文系的には
学校名を隠すように銘板に背を預けて立っている。胡乱げに細められた目は、ぼんやりと正面を見つめていた。口からは細く白い棒が出ており、派手な色に綺麗に染められた髪の毛もあって遠くから見るとタバコを吸っているようだった。
そう、おれは今遠くから見ているのだ。銘板の前に立っている和音さんを!
「和音さん!」
叫ぶと、和音さんがふとおれの方を向き、背を浮かせる。
「なんで。校舎と反対の方から来るとか意味分かんないんだけど」
和音さんの表情が不機嫌なものに変わる。頬は口の中に入れた棒付きの飴によって膨らんでいた。甘い匂いが漂ってくる。
「さぼってたんじゃない。11時からの講習がなくなったから、本屋に行ってたんだよ」
「ふうん」
「ほんとだって! おれだって送ってもらった手前、さぼれない。良心が邪魔して」
「あ、そ」
「そうそう」
本屋には、鳥居の参考書を買いに行っていた。おれは頻度はかなり少なくなったが倉庫を抜けてはいないし、だとしたら鳥居と仲良くお外でつるむわけにはいかない。そう、断じて抜けてはいないのだ。
「何、変な顔して……」
和音さんに顔を覗き込まれる。はっとした。和音さんといる時に別の男のことなんか考えちゃって! 言い方に語弊があるがわざとだ。心の中でこんなことを思うくらいタダだろう。
「静!」
その時だった。敵の声が聞こえた。鳥居だ。校門の方からこっちに走り寄って来ている鳥居を和音さんが怪訝そうに見つめる。
「友達?」
そしてこっそり尋ねてきた。
「なんか見たことある……」
和音さんが呟く。なんて言おうか迷ったが、言うべきことはひとつだ。
「鬼が島のメンバーだよ。クラス違うけど、同じ学校」
「へえ。道理で。頭良いんだね」
「うん。だから友達ではないよ」
「ひでえ!」
ちょうどのタイミングで着いた鳥居が、おれの言葉を耳ざとく聞きつけたようでわざとらしく顔を歪めておれを睨んだ。
「確かに友達ってわけではねえーけどさーそこは社交辞令でも友達って言っとくとこでしょ! これだから理系は困る」
「理系とか関係ねえって」
「ま、いいや! あのさあ、進藤君、俺桃原の仲間の鳥居って言うんだけどさ。あ。あんたに伸されたこともあるよ」
「そう」
鳥居が左頬を指しへへっと笑う。
「このたび俺、静君に化学教えてもらうことになったから。いちおうの挨拶ね、挨拶。でも、静ってさあ、もうあんたらのグループ抜けたんでしょ? 平和に暮らしてるし」
「だから、抜けてねえって!」
あくまでも抜けたと言いはる鳥居に向かって文句をいうが、鳥居は意地悪な顔をさらに意地悪に歪めて笑う。
「けど、進藤君黙ってるよ? 否定しない。文系的には、否定しないっていうのは肯定の証なんだよね」
「和音さん! そこは否定してよ!」
「んー……」
「悩んでる悩んでる。悩むってことはね、言い訳を考えてるんだよ。文系的には」
泣きぼくろを毟り取りたくなった。
「次のケンカにはおれ、参加するから! 一発殴ってやる!」
「殴られる前にお前の顔にホームラン決めるし」
しししと笑う鳥居を残し、和音さんの腕を引っ張り帰途につく。しばらく進んだところで、自転車がないことと参考書を渡し忘れたことに気がついた。
「和音さん、自転車は?」
「パンクしたから家」
「じゃあ何で来たの?
