Vin rose'5
殴り、蹴り、突き上げて下水に捨てる。
さっき覚えた顔は大体やった。もう誰を殺そうとしたかは覚えていないが、下水の中に積み上げた囚人たちを眺め、どうでもいいかと考えなおす。ここまで来たらもうどうでも良い。
理性が飛んでいた。鼻をつく血の臭い、さっきまで気にもならなかった下水道の腐臭が不快だった。殴れば、蹴ればその臭いもしなくなるんじゃないかなんてよくわからない思考回路に至り、そこらへんの奴らを手当たり次第に掴んでは捨てる。
「やべえよ、化けもんだこいつ!」「逃げろ!」「誰か、看守呼んでこい!」
さっきまでにやけていた囚人たちが焦り、皆走り出す。階段のあるドアは逃げ出そうとする囚人たちでごった返しており、逃げるのに分が悪いと思っていた他の奴らは下水の奥へと向かって行った。そいつらを追っていくと、前方に防護服を着た囚人たちがたくさんいるのが目に入る。どうやら、別のブロックに来たらしかった。
「なんだ!?」「あれ、メイ!?」「ち、血だらけだ」「逃げろ!」
囚人たちが叫び、わめき、さっきまでおれがいた所と同じように階段へと続くドアへと群がっていく。中には興奮し、向かってくる奴もいた。それをまた殴り、蹴り、下水に落としていく。見る見る間に下水に囚人の山ができあがる。
「いけ! バジル、ぶち殺せ!」
「あったりめ――」
かかってきた醜男のみぞおち目掛けて肘を突き出し、そのまま首を持つ。力を入れながら腕を上げるとバジルとか言う醜男が宙に浮く。
あたりが静まった。
「ぅっ、くっ」
苦しむバジルを下水へと放り投げる。きっとさっき積み上げた死体のところまで流れていくだろう。
「止まれ!」
叫び声とともに銃声音がし、あたりが騒々しさを取り戻す。看守が2人、銃を俺に向けている。
おれの周りの囚人たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「撃て!やっちまえ!」
「さすが看守様!」
「殺せ!」
銃を持った看守の登場に安堵した囚人から野次が飛ぶ。
おれはじっと看守の動きを見た。看守の指の動きに合わせて横に飛ぶ。乾いた音。弾丸が空を翔ける。
「避けた!」
続々と撃ちだされる弾を避けていく。慌てず銃口と引き金に掛けられた指を見ればこんなものに当たらない。
弾をよけながら看守に向かって行くと、段々とあたりの野次がやんでいく。
カチ、と弾が切れた音が聞こえた。
「……なんだよ」
看守はやけにあっけなく死んだ。
手にかけた看守ふたりを地べたに落とす。銃を持っても、それを使えなければ意味は無い。このふたりは弱すぎた。
弱いからこんなに簡単だったのに、看守が落ちた瞬間に好戦的な目でおれを見ていたやつらも堰を切ったように階段へと走り出す。
「う……」
割れるような頭の痛みに頭を抑え少しの時間目を閉じる。暗くなる直前、目に入る囚人全てがおれを犯したやつらに見え、強烈な嘔吐感に見舞われた。
(頭がおかしくなってるんだ……)
幻覚。そうわかっているのに、気がつけば足がそいつらに向いていた。殺さないと、という強迫観念。もう立っているのもままならないはずなのに、おれの足は地を蹴りそのままスピードに乗る。
「やべえ、来る!」
「つうか、そもそもなんで下水にいんだよ」
「死ね!」
叫び、右から飛び出してきたでかい図体の男の顔面に拳をめり込ませ、腹を踏み、方向転換。
「う、うわっ」
すると、どんくさそうな少年が目の前に飛び込んで来た。実際は方向転換して走った先にいたというだけだが、そんなのは関係ない。
今までと同様、その少年に向かって思い切り手を伸ばす。
「クソが……!」
しかし、少年を掴むはずの手は何も掴まなかった。
「……」
逆に、真っ白い大きな手が俺の手首を掴んでいる。男は、少年とおれとの間に体を割りこませ、上から威圧的に見下ろしてきた。おれと同じ金髪の、青い目をした男だ。整った顔をしている。そいつは呆れたような目でおれを見ていた。
「あ、ご、ごめん」
男の背後から弱々しい声が聞こえてくる。
「お前、とろすぎんだよ。早く行けよ。房で待ってろ」
「で、でも……」
