ほんとの話
鳥居に市の図書館に行こうと誘われ、講義が終わった後連れ立って外にでる。空には重たそうな雲の層があり、雨が降り出しそうだった。ふと、航平から無理やり借りた自転車がまだカモメのジョンソンのたまり場に置きっぱなしにしてあることに気付いたが、鳥居との勉強が終わった後にでも取りに行って、倉庫に置きに行こうと軽く考えた。
鳥居は今日の天気とは逆に、妙に晴れやかな笑みを浮かべながら学校がある風景に溶け込んでいる。
「図書館大好きなんだよねー。あそこはまじでたまんねー」
「文系的に?」
「理系的にもたまんねーよ、きっと」
「本借りたことねえや」
「え! 行ったことないの!?」
「勉強しにならあるけど」
倉庫じゃなかなかできなかったし、高校の図書室が閉鎖している時は結構行っていた。
和音さんが倉庫に来るのは早くて夕方だったから、学校が終わって2時間はいつも図書室にいた。地面に目を落とす。勉強なんかしないで、周りのやつらなんか気にしないで、和音さんと同じ学校に行って中学生の頃のように接していたらこんなことにはなっていなかった。きっともっと楽しくて、きっともっと幸せだった。
「静、なんかいる」
鳥居に背中を突かれて地面に落としていた目を上げると、校門に背を向けてじっとこっちを見ている人物の姿がある。黒いスーツにオールバック。
「遠野さん……」
「よお」
「ヤクザ?」
鳥居が耳元で囁く。
「わかんねーけど良い人」
鳥居を置いて遠野さんに駆け寄ると、遠野さんがぽいとおれに向かって何かを投げた。
「うわっ」
きれいな放物線を描き宙に放られたそれを立ち止まってなんとか掴み、見ると、手の中に卵みたいなフォルムをしたおもちゃがあった。
「なにこれ……」
重くはないけど、卵くらいの重さはある。
「わ! 静、それ安心エッグだよ!」
「安心エッグ?」
「親が小さい子に持たせる電話! GPS機能に優れてる。あと、上の部分を引っ張ればお助け信号が出るんだ。すげー! 高校生で持ってる奴多分静だけだよ」
「……遠野さん?」
恨めしげに遠野さんを見ると、遠野さんが晴れやかな笑みを浮かべた。
「それやるよ、電話。さっき買ってきた」
「……どうも」
「もう帰るか?」
問われて、少し悩む。鳥居は空気を読んでか何も言わない。
「鳥居……こいつと、図書館で勉強する」
「そうか。うち、門限は21時厳守だから。これでも遅いが、一分でも遅れたらお仕置きだ」
「……家、覚えてない」
「じゃあ、今日は迎えに行ってやるからそれで呼べよ。わかったな」
「うん」
そう言って、遠野さんが校門を出た。黒い高級そうな車がさっと路肩に寄り、遠野さんを拾ってさっそうと去っていく。本当に、遠野さんは何者なんだろう。謎は深まるばかりだが、趣味が和音さんの家の使用人で優しい人だということはわかっているから、それで十分にも思えた。
「静、俺念願の電話! 番号教えてよ」
「あ? うん」
鳥居に急かされたまごを操作する。真ん中に一つボタンがついており、押すと上下に卵が開き画面が現れた。こんなおもちゃみたいな見た目でもタッチパネル式らしい。子供が対象とあって機能は限られており、電話帳と電話、設定しかメニューがない。
自分のを見ようと開いた電話帳には、遠野さんが入れたらしい番号が2つ。遠野さんの電話番号と、和音さんの番号だった。
気持ち悪いことに、おれは和音さんの電話番号を暗記しているから必要ないが。昔のことだが、寂しい夜に眺めていたら覚えてしまったのだ。
鳥居と電話番号の交換を終え、図書館に向かう。たまごの中に和音さんとすぐに繋がれる道具があると思うと、それだけでそわそわしてしまう自分が情けなかった。
* * *
「なんか俺今日一日で頭良くなったわ~」
図書館を出て鳥居が伸びをする。
空はもう真っ暗で、夜風が冷たい。立ち止まるおれたちの脇を、受験生と思われる女子高生たちが楽しそうにはしゃぎながら通り過ぎていった。
「静、あのヤクザの人呼んだら?」
「ヤクザって言うけど、まだわかんないってば」
「まあ、良いじゃん。てかお前あれ? アイジン?」
「はあ? 違うよ」
「へへ」
鳥居が意地悪く笑う。こいつは楽しそうに笑うがやはり意地の悪さが見え隠れしている。多分鳥居の本性は良いやつだが、顔がなんか、なんていうのか、参謀顔だ。何かを企んでいそうな感じ。泣きぼくろもそれに一役買っている気がする。