「運動がてら走って」
「このクソ暑いのに!」
「考え事には、走るのが一番だから」
「……考え事?」
和音さんの横顔はさっきから変わらない。昨日は楽しそうだったのに、何に悩んでいるのだろう。もしかして喧嘩せず警察に助けを求めたという噂が流れていることが和音さんの耳にも入っているのだろうか。
「和音さん」
「静、俺、夏いっぱいで総長辞める。ケンカも卒業」
和音さんの口から飛び出したのはにわかには信じられない言葉。下っ端であればいつ抜けても問題はないが、幹部的な存在から上になるとその抜け方が重要視される。とくに一番上の総長なんかは大変で、普通はみんな高校卒業の時に大きなケンカをして引退になるが、途中で抜けるなんて聞いたことがない。辞めさせられたとか負けてチーム自体がなくなるとかは、頻繁にはなくても途中引退の理由として考えられるが、自ら辞めることはありえない。寧ろ、あってはならないことだ。
何も言えなくなったおれを見て和音さんがため息をつく。
「俺は、望んで人の上に立ってるわけじゃない。今までは、罪悪感もあってやって来たけど、もう俺がいなくても大丈夫」
「みんなは大丈夫かもしれないけど、和音さんが大丈夫じゃない」
「俺?」
「途中で抜けるなんて、周りが許さないよ。周りって、倉庫のじゃなくて、他の、鬼が島とかジョンソンとか、あと――」
「スサノオか」
おれが言い出せなかった規模の大きいチームの残りの1つを和音さんが口にする。鬼が島はトップが桃原というやつになってから統率が取れ出して、話ができる集団になった。ジョンソンは脳筋のあつまりでとにかくケンカができれば良いところだし、副総長の要は冷静で常識的なやつだから誰かが和音さんを襲ったり拉致ったりしても軽く入院くらいで済むだろう。
問題はスサノオだ。頭のネジが外れている奴らが揃っており、運悪く捕まると遊びでは済まされない拷問まがいの暴力が待っている。数はそんなにいないが個々の身体能力は高い。総長の間宮はメンバー同様ネジが飛んでいると思われがちだが恐ろしく冷静で、頭がいい。だからこそ怖い存在だ。いくら和音さんでもひとりで挑むのは自殺行為。あいつらにはチームで束になってかからないと勝てはしない。もし、和音さんの途中引退を知ったスサノオが和音さんを攻めて来たらと考えるだけで体が恐怖に侵される。
「まあ、どうなるかはわからないけど、とにかく、俺はもう決めた。ナオにも言ってきたし、静が何を言っても無駄。ただ、チームは静と作ったものだと思ってるから、みんなに言う前に言っただけ」
「ナオ君には先に言ったんでしょ」
「だって、ナオに総長引き継ぐから」
和音さんは重大なことをしれっと言った。
「無理だよ! 弱いし、危ない!」
「静もナオが心配?」
「おれもって……?」
「みんないつもナオのことを心配してるけど、ナオは頭が良くて少しずるいから大丈夫。それに気持ちが強い。ナオが来てからみんな良い方に変わったし、任せられるのはナオしかいない」
「……ナオ君はなんて?」
「初めはできないって言ってたけど、今静に言ったことをそのまま言ったら、やりますって」
「そっか……」
沈黙。和音さんは、さきほどと比べ少しだけすっきりした顔になっていた。和音さんでも緊張したのだろうか。でもおれ相手に緊張する理由がないからきっと違うだろう。
「でも、やっぱり他と同じように高校卒業の時に引退するべきだよ」
和音さんの考えは変えられないとわかっていても、この先すぐ起こるだろう混乱を思えばおれの口は彼を留める方向に動いてしまう。問答無用で首を横に振ると思っていた和音さんは意外にも首肯した。
「それはわかってる。し、実は、他のところともタダじゃすまないこともわかってた」
和音さんがわずかに微笑む。わかっててこの表情をできるなんて、ドMもビックリだろう。和音さんは自分の力に過信もないし、ひとりでチームひとつをまるごと相手に出来るとは思っていないと思う。それなのに、落ち着いている。まさか――
(死ぬ気……!?)
顔が青ざめるのが見なくてもわかった。おそらく真っ白になっただろうおれを見て和音さんがいよいよ吹き出す。
「何考えてるか知らないけど、自棄じゃないから安心してよ」
「や、自棄じゃないなら、なんで……!」
「もう、うるさいよ。母親よりうるさいんだけど。いつか話すから、静は勉強だけ頑張ってて」
和音さんに頭を叩かれる。どうにか考えなおして欲しくて無理だとわかってもなお説得に励んだが、和音さんは家に着くまでおれを無視し続けた。
『文系的には――』
鳥居が浮かぶ。理系のおれに人の説得は無理だ。文系的にはどうなんだろう。打つ手なしとなったおれが説得の最後に思ってしまったくだらないことだった。