「邪魔だっつってんの。わかれよ。ほら、掴んでる内にさっさと行け」
「う、うん」
少年が背を向けて走り去る。時々振り返り、心配そうにおれの手を掴んでいる男のことを見る。それを見ている内に、段々と周りが見えてきた。
下水には、おれが築いた囚人の山、階段へと続くドアに群がる怯えた囚人たちの姿、足元に転がるおれが殺した看守の死体、いつからかわからないが、鳴り響いている警告音。閉じ込められたらしく、他ブロックとの境目にはいつの間にかシャッターが下ろされている。
空いている手をこの男に伸ばしたらどうなるだろう。多分、こいつは強い。そして、おれは満身創痍。きっと負けてしまう。
(けど……)
万が一おれが勝ったとしたら、あの少年は――
ほどなくして、静かになった。囚人たちがみな下水から出て行ったのだ。
「落ち着いたかよ」
ふたりきりになった下水で、男がため息と一緒に言った。
「うん」
落ち着いたことを自覚した瞬間膝が笑い、今にも崩れ落ちそうになるが、なんとか堪える。
(倒れたって、良いのに……)
どうして我慢するのかはわからない。人間らしい矜持など持っていないはずだ。だけど、それならなぜ『れいぷ』されて惨めになって、みんなを殺そうとしたのか説明が付かない。まともじゃない人生で、人以下の扱いを受け入れてきたのに、本当は受け入れられていなかったのか。
「看守来るの、待つの?」
「ああ」
「銃向けられたら、逃げていいよ。近くにいたら当たっちゃうかもしれないし」
男からの返事はない。おれはぼうっとドアを見た。
ドアが開く。背筋の伸びた、背の高い看守と、中肉中背の看守が入ってくる。
ふたりとも銃を構えていたが中肉中背の看守はドアの近くにとどまった。背の高い看守だけが近づいてくる。
こいつらも、どうせなら5人位で来て、一斉に撃てば良いのに。4人くらいまでなら弾も避けられると思うけど、それ以上は難しそう。
背の高い看守は下水に溜まった囚人と、おれの足元に転がる看守を見て一瞬顔を歪めた。無機質な銃口が、おれの顔に向けられる。
「なぜこんなことをした」
看守が訊いてくる。偉そうなくせに彼のコメカミから汗がだらだらと流れていて滑稽だと思った。
きっと時間稼ぎだ。きっとおれが下水で暴れているということは外に伝わっているし、もうじきたくさん応援がくるだろう。そうしたら多分殺される。
そんなもの来ても来なくてもおれはすでに負けた。今はなんとか立っていられているが、時折目がかすむし、どうやって2本の足で立っているのかすら今はわからない。倒れたくないが、倒れるのも時間の問題だ。
「ロゼに、下水にはよく人が流れるって聞いたんだ」
「ロゼだと?」
看守が反復する。言ってから、ここでロゼの名前を出すのはまずかったかと思う。おれの仲間だと思われたらロゼに迷惑が掛かってしまう。
「……親切な子。下水の場所がわからなかったおれに、教えてくれたんだよ」
だけど、もう言ってしまったことだ。引っ込められない。せめて、関係ないことをアピールしようと続ける。
「名前を聞いたら答えてくれた」
「そうか」
「うん。すごく良い子」
だから良い子とは真逆のおれとは何の関係もない――こう続けていいのかな。嘘っぽく聞こえるだろうか。昨日の夜きたばかりのおれが仲間を作れるはずがないと理解してくれれば良いけど、人間の考えは理解できない分怖かった。
「う、わ――」
突然、強烈な立ち眩みに立っていられなくなり、尻もちを突く。手首は掴まれたままだ。
「拘束しろ」
看守が男に命令する。男は不満げに舌打ちをしたがおとなしく従った。腹の上に男が乗り、両の手を頭の上でひとまとめに掴まれる。
もう拘束されてもされなくても、反抗するという考えはひとつもなかった。
殺したい奴はだいたいやったし、なんだか疲れた。主に下半身と、気持ちが疲れている。体の疲れは寝たら取れると思うけど、気持ちの疲れはどうやったら取れるのかわからない。疲れをはっきりと自覚したのは今日だけど、果たしておれはいつから疲れていたのだろうか。よくわからない。
今はただロゼに迷惑がかからなければそれでいい。