「やっぱ静って進藤君ラブなの?」
「そうだよ」
「あ、まじ? まじの話?」
鳥居が驚きに目を瞠る。
「やべー絶対教えてくれないと思ったのに」
「うっかりだよ。口が滑った」
自分でもなぜすんなりと肯定したのかわからなかった。そして、はぐらかすタイミングも逃した。昨日からおれはおかしい。人間不信だって言っておきながら、遠野さんの前では弱さを出して、鳥居には和音さんが好きだということをためらいなく告げている。こんな人間不信者いない。どちらも、人を信じていなければ出来ないことだ。
じゃあなんで、和音さんには出来なかったんだろう。
どうして、逃げ出してしまったんだろう。
「でも、安心して、大丈夫! 俺偏見全くないから! 俺も男に片思い中だから! 振られたけど」
「振られたの?」
「うん。気持ち悪いって一蹴。嘘だよって言って逃げたけど、深夜のタコ公園のタコの中で不審な嗚咽が聞こえたことがあったらそれ俺だよ」
「ひどいね」
「普通だよ。普通の反応。諦めたけど、好きが嫌いになるには時間が掛かるわ」
おれならそんなこと言われたらすぐに嫌いになるだろうなと思う。
……だけど、それがもし和音さんだったら? 気持ち悪いと言われても、きっと嫌いになれない。鳥居がもしおれが和音さんを想うくらいの恋をしていたならば、どういう気持ちで今話をしたのだろうか。
友達とこういう雰囲気でこういう話をしたことがなく、どういう顔でどんな反応をしたら良いのかわからなかった。鳥居を振るなんてもったいない、と本心を言ってやりたかったが、出会って数日のおれに言われたってなんだこいつと思われる気がして、結局何も言えなかった。前までのおれなら、適当にテンションを上げて適当なことを言っていたかもしれないが、そんな最低なことここではできないし、しちゃいけない。
「帰って飯食って風呂入って勉強しよー」
ね、と鳥居が言う。
「電話しなよ、遠野さんに。迷子になっちゃ困るし、もう20時だし」
「うん」
鞄からたまごを取り出し、遠野さんにかけると、ワンコール目で出た。
『終わったのか』
「うん」
『今図書館?」
「うん」
ここで気づいたが、今日のおれ、遠野さんに全く敬語を使っていない。昨日は取り乱して失礼な言葉遣いばっかりしてしまったけど、今日は普通の状態で失礼だった。
『今から向かう。15分くらいで着くから、明るいところで待ってろ。友達もだぞ』
「……大丈夫です」
『今の世の中物騒だからな。友達にも送ってくって行っとけ』
ぶつ、と電話を切られる。
「すぐ来れるって?」
鳥居が尋ねて来る。ふと感じたことだけど、こいつからも少し遠野さんと似たような雰囲気を感じる。まさか、こいつもおれのことをガキだと思って心配してるとか……?
「あ、明るいところで待ってろって。鳥居も送ってくって言ってた」
「えーいいよ! 俺の家ここから徒歩5分だし!」
「物騒な世の中だから」
「物騒って、一応さ、不良じゃん? 絡まれても結構勝てる自身あるよ?」
鳥居がケラケラと笑う。
「でも、送ってくって」
そう言って、図書館の庭にある変なオブジェに腰掛ける。ここだと車道も見えるし、遠野さんが来たらすぐに行ける。鳥居がとどまってくれるかどうかはわからなかった。帰るなら帰るで、それは強制できないし仕方ない。
でも鳥居は帰らなかった。甘えちゃおうかな、徒歩5分だけど、と笑っておれの隣に座った。調子が良くて、明るいやつだけど、なんとなく昔の自分を見ているような気もした。そんなこと思ったら鳥居に失礼だと感じながら。でもなんとなく、面白くない時もへらへらと笑っている気がしたのだ。
とりとめのない話をしながら遠野さんを待つ。何台の車が通ったのか。市の中心から少しだけ外れたところだけど、家に帰る人が多いのか、結構車通りがある。
そんな中、一台の車がおれたちの前で停まった。前に食事に連れて行ってくれた時と同じ、遠野さんの車だ。オブジェから立ち上がり、遠野さんの元へと向かう。鳥居もひょこひょこと付いてきた。
「俺、ここから歩いて5分で家に着くんですよ」
「良いから、乗れ。危ないだろ、今の時代」
ふふ、と鳥居が面白そうに笑う。おれの後に、お邪魔しますと丁寧に頭を下げて鳥居が乗り込んだ。