう」

(和音さん、信じちゃったんだろうな……)

 おれの箸に摘まれたタコさんウインナーには口があった。そこからは、何をつけたのか、輝く白が飛び出ている。

『日本のタコさんウインナーはなんでかしらねえけど出っ歯が主流なんだよ。ほんとおかしなはなしだぜ』

 そう言って完成した瑞樹のタコさんウインナーの口からはお塩でデコられた出っ歯が覗いていた――

 しかし、これによりお弁当を和音さんが作ったという事実がおれの中でほぼ確定した。
 死ぬ気で食べなければならない。米粒ひとつぶまで真剣に、味を舌に、いや細胞に焼き付けるのだ。
 タコさんウインナーを持った手が震える。
 お弁当を食べている間はそれはもう至福の時だった。たまに春や壱から話しかけられたが食べ終わってからにしてくれと断った。それからは無視だ。

 休み時間が終わる頃、教室に弁当箱を置きに行った。それからは各自離れての行動になる。三年に上がってから、授業はほとんど受験対策になった。おのおの好きなプログラムを自由に組めるから個人の責任が大きくなるが、おれはなんだか本気になれず適当に選んでいた。
 だって、頑張って勉強して入る大学は、この近くにはない。ということは、和音さんと離れ離れになってしまう。口では大学に行くと言っていたが、本当は悩んでいる。
 良い大学に行ってそこでも頑張って勉強して公務員の上の方にでもなれたらおれを捨てた奴らに復讐ができる。捨てなきゃ良かったって、ちょっとでも思わせることができるかもしれない。
 けど、そこに和音さんはいない。

 おれにとっての幸せは、考えるまでもなく和音さんの傍に置いていてもらうこと。望めば可能だろうか。和音さんなら、優しいからいいよって言ってくれるだろう。
 そうしたら思いの大きさが太陽と月くらい違っても、おれは喜んでそばに置かせてもらう。

(どうしよ……)

 机の脇のフックにお弁当を大事に掛け、机の中から使い込んだ数Ⅲの教科書を取り出す。

 人との関係に比べたら勉強はあくびが出るほど簡単だ。ただ本に書いてあることを覚えて、応用していくだけ。大体は暗記でどうにかなる。何もここ二、三年で試験が始まったんじゃないんだから、遡っていけば真新しい問題なんてほとんどなくなるのだ。
 だから、きっと頑張ればそれなりの職業に就けると思う。面接だって設定と演技力の試験だ。

 ため息を吐いたら、たった今掛けたばかりのお弁当箱が目に入った。
 再び幸福度は限界を突破する。

「ま、いいか」

 ぎりぎりまで考えよう。まだ7月。大丈夫。

 そう言い聞かせ、おれは第十四教室へと急いだ。