灯火
「今日は結構良かったな」
「そうだね……」
「最近あんまり流れてこなかったもんなあ」
「そうだね……」
「……おい」
「そうだね……」
「ぶっ」
頬を張られて初めて自分がぼうっとしていたことに気が付いた。痛む頬を押さえながら俺を殴ったイヴァンへ顔を向ける。
イヴァンは俺の隣にいる。はっとした。イヴァンが俺のベッドに腰掛けてくれてる! こんな幸せな状況なのに俺はどうしてぼうっとしていられたのだろう。熱に浮かされるっていう言葉があるが、本当にその通りだと思った。ん? 熱に浮かされる?
――俺、あるよ。
イヴァンの言葉、熱、唇に落とされたキスを思い出し顔からボウっと音が出た。もしかしたらイヴァンには聞こえていないかもしれないが俺には確かに聞こえた。マッチを擦って火が生まれた時に聞こえる小さなあの音が大音量で!
「……クゼ? おい、お前本当に変だぞ。どうしたんだよ。ついに逝ったか? 頭」
イヴァンが心配そうに顔を覗きこんでくれたのがわかる。逝ったかなんて心配そうな口調で言われたら俺どうすれば良いの。逝ってないよ。いや、逝った? 指先が妙に冷えている。顔には火がついていて今にも焼けただれるところなのに指先は冷たい。今俺がまともに思考できないのはきっと顔に火がついているから。イヴァンの顔がまともに見られないのも火が顔中を纏っているから。火からは煙が出るんだ。白い煙、黒い煙、人をおかしくしそうな白と黒が混ざり合った奇怪なグレー。どんな煙かはどうでもいいが煙は視界を曇らせる。隠してしまう。だからイヴァンの顔が見られない。冷たい指先を顔に持っていく。
「鎮火……」
「は? チン?」
「ご、ごめんね、も、もうダイジョブ」
「は?」
大丈夫と言いたかったが簡単な英語を間違えた。
「だ、大丈夫」
「……大丈夫じゃねえだろ」
イヴァンが溜め息を吐いて彼の輝くブロンドをくしゃりと掻き上げる。その気怠げな所作に俺は見入り、今度はイヴァンから目が離せなくなった。髪にやっていた視線はイヴァンの口元に下り、否が応でも昨日イヴァンがくれた階段の口付けを思い出してしまう。
「どうしたんだよ、クゼ、今日も朝から変だぞ。なんかあったのか? ……まあ、なんかあっても俺には関係ねえけど」
「うん、関係ないよね! 俺変だよね!」
「何元気に言ってんだよ」
イヴァンが大き溜めを吐く。俺は風になりたくなった。そしてイヴァンの溜め息に乗るのだ。そんな素敵な想像をしながら口を開く。
「俺、変だから!」
「まあ、そういや昨日から変だったな。愛のあるなんとかっつうやつ」
「アアアアアアアアアアアアイ、アイ」
「アイ?」
イヴァンからまさか昨日の話が出るとは思わず、日本語が出る。いや、母語の日本語にさえなっていない。イヴァンの眉間にくっきりと皺が刻まれた。
「……壊れた?」
「ひい!」
イヴァンの手が額に当てられる。ひんやりしている。熱い! どっちだ。どっちかはわからないけど、今死にたい。今死んだら俺天国に行ける。地獄でも天国になるし、今生まれ変わったらこの空間の風になれる。もしくは空気。イヴァンに吸い込まれたい! ふと、自分が気持ち悪くなった。少し落ち着こう。
「イヴァ、イヴァン、だいじょうぶだから、プリーズ、テヲハナシテクダサーイ」
「は?」
