早寝記録

屈折

 一度目はまだ良い。二度目から恐怖が生まれる。
 昨日のおれはどうしてあんなにすんなり和音さんの家におじゃまできたのだろう。普通に考えて迷惑だ。
 だっておれは見た目からして普通じゃない。真っ赤な髪だし、制服だって適当に着ている。しかも平日に日付が変わってから突然家に行くなんて常識がないにも程がある。

「迷惑ですよ」

 だからおれは何事もなく玄関に上がろうとする和音さんの背中に投げかけた。
 これ以上迷惑をかけちゃいけない。
 おれは今以上好きになってくれなくてもいいから、今以上嫌われたくない。

「迷惑?」

 だけどどう思ったのか、怪訝な顔をして和音さんが振り返った。慌てて付け足す。

「また、今度……良かったら、今度また来させてください」
「今度? 俺、迷惑?」

 勘違いしてしまった和音さんの言葉に慌てて否定しようとしたところだった。

「迷惑迷惑、残念!」

揶揄まじりの軽い声。

「げ」

 戸の奥からヒョイと声の主が顔をのぞかせた瞬間和音さんの機嫌があからさまに悪くなった。おれはというと、状況も忘れて驚きを含んだ感動を覚えていた。

 似てる。声の主は和音さんとよく似ていた。上か下かは分からないが、多分兄弟。兄弟ってやっぱり似るんだなと思った。おれには誰もいないからすこし感動したのだ。

 出て来た少年を改めて見る。すごく格好良い。
 髪の毛を明るく染め、肩近くまで長さがある和音さんとは対称的に真っ黒な短髪だ。
 和音さんから中性的な綺麗さを少し取って男らしさを付け足した感じ。

(でも……)

 ちらりと和音さんを見る。
 今出てきた少年も格好良い。だけどおれはやっぱり和音さんが好きだ。顔も和音さんが良い。
 こう思うのは、おれが和音さんがどんな人か知っているからかもしれない。
 そしてこう思えることはとても幸せなことだと思った。それほどまでにおれは和音さんが好きなのだ。

「ていうか何でいるの」

 もちろんおれの幸福になど気が付かず、和音さんが少年を睨む。
 顔は見えないが、背中だけで和音さんの表情がわかった。

「自分家にいちゃだめかよ。つうか日中からいるとか、やっと卒業?」
「は?」
「あーあ。和音が不良卒業したら、もう和音がグレて不協和音とか言えなくなるなあ。さーみし」
「うざい。それより呼び捨て止めてよ。いつも言ってるじゃん」
「なんでやめなきゃなんねーの?」
「俺の方年上だから」
「だって俺和音のこと敬ってねえもん。だからやだ」
「本当お前としゃべるといらいらする」
「口で俺に勝ったことねえからだろ」
「ふん……ていうかなんなのその髪。黒髪短髪なんてダサいってこの前言ってたじゃん。コトバ通りださいね」
「気付いたんだよ。やっぱ日本人たるもの黒髪短髪基本じゃね? 生まれたときの自然な姿でも格好良い俺ステキ」
「……いつ帰るの」
「明日朝一」
「五分後?」
「明日」
「五分後?」
「明日」
「五分後?」
「明日」
「五分後?」
「明日。なあ、友達?」
「ごふ……ともだ」
「それとも彼氏?」

 とんでもない言葉で黒髪が容赦なく和音さんの言葉を遮る。許されない行為だが、話の内容からするとこの黒髪の少年は和音さんの弟らしい。

「そう見える?」

 和音さんが抑揚なく問う。抑揚も激しさもないが、ケンカ腰だ。しかし弟は意地悪く笑うだけだった。

「いいや、和音の片思いだな」

 そして見当はずれなことを言う。いや、見当は外れていない。おれが和音さんに片思いをしていることは事実なのだ。矢印の方向が逆だが、片思いというのは当たってる。

「どうでもいいけど綾音も片思い中なんだっけ? 振られれば良いのに。こっぴどく。ほら、静何ぼさっとしてんの。行くよ」
「え? は、はい!」

 和音さんがおれの手首を掴み中へと急ぐ。おれは慌てて靴を脱いで遅れまいと努めた。

 和音さんに綾音と呼ばれた少年は、すれ違いざまにおれの手首辺りを見てなぜか驚いた様子だったが、和音さんは少しも気がついていないみたいだ。

 和音さんの部屋に向かうための階段で、忘れていた不安が蘇る。
 何をするにしても一度目は少しの勇気で踏み出せる。だけど、成功しても失敗しても二度目は一度目よりもはるかに怖い。

 一回きりだと思ったから和音さんの家族も見るからにまともじゃないおれを受け入れてくれたんじゃないか。
 常識的に考えて、何日も続けて泊まることは礼儀に反する。和音さんの家族ならきっとみんないい人たちだろうから、家がないんですと言ったら招き入れてくれると思うけど、自分の恥を曝け出して迷惑を掛けるのは御免だ。

「倉庫より、俺の部屋かなり涼しいから、夏の間いればいいよ」

 和音さんが小さな声で言った。

 二度目は怖い。和音さんの家族にも迷惑を掛けるし、嫌われてしまうかもしれない。

 でも――

 おれの中に今までとは違う考えが生まれる。

 和音さんが良いといってくれているんだ。
 しかも学校にまで迎えに来てくれた。

 それなら、誰に迷惑をかけても良いんじゃないか。

 和音さんに嫌われないのなら、他はどうでもいい。和音さんがおれにかまってくれるなら他になにもいらない。

 そうだ。そうに違いない。

「……ありがとう」

 覚悟して呟いたお礼の言葉は、礼儀知らずなほど小さくなった。和音さんに聞こえただろうか。
 聞こえなくても、触れ合った手から伝わればいいのにと思った。