早寝記録

綾音

「げ」

 電話を開いた和音さんが顔をしかめる。どうしたのか尋ねると、綾音が帰ってきてる、と苦々しい声を出した。

「しかも、なんか好きな子連れてきてるんだって。うわ、引く」
「引くの?」
「片思いじゃなくなった。さすが俺。自慢するから戻れ。だってさ。引く」
「さすが俺、かあ」
「ムカつく。世界一周してるから無理って送っとこ」

 和音さんがぶつぶつと呟く。意地の張り合いが可愛かった。
 偶像の和音さんではなく、ありのままの和音さんを見るようになって約二週間。和音さんは格好良いだけでなく、とても可愛い性格をしていることに気がついた。そして優しい。おれが和音さんといたいがために距離を置いていた時だって不器用な優しさをくれる和音さんは、おれがまた中学の時のように接するようになってその不器用さを取り払った。普通に一緒にいれることをおれは嬉しいと思っているが、和音さんも同じように思ってくれているのだろうか。
 前まではおれは敬語を使っていたからはたから見ていて先輩と後輩のように見えていたと思うが、今はどうだろう。この店内にいる人達の目に、おれと和音さんはちゃんと友人同士に見えているだろうか。

「うわ。もう返事来た。あいつメール打つのやばい……」

 和音さんがたどたどしい手つきでメールを打っている。そして、テーブルの上の請求書を持って立ち上がった。

「綾音、帰るって。好きな子の姿こっそり見てこう」

 和音さんの提案にのり、おれと和音さんはこっそりと綾音と彼の彼女を見に行くことにした。和音さんはあまりひとの恋愛に興味がないように思っていたので意外に思う。弟だから見たがっているのだろうか。

「和音さんでも興味あるんだね」

 遠回りだが、綾音たちと鉢合わせる心配のない繁華街を抜けて和音さんの家に向かっている時、尋ねてみた。

「何が」
「綾音……くんの好きな子。おれ、和音さんはそういうの興味ないと思ってた」
「いつも偉そうだから、へこへこしてるとこを見たいだけ。あいつ、好きな子に言われて髪とか真っ黒に染めたんだよ」
「そうなんだ」
「うん。兄貴が言ってた。兄貴美容師で、綾音も俺も兄貴にやってもらってるんだけど、綾音ってずっと髪染めてパーマまで掛けてたんだよ。なんていうの? ふわって感じの。男のくせに」

 この前少しだけ会った綾音を思い出す。黒髪短髪の爽やかなやつだった。切れ長の目に、まっすぐに伸びた鼻梁、彫りは深くないが、平坦でもない。誰が見ても見惚れるような癖のない美形。彼ならば、何色でも、ふわっとした髪型も似合っていただろう。

「髪とか服になんかこだわっててうぜえって思ってたんだけど、家族も綾音のこだわり知ってたから、髪切った時はちょっとした騒ぎだった。家の中で」
「へえ」
「で、それが後輩に言われたからって理由だから、さらにびっくりだった」
「後輩が綾音君の好きな子なんだ」
「そうみたいだよ」
「綾音くんって何高なの? 市内?」

 和音さんの弟なのだから市内だと一度くらい噂として入ってくるだろうに、今まで一度も綾音の話を聞いたことがなかった。

「いや。山奥の男子校。それなのにおしゃれしてたんだよ、あいつ」
「……ん?」
「何?」
「男子校?」
「……あ」

 和音さんもおれの違和感に気が付いたらしい。表情が固まる。

「好きな子、後輩? は? 中学の?」

 そしてつぶやきだした。

「中学も男子校じゃん。なんなの、あいつ、好きな子って、誰なの」

 和音さんが動揺している。そんな和音さんを見て、おれも動揺している。この反応、やはり和音さんはストレートだ。超ノーマル。おれの恋が成就するとは思っていないが、絶対にバレてはならない。