「ご、ごめん。あの、てを、はなしていいよ」
ゆっくりと間違えないように言って、イヴァンの両肩を弱い力で押す。イヴァンの手が額から離れたが、一瞬頭の中に出てきた客観的に見た今の俺たちの体勢がキスをする一歩前のものに似ていると感じた。感じた時にはもう遅く、イヴァンの肩に置いている手をいつ離したら良いのかタイミングに困ってしまった。
「クゼ?」
「ヒィ!」
イヴァンの片手が俺の腰に回る。
「やっぱ体もちょっと熱いじゃねえか。ヒィとか言ってるし、熱あるんだな。大丈夫か? 医務室行く?」
イヴァンがまたそっと俺の顔を覗き込む。優しい言葉に昇天しそうだ。
「なんて言うと思ったか」
「え?」
天使だったイヴァンが堕ちた。今はにやりと、女を惑わす色気しかない悪魔のような笑みで笑っている。
「俺、わかったんだよ」
腰に回った力が強くなる。
「な、何が?」
「俺の口元凝視して顔赤くしてりゃわかるよ」
「ヒィ!」
「なんだよ、そのヒィ! って」
イヴァンの眉が垂れ下がり、無邪気な笑顔が出来上がる。
「昨日の夜は普通だったのに」
「なな、なんか、下水でっあの、考えちゃって。その、お、お、俺の、あの、初めてのあれだったなって、そんなことを……!」
「はあ? レイプ歴長いんじゃねえの、お前。初なの? まさかだろ」
「だって、今までのはみんななんかべろべろして、そんなのは、き、キスじゃない。汚いだけの、気持ち悪いだけの行為だ」
言ってて恥ずかしくなり、イヴァンの肩口に顔を押し付ける。さらに密着することになったがイヴァンは何も言わずに受け入れてくれた。幸せだ。死にたい。生きたい。イヴァンの隣で長生きしたい。死にたい。
「俺、昨日みたいなのは初めてだったんだ」
言ってから、うざったかったかな、鬱陶しかったかな、重かったかな、などたくさんネガティブなことを思ったけれど、イヴァンは何も言わず俺の腰に回す手の数を二つに増やした。抱きしめられているような錯覚に陥る。違う。錯覚じゃない。イヴァンの気持ちはどうであれ体勢だけは抱きしめられている。
「お前にとって、キスは一大事なんだな」
そしてぽそっとイヴァンが呟いた。
一大事だよ、とは言えなかった。そんなことないよ、ともさっき俺が言った言葉から言えなかった。何を言ってももうイヴァンにはしっかりと伝わってしまっている。
アイ。
これは、紛れも無く愛だと思った。愛にも一方通行はあるのだ。俺は愛のあるキスをしたことがある。まだ、レイプはないけれど。
「そうだね……」
「最近あんまり流れてこなかったもんなあ」
「そうだね……」
「……おい」
「そうだね……」
「ぶっ」
頬を張られて初めて自分がぼうっとしていたことに気が付いた。痛む頬を押さえながら俺を殴ったイヴァンへ顔を向ける。
イヴァンは俺の隣にいる。はっとした。イヴァンが俺のベッドに腰掛けてくれてる! こんな幸せな状況なのに俺はどうしてぼうっとしていられたのだろう。熱に浮かされるっていう言葉があるが、本当にその通りだと思った。ん? 熱に浮かされる?
――俺、あるよ。
イヴァンの言葉、熱、唇に落とされたキスを思い出し顔からボウっと音が出た。もしかしたらイヴァンには聞こえていないかもしれないが俺には確かに聞こえた。マッチを擦って火が生まれた時に聞こえる小さなあの音が大音量で!