その時、新たに2人の看守が入ってきたのが見えた。その2人の看守は銃を構えながらおれたちに近づいてくる。もちろん、銃口はおれに向けられている。
2人は、地面に這いつくばっている仲間の死体を見て顔を引きつらせた。
「……殺さないの?」
ずっと疑問に思っていたことを尋ねる。もう立ってすらいないし、おれを拘束している男に当てずおれを殺すことはたやすいだろう。しかし、新たに来た奴らもおれを撃とうとはしていない。
「変なの」
返事をもらえず、おれは黙った。
「お前クラスのは、しばらく生かしとかねえとだめなんだよ」
「え? なんで?」
おれを拘束している男が面倒くさそうに教えてくれた。
「知名度あるやつは暫くの間死刑廃止論者とかそういう団体が生きてるか目を光らせてんの」
「しけいはいしろんじゃ?」
「命に取り憑かれたやつら。ここでこいつらがお前を殺したらそいつらから流れる莫大な金の動きが鈍る」
「へ? 金?」
「おい」
背の高い看守がどすの利いた声を振り下ろしおれを拘束している囚人の口を止めようとする。
「別に良いだろ。知ったところでどうなるってわけでもねえんだ」
「ふん。知った顔ででたらめを並べ立てられても困るもんでな」
「……よくわかんね。早く殺せばいいのに」
その時、渋い顔をした背の高い看守が銃を下し、振り向いた。
「来たか。……もう必要ないけどな」
彼が見た方向をおれも向いた。
「あ」
入口にロゼがいる。マスクをしていて顔の半分は見えないけれど、偉そうな看守に連れられてきたのは確かにロゼだ。嬉しさがこみ上げてくる。どうしたら心の疲れが取れるのかわからなかったけど、ロゼを見て疲れが少しとれた。なるほど。心の疲れは、どうやら会いたい人に会うことで取れるらしい。
「メイ……」
ロゼは押し倒されているおれのほんの近くまできてくれた。青い顔をしていて、かわいそうだと思う。でも、嬉しい。また会えたことが本当に嬉しい。
「また会ったね」
できるだけ普通に話し掛けてみる。一度、こんな友好的なセリフを吐いてみたかったのだ。だけど、もちろん今喜んでいるのはおれだけ。
「なんてね。看守に連れて来られた? おれを止めろとか何とかって」
ロゼがあまりに青い顔をして困っているようだからフォローしようと自ら言ってみる。
おれを拘束している男がじっとロゼを見た。また、ロゼが困った顔になる。
「……説明して来いって言われたんだけど」
「説明?」
「下水は人を流すとこじゃねえよって」
「知ってるよ、そのくらい」
困惑しながらも正直に話すロゼがおかしく、思わず吹き出してしまう。ばかばかしい。本当にばかばかしい。何がって、この状況が。自分が無駄に生きて、暴れてたくさんの人を殺した挙句看守までも怯えさせ、ロゼを困らせている状況がバカバカしくて面白かった。ていうか、もうおれは捕まって動けないのだからさっさと殺せばいいのに。囚人の暴動で死んだとかなんとか言ってしけいはいしろんしゃに内緒にして殺せばいいんじゃないの。それとも、銃くらいは避けられるとか思われているのだろうか。至近距離で撃たれた弾なんて避けられやしないのに。
なんて思われているのか知らないが、どうやらおれはあほみたいに強い化け物だと思われているらしい。それほどチカガイを壊したことは衝撃的で、囚人たちを下水に捨てたことは狂ったことみたいだ。
ロゼだってほら、おれを怖がっている。
案内してくれていた時から怖がっていたけど、今はあの時とは違って異常者をみるような目でおれを見てる。だけど、彼のダメなところは、それを隠そうとするところ。こんな所にいたくない、一刻も早く立ち去りたいという気持ちが伝わってくるけど、それを隠そうとしている。
「……下水に人溜まってるよ」
ロゼが言う。
「溜めたから」
答えると、ロゼの表情が呆れたものへと変わった。
「……わかってないじゃん」
「よく、下水に死体が流れてくるって聞いたから、死体ができたから流したんだよ。別に、溜めようと思ったんじゃない」
我ながら意味不明な答え。
「そっか」
それなのに、ロゼは納得したように頷いた。どうしてだろう。怖いから、同意しないとと思ったのかな。でも、それなら下水に人溜まってるとか指摘してこない気がする。本当に、そうかって思ったのかな。変な人。