「見に行くの、止める?」
「え? なんで? 行くよ。決まってんじゃん」

 おれの問いかけに和音さんは予想外の速さで返事をした。ちょっと食い気味だった。

「引いてるのかと思った」
「綾音に? 引くに決まってる。さすが俺とか、引くでしょ」
「きっと男の子いるよ、綾音くんの隣に」
「それはどうでもいい。……って、何驚いた顔してんの」

 和音さんが呆れた目をくれる。

「だって、さっき動揺してたから、男同士ってのに引いてると思った」
「女も男も、そんなに変わんないじゃん」

 変わるよ、と言いかけたがすんでのところで口を閉じる。
 和音さんには昔から女も男もまるでハエのようにたかってきていた。いくら拒絶しても、和音さんを手に入れたい人は消えず、また次から次へと湧いていた。和音さんと夜遊んだり歩いたりすると、金をやるからヤらせてくれという男や女もたくさん寄ってきて、そんなやつらを和音さんはすごく汚らわしい物を見る目つきで見ていたのを思い出す。今和音さんが言った女も男も変わらない、とは決して良い意味ではない。

「そんなに変わんないのか」
「普通じゃないことくらいは俺でもわかるけど。でもその中であのナルシストが自分の見た目を変えるくらい好きになったんだから、きっといい奴なんじゃないの。だから男でも別に良い」
「じゃ、じゃあ、和音さんも?」
「は?」
「和音さんも、良い奴いたら女でも男でも構わず好きになる?」

 たぶん、5年分くらいの勇気を振り絞ったと思う。でも「好きになる」という返事が帰ってきたらおれはどうするのだろうか。もしかしたら頑張ってしまうかもしれない。和音さんにいいやつだと思われるように頑張るかも。

 和音さんは思案する素振りを見せた。そして、少し寂しそうな目で、遠くを見つめた。

「俺の場合、そんな簡単じゃないかも」
「簡単じゃない?」

 人間不信なのだろうか。人を信じられず、好きになれないのならおれとおそろいだ。だけど、おれはもう人間不信から脱出できている気がする。というよりも、おれはいつも和音さんのことが好きだった。純粋な好意だと自分をだましてきたけれど、どうしようもないくらい好きで、傍にいたくて、そのためならなんでもできた。

 人間不信の信ってなんだ?
 信用? 信じる? 信頼? 信仰? 信仰は違うか。
 そもそも、信じるという言葉自体曖昧なものだ。みんなどういう意味で信じてるなんて言葉を言うのだろうか。裏切られないと思うことが「信じる」という言葉に置き換えられるのか。
 だったら「裏切る」はどのようなことを指すのだろう。少し考えて答えを出す。きっと、結局は自分の思うようにならなかったときに人は裏切られたと感じるのだ。
 それならばおれは和音さんを信じてはいない。もし和音さんがおれの望んだことと反対のことをしたっておれは裏切られたとは思わないし、和音さんを好きな気持ちも変わらない。
 和音さんがおれを嫌いになって冷たいばかりの言動をとるようになったとしたら、おれは裏切られたと泣くよりもショックを受けて死ぬだろう。

(やばいかも)

 等身大の和音さんを見ようとし始めたって、おれが和音さんに持っている感情はやはりどこか信仰心に似ている。
 おれが作り上げた金ピカの和音さん像が崩れ、案外子どもみたいで可愛い性格の和音さんが現れても、根底にある和音さんに対する感情は何も変わっていない。
 おれは和音さんという存在に依存しているのだ。それも、かなり重度の依存。
 でも、どうしてだろう。おれは、和音さんのことを昔から好きだった。だけど、いつ、なんで好きになったのか。思い出しても明白なきっかけは思い起こせない。

「どうしたの、急に黙って」

 和音さんが顔を覗きこんでくる。流れる前髪。輝くお顔!