「……クゼ? おい、お前本当に変だぞ。どうしたんだよ。ついに逝ったか? 頭」
イヴァンが心配そうに顔を覗きこんでくれたのがわかる。逝ったかなんて心配そうな口調で言われたら俺どうすれば良いの。逝ってないよ。いや、逝った? 指先が妙に冷えている。顔には火がついていて今にも焼けただれるところなのに指先は冷たい。今俺がまともに思考できないのはきっと顔に火がついているから。イヴァンの顔がまともに見られないのも火が顔中を纏っているから。火からは煙が出るんだ。白い煙、黒い煙、人をおかしくしそうな白と黒が混ざり合った奇怪なグレー。どんな煙かはどうでもいいが煙は視界を曇らせる。隠してしまう。だからイヴァンの顔が見られない。冷たい指先を顔に持っていく。
「鎮火……」
「は? チン?」
「ご、ごめんね、も、もうダイジョブ」
「は?」
大丈夫と言いたかったが簡単な英語を間違えた。
「だ、大丈夫」
「……大丈夫じゃねえだろ」
イヴァンが溜め息を吐いて彼の輝くブロンドをくしゃりと掻き上げる。その気怠げな所作に俺は見入り、今度はイヴァンから目が離せなくなった。髪にやっていた視線はイヴァンの口元に下り、否が応でも昨日イヴァンがくれた階段の口付けを思い出してしまう。
「どうしたんだよ、クゼ、今日も朝から変だぞ。なんかあったのか? ……まあ、なんかあっても俺には関係ねえけど」
「うん、関係ないよね! 俺変だよね!」
「何元気に言ってんだよ」
イヴァンが大き溜めを吐く。俺は風になりたくなった。そしてイヴァンの溜め息に乗るのだ。そんな素敵な想像をしながら口を開く。
「俺、変だから!」
「まあ、そういや昨日から変だったな。愛のあるなんとかっつうやつ」
「アアアアアアアアアアアアイ、アイ」
「アイ?」
イヴァンからまさか昨日の話が出るとは思わず、日本語が出る。いや、母語の日本語にさえなっていない。イヴァンの眉間にくっきりと皺が刻まれた。
「……壊れた?」
「ひい!」
イヴァンの手が額に当てられる。ひんやりしている。熱い! どっちだ。どっちかはわからないけど、今死にたい。今死んだら俺天国に行ける。地獄でも天国になるし、今生まれ変わったらこの空間の風になれる。もしくは空気。イヴァンに吸い込まれたい! ふと、自分が気持ち悪くなった。少し落ち着こう。
「イヴァ、イヴァン、だいじょうぶだから、プリーズ、テヲハナシテクダサーイ」
「は?」
「ご、ごめん。あの、てを、はなしていいよ」
ゆっくりと間違えないように言って、イヴァンの両肩を弱い力で押す。イヴァンの手が額から離れたが、一瞬頭の中に出てきた客観的に見た今の俺たちの体勢がキスをする一歩前のものに似ていると感じた。感じた時にはもう遅く、イヴァンの肩に置いている手をいつ離したら良いのかタイミングに困ってしまった。
「クゼ?」
「ヒィ!」
イヴァンの片手が俺の腰に回る。
「やっぱ体もちょっと熱いじゃねえか。ヒィとか言ってるし、熱あるんだな。大丈夫か? 医務室行く?」
イヴァンがまたそっと俺の顔を覗き込む。優しい言葉に昇天しそうだ。
「なんて言うと思ったか」
「え?」
天使だったイヴァンが堕ちた。今はにやりと、女を惑わす色気しかない悪魔のような笑みで笑っている。
「俺、わかったんだよ」
腰に回った力が強くなる。
「な、何が?」
「俺の口元凝視して顔赤くしてりゃわかるよ」
「ヒィ!」
「なんだよ、そのヒィ! って」
イヴァンの眉が垂れ下がり、無邪気な笑顔が出来上がる。
「昨日の夜は普通だったのに」
「なな、なんか、下水でっあの、考えちゃって。その、お、お、俺の、あの、初めてのあれだったなって、そんなことを……!」
「はあ? レイプ歴長いんじゃねえの、お前。初なの? まさかだろ」
「だって、今までのはみんななんかべろべろして、そんなのは、き、キスじゃない。汚いだけの、気持ち悪いだけの行為だ」
言ってて恥ずかしくなり、イヴァンの肩口に顔を押し付ける。さらに密着することになったがイヴァンは何も言わずに受け入れてくれた。幸せだ。死にたい。生きたい。イヴァンの隣で長生きしたい。死にたい。
「俺、昨日みたいなのは初めてだったんだ」
言ってから、うざったかったかな、鬱陶しかったかな、重かったかな、などたくさんネガティブなことを思ったけれど、イヴァンは何も言わず俺の腰に回す手の数を二つに増やした。抱きしめられているような錯覚に陥る。違う。錯覚じゃない。イヴァンの気持ちはどうであれ体勢だけは抱きしめられている。
「お前にとって、キスは一大事なんだな」
そしてぽそっとイヴァンが呟いた。
一大事だよ、とは言えなかった。そんなことないよ、ともさっき俺が言った言葉から言えなかった。何を言ってももうイヴァンにはしっかりと伝わってしまっている。
アイ。
これは、紛れも無く愛だと思った。愛にも一方通行はあるのだ。俺は愛のあるキスをしたことがある。まだ、レイプはないけれど。