気がつかない内に高揚していた気分が一気に萎える。
ロゼに迷惑を掛けているという自覚がようやく芽生えた。
ロゼはおれを見つめたまま動かない。彼もやはり早く殺されればいいのにと思いながらおれのことを見ているのだろうか。それ以外の答えはおそらくないのだが、そう思ったら悲しくなった。
「捕まえたんだから殺せば良いのに、ずっとこのままなんだよ。離されても、もう何もしないのに」
「……信用、できるか」
ロゼに言ったのに、反応したのはおれに銃を向けている看守の一人だった。そいつに向かって言う。
「じゃあ、せっかく銃があるなら使えばいいじゃん。別に良いよ、おれ、撃たれても」
「まるで他人ごとだな」
囚人がおかしそうに言う。
「他人ごとだよ。っていうか、君も災難だね。巻き込まれて。名前……は、良いか」
どうせ聞いたって使わない。あの世に持っていくのは、もうロゼの名前だけでいい。迷惑は掛けたけど初めて親切にしてくれた人の名前。これさえあれば地獄でもまあまあ幸せにやっていけるだろう。
「……イヴァン、立たせろ」
そう思ったのに、看守の発言によっておれの上に乗っている奴の名前がわかってしまった。けれど、重要なのはその発言をした看守がロゼのこめかみに銃を突きつけていること。
ロゼにこれ以上の迷惑は掛けられない。
イヴァンが、拘束しながらおれを立たせようとするのを感じ、無抵抗におれも立ち上がる。尤も、彼の拘束は上手く、頑張っても解けないだろうけれど。すっかり立ち上がってもロゼに引き金が引かれることはなく安心する。
「そのまま、独房に向かえ」
偉そうな看守よりも偉そうな、ロゼに銃口を向けている看守が命令する。
そのまま、ということはイヴァンとか言うこの人は、ずっとおれを拘束したまま歩かないといけないのか。災難だ。かわいそう。
独房なんかじゃなくて、ここで殺しちゃえばいいのに。みんなに迷惑しかかけないおれなど、誰もいらないだろう。
「何をぼさっとしている。お前も行くんだ」
「え」
そんなことを思っていると、横でとんでもないやりとりが行われていた。ロゼは関係ないのに、彼もおれのお守りに参加させられるようだ。
「行くぞ」
おれを拘束しているイヴァンが低く言い、ゆっくりと歩き出す。おれたちの歩みに合わせるようにおれに銃を向けた看守たち、それからロゼも歩き出した。
下水から抜け、廊下に出る。朝にロゼと歩いた道を逆走する。あの時は、本当に嬉しかった。こんな風に、困らせるつもりなんてなく、あれっきり会わないと思ったのに……。
足を運ぶ度、後悔の念に押しつぶされそうになる。かつんかつんと響く足音が、まるでおれを懲らしめようと近づいてくる鬼の足音に聞こえた。
「ごめんね」
地下から居住区に抜けるための階段に差し掛かった頃、おれは耐え切れずに謝りながら振り向いた。
「迷惑かけようとかそういう気持ちはなかったんだ」
おれのせいで銃をつきつけられているロゼに向かって微笑む。居住区の廊下にはたくさんの囚人たちが屯していて、みな興味津々におれたちを見ている。
「なんで殺したの」
ロゼが訊いてくる。
侮蔑の感じはなく、身の程知らずにも安堵した。
だけど、ロゼの質問に答えるのはひどく難しい。ロゼと会った時の彼は、別に殺すつもりはなかったのだ。下水で殺した奴らは理由、というか、殺意を持ってやったけど。
「……難しい質問だね」
「そう?」
考えるため、間を稼ぐ。
殺そうとは思ってなかったが、そういえば、チェリン(仮)を『殺したい』とは思っていた。
「理由は、殺りたかったから、かな」
「とんでもない」
ロゼが呆れる。
「そうだよ、とんでもない。けど、あいつ、チェリンだっけ? あれに似てたんだ。一応、殴られるくらいだったら我慢しとこうと思って来たけどさ、なんか失敗しちゃって」
「あいつを捨てたんだ」
「そう。せっかく教えてもらったし、労働始まる前に捨てた」
「下水班なの?」
ロゼが今更なことを聞く。
「あれ? 言ってなかったっけ」
「言ってない」
「じゃあ、死体捨てる場所探してると思われてたのか」