「眩しい!」
「は?」
「やっぱなんの前触れもなく和音さんの顔が近くに来たら眩しくて自然に目を閉じちゃうよね」
「意味分かんないよ……」
「だってさあ、和音さん超美人。仕方ない」

 和音さんの顔をまじまじと見る。はじめ和音さんは呆れたような表情をしていたが、すぐに何かを思いついたような顔になった。

「静って、俺の顔好きなの」
「えっ」
「今思ったけど、前も褒められた気がする」
「寧ろ和音さんの顔好きじゃない人探すの難しいって」
「他の話はしてない。静はどうなの」
「おれは……」

 なんだろう。照れる。勢いに任せて格好良いとか綺麗とか大好きとかは言えるけど、こうやって尋ねられるのはすごく緊張する。

「でも、これって嫌いって言えない雰囲気だよね。まずった」
「ふ、雰囲気とかなくてもおれ、好きですよ。あの、和音さんの、か、顔……。いや、っていうか、顔だけじゃなくて、なんか全部好き!」

 恥ずかしさを吹き飛ばしたくて叫ぶ。

「……声、でかいんだけど」

 人通りの多い繁華街、気付けばじろじろと大勢の人々に見られている。

「静、顔真っ赤」

 和音さんがふっと笑う。雲間から光が射したような神々しい笑み!

「無理! 恥ずかしい!」
「いいじゃん。俺も静の顔好きだよ」
「えええええ!」

 和音さんがとんでもない告白をする。びっくり! うそ! 信じられない!

「ほんとだよ」
「ありえない! どこが!?」
「八重歯」
「そこ!?」

 でもピンポイントだ。納得!

「まあ、でも、可愛い顔してる」

 和音さんの言葉を反芻する。まあ、でも、可愛い顔してる。まあ、でも、可愛い顔してる。まあ、でも、可愛い顔してる。まあ、でも、可愛い顔してる――

『早川くんまじうけるーかわいー』
『やべー犬みたいなんですけど。かわいー』
『学祭でうちらの制服着せて立たせとこー早川なんかうけっし。可愛い顔してるし似合うって』

 今までかわいいという言葉を使い女子やチャラい男たちが散々馬鹿にしてきたが、そんなものが一瞬で消えるほどの衝撃を受けた。

「生きてきてよかった……」
「何いきなり。意味わかんないんだけど」
「邪魔くさいと思ってたけど、生やしといてよかった」
「は? 何を」
「八重歯」
「……そう」

 ああ、なんか昔を思い出してきた。なんか、敬語を取っ払ったからか、なんだかわからないが、なんか、もう、ダメだと思ってても言っちゃいそう、口が滑る!

「もうなんか和音さん!」
「な、何」
「おれの顔好きならムラムラしたとき言ってくださいおれ付き合う! おれべつにホモって訳じゃないけど和音さんになら喜んでほらっ」

 和音さんの平手が口に飛んでくる。やってしまった! テンションが上がりすぎた。和音さんは男になんか突っ込みたくないだろう。

「ほほぅほほぅ」
「何?」

 和音さんが手を離す。

「ごめんなさい」
「いいよ、別に。ていうかなんなの。静、これ前も言ってたけどさ」
「前も最後まで言えなかったよ」
「意味わかんないんだけど。いや、意味はわかるけど、理解できない。もし俺が本気にしてムラっと来たからって静に言ったらどうすんの」
「えっ願ってもない!」

 言ってからまずかったと気がつく。これじゃ和音さんにハエのようにたかっていた野蛮な女や男どもと同じだ。言い訳しようと口を開く。

「あ、ありえない」

 しかし、おれが何かを言う前に和音さんがそっぽを向いてしまった。早歩きでおれの先を行く和音さんの顔は見えないが、おれの目には和音さんの耳が真っ赤に染まっているように映っている。

 まさか、照れてる……!
 ハエどもに対する反応とは明らかに違う。身の程知らずにも嬉しくなったが、なぜか無性に恥ずかしくなり、おれは無言で歩く和音さんの少し後ろを早足で追った。