早寝記録

MAY2


 独房が並ぶその奥に別区はある。独房にはトイレやベッドなど人が生活するために必要なものはほぼなく、独房の存在意義は囚人を罰するためと思っていいだろう。しかし別区は独房とは異なる。トイレもベッドもあるし、シャワーもちゃんとついている。別区の目的はただひとつ、囚人を隔離するということなのだ。
 ロゼは、いったい何年分あるかすらわからない大量の缶詰を興味深げに眺めているメイを見ながら、『なぜ』で埋まりそうな頭を精一杯働かせた。
 メイを別区にやるのはよくわかる。今日で俺達のいる東側の囚人たちがかなり死んだだろう。おそらくほとんどが下水班だから自分らの生活が不自由することはないだろうが、メイをそのままみなと一緒にいさせるともっと死人が増える。
 だから、もしかするとメイは気が触れるか死ぬまでずっと別区だ。
 だけど、俺はどうして容れられた?
 恨みがましく考えるが、なぜで埋まる思考の中でさえおおよその答えがわかっていた。
「あ。カメラ見つけた」
 缶詰の観察に飽きたらしいメイが天井を見上げていた。ロゼもメイが見ている方向を見てみるが、ところどころ錆びた鉄の天井には何も見えない。首をかしげるロゼをちらと見て、メイが笑った。
「すきまにあるよ」
 そう言ってメイは缶詰をひとつ手に取り蓋を開けた。そうして蓋を手にしたまま飛び上がる。
「あ」
 蓋が天井に当たると、小さなゴミが落ち、そのゴミが隅に座っているロゼの足元に転がってきた。ころころと転がり、止まったものを拾い上げる。小さなレンズのようなものがロゼの手の中にある。
「ほらね」
 メイが近寄ってくる。
 彼は嬉しそうな顔をしながらロゼのそばにそっとしゃがんだ。
 少し緊張して、ロゼはメイを見た。さっきまでたくさんの人を殺していたとは思えぬほど彼は柔らかに微笑んでいる。
(綺麗な顔してる……)
 改めて思った。癖のない、柔らかな美形。女性には見えないが、男らしさはあまりなかった。
(こんなこと、今はどうでもいい)
 ロゼは目を伏せた。今は何よりもいつここを出られるか。それが重要だ。
 おそらく自分は実験用モルモット。数週間、または数ヶ月後メイに殺されていなければふたり一緒にここを出られるだろう。それがロゼがメイと一緒に別区に容れられた理由だ。でなければ俺も一緒にこの中に閉じ込められる意味が無い。模範囚だし、さっきだって反抗はしていなかったはずだ。なんとなく流れるままに別区に入れてみることはしないだろう。何か理由があるはずなのだ。
 メイに殺されない限り、出られるはずだ。
「……ロゼ」
ふいに声を掛けられ、思考にふけっていたロゼは少し驚いて顔を上げた。その声はひどく優しげだった。
至近距離で目が合った瞬間、メイの目尻が下がる。喜んだのだろうか。
「大丈夫。安心してよ」
「何をだよ」
「飽きたら出してあげるよ」
メイがにこりと笑うが、ロゼはその笑みに背筋に悪寒が走るのを感じた。
「出たって捕まって……戻される」
 敢えて、出られないだろとは言わなかった。メイなら、その気になれば鉄扉の向こうにすぐに行ける気がしたのだ。そんなこと、人間のメイにはできやしないのに。
「大丈夫じゃないかな」
 またメイが笑う。こいつは普通じゃない、とロゼは改めて思った。ただしどこが普通じゃないかと問われたら答えられない気がする。犯罪や先ほどの下水での行為云々ではなく、メイは狂っている。
 ――でも。
 嫌いじゃない。ふとロゼは思う。
 どうしてなのか、自分がメイに暴力を振るわれたり殺されたりするということが想像出来なかった。身の危険を感じない。未知との遭遇だからだろうか。なにより、知的好奇心が優っているのか。自分のことなのに、考えても答えが出てこない。いつまでも嬉しそうに笑っているメイに少し腹がたった。
「にこにこしすぎなんだけど」
 窓もない密室。一緒にいるのは殺人鬼。気が狂ってもおかしくなさそうなシチュエーションかもしれない。それなのに自分は自らの置かれた現状をまあまあ憂えているとはいえ、それをほぼ忘れて腹を立てている。もうすでに狂っているのか。いや、そんなはずはない。
「だって、おれ思ってたんだ」
 依然としてメイはにこにこしている。
「何をだよ」
「ロゼが同室者だったら良かったのにって」
「……下水に案内しただけじゃん」
「刷り込み? はじめて見た人を好きになるってあれ」
「なんか違うって」
「はじめてまともに喋ってくれたから、好きになったんじゃないかな」
 突っ込んでも、メイの笑みは深まるばかりだった。まるで赤ちゃんの何も考えていない純粋な笑みのようだ。
「まあ、いいけどさ」
 一気に疲労を感じ、ロゼは立ち上がりふらふらとベッドに向かった。近くで見るベッドは思いの外大きく、倒れこんでみると予想外にふわふわとした感触に包まれる。石鹸のいい匂いが香る。まさか、洗ったばかりなのだろうか。
「この匂いが消える前に出れたらいいなあ……」
 口に出してみるが、無理だろうな、と思った。