「死体引き摺って労働に行く奴いねえって。みんな処理してから行くよ」
「つうか、殺るなら夜だろ。朝一に殺しは面倒だ」
イヴァンが入ってくる。
「……殺しはするな」
ロゼに銃を突きつけている偉そうな看守が尤もなことを言う。
いつの間にか、居住区を抜けようとしていた。前方には何やら無機質でどこか厳かな扉が見える。その脇には銃を持った看守が控えていた。彼はおれたちが近づくと扉の鍵を開け、そこから現れた小さなパネルを操作した。
すると、扉が左右に開く。
(なんか、すごい……)
おれたちが中に入ると、すぐに扉が閉められた。中は寒く、あかりは少なく、ほぼ完全な暗闇だ。窓はないらしい。そのまま少し進むと、左右への分かれ道に出た。
「ヘル区長、どちらへ」
おれに銃を突きつけている看守が振り向いて尋ねる。
「別区だ」
ヘルの言葉に看守たちが息を呑み、
「特別待遇じゃねえか」
イヴァンもおもしろそうに呟いた。
さっき覚えた顔は大体やった。もう誰を殺そうとしたかは覚えていないが、下水の中に積み上げた囚人たちを眺め、どうでもいいかと考えなおす。ここまで来たらもうどうでも良い。
理性が飛んでいた。鼻をつく血の臭い、さっきまで気にもならなかった下水道の腐臭が不快だった。殴れば、蹴ればその臭いもしなくなるんじゃないかなんてよくわからない思考回路に至り、そこらへんの奴らを手当たり次第に掴んでは捨てる。
「やべえよ、化けもんだこいつ!」「逃げろ!」「誰か、看守呼んでこい!」
さっきまでにやけていた囚人たちが焦り、皆走り出す。階段のあるドアは逃げ出そうとする囚人たちでごった返しており、逃げるのに分が悪いと思っていた他の奴らは下水の奥へと向かって行った。そいつらを追っていくと、前方に防護服を着た囚人たちがたくさんいるのが目に入る。どうやら、別のブロックに来たらしかった。
「なんだ!?」「あれ、メイ!?」「ち、血だらけだ」「逃げろ!」
囚人たちが叫び、わめき、さっきまでおれがいた所と同じように階段へと続くドアへと群がっていく。中には興奮し、向かってくる奴もいた。それをまた殴り、蹴り、下水に落としていく。見る見る間に下水に囚人の山ができあがる。
「いけ! バジル、ぶち殺せ!」
「あったりめ――」
かかってきた醜男のみぞおち目掛けて肘を突き出し、そのまま首を持つ。力を入れながら腕を上げるとバジルとか言う醜男が宙に浮く。
あたりが静まった。
「ぅっ、くっ」
苦しむバジルを下水へと放り投げる。きっとさっき積み上げた死体のところまで流れていくだろう。
「止まれ!」
叫び声とともに銃声音がし、あたりが騒々しさを取り戻す。看守が2人、銃を俺に向けている。
おれの周りの囚人たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「撃て!やっちまえ!」
「さすが看守様!」
「殺せ!」
銃を持った看守の登場に安堵した囚人から野次が飛ぶ。
おれはじっと看守の動きを見た。看守の指の動きに合わせて横に飛ぶ。乾いた音。弾丸が空を翔ける。
「避けた!」
続々と撃ちだされる弾を避けていく。慌てず銃口と引き金に掛けられた指を見ればこんなものに当たらない。
弾をよけながら看守に向かって行くと、段々とあたりの野次がやんでいく。
カチ、と弾が切れた音が聞こえた。
「……なんだよ」
看守はやけにあっけなく死んだ。
手にかけた看守ふたりを地べたに落とす。銃を持っても、それを使えなければ意味は無い。このふたりは弱すぎた。
弱いからこんなに簡単だったのに、看守が落ちた瞬間に好戦的な目でおれを見ていたやつらも堰を切ったように階段へと走り出す。
「う……」
割れるような頭の痛みに頭を抑え少しの時間目を閉じる。暗くなる直前、目に入る囚人全てがおれを犯したやつらに見え、強烈な嘔吐感に見舞われた。
(頭がおかしくなってるんだ……)
幻覚。そうわかっているのに、気がつけば足がそいつらに向いていた。殺さないと、という強迫観念。もう立っているのもままならないはずなのに、おれの足は地を蹴りそのままスピードに乗る。
「やべえ、来る!」
「つうか、そもそもなんで下水にいんだよ」
「死ね!」
叫び、右から飛び出してきたでかい図体の男の顔面に拳をめり込ませ、腹を踏み、方向転換。
「う、うわっ」
すると、どんくさそうな少年が目の前に飛び込んで来た。実際は方向転換して走った先にいたというだけだが、そんなのは関係ない。
今までと同様、その少年に向かって思い切り手を伸ばす。
「クソが……!」
しかし、少年を掴むはずの手は何も掴まなかった。
「……」
逆に、真っ白い大きな手が俺の手首を掴んでいる。男は、少年とおれとの間に体を割りこませ、上から威圧的に見下ろしてきた。おれと同じ金髪の、青い目をした男だ。整った顔をしている。そいつは呆れたような目でおれを見ていた。
「あ、ご、ごめん」
男の背後から弱々しい声が聞こえてくる。
「お前、とろすぎんだよ。早く行けよ。房で待ってろ」
「で、でも……」
「邪魔だっつってんの。わかれよ。ほら、掴んでる内にさっさと行け」
「う、うん」
少年が背を向けて走り去る。時々振り返り、心配そうにおれの手を掴んでいる男のことを見る。それを見ている内に、段々と周りが見えてきた。
下水には、おれが築いた囚人の山、階段へと続くドアに群がる怯えた囚人たちの姿、足元に転がるおれが殺した看守の死体、いつからかわからないが、鳴り響いている警告音。閉じ込められたらしく、他ブロックとの境目にはいつの間にかシャッターが下ろされている。
空いている手をこの男に伸ばしたらどうなるだろう。多分、こいつは強い。そして、おれは満身創痍。きっと負けてしまう。
(けど……)
万が一おれが勝ったとしたら、あの少年は――
ほどなくして、静かになった。囚人たちがみな下水から出て行ったのだ。
「落ち着いたかよ」
ふたりきりになった下水で、男がため息と一緒に言った。
「うん」
落ち着いたことを自覚した瞬間膝が笑い、今にも崩れ落ちそうになるが、なんとか堪える。
(倒れたって、良いのに……)
どうして我慢するのかはわからない。人間らしい矜持など持っていないはずだ。だけど、それならなぜ『れいぷ』されて惨めになって、みんなを殺そうとしたのか説明が付かない。まともじゃない人生で、人以下の扱いを受け入れてきたのに、本当は受け入れられていなかったのか。
「看守来るの、待つの?」
「ああ」
「銃向けられたら、逃げていいよ。近くにいたら当たっちゃうかもしれないし」
男からの返事はない。おれはぼうっとドアを見た。
ドアが開く。背筋の伸びた、背の高い看守と、中肉中背の看守が入ってくる。
ふたりとも銃を構えていたが中肉中背の看守はドアの近くにとどまった。背の高い看守だけが近づいてくる。
こいつらも、どうせなら5人位で来て、一斉に撃てば良いのに。4人くらいまでなら弾も避けられると思うけど、それ以上は難しそう。
背の高い看守は下水に溜まった囚人と、おれの足元に転がる看守を見て一瞬顔を歪めた。無機質な銃口が、おれの顔に向けられる。
「なぜこんなことをした」
看守が訊いてくる。偉そうなくせに彼のコメカミから汗がだらだらと流れていて滑稽だと思った。
きっと時間稼ぎだ。きっとおれが下水で暴れているということは外に伝わっているし、もうじきたくさん応援がくるだろう。そうしたら多分殺される。
そんなもの来ても来なくてもおれはすでに負けた。今はなんとか立っていられているが、時折目がかすむし、どうやって2本の足で立っているのかすら今はわからない。倒れたくないが、倒れるのも時間の問題だ。
「ロゼに、下水にはよく人が流れるって聞いたんだ」
「ロゼだと?」
看守が反復する。言ってから、ここでロゼの名前を出すのはまずかったかと思う。おれの仲間だと思われたらロゼに迷惑が掛かってしまう。
「……親切な子。下水の場所がわからなかったおれに、教えてくれたんだよ」
だけど、もう言ってしまったことだ。引っ込められない。せめて、関係ないことをアピールしようと続ける。
「名前を聞いたら答えてくれた」
「そうか」
「うん。すごく良い子」
だから良い子とは真逆のおれとは何の関係もない――こう続けていいのかな。嘘っぽく聞こえるだろうか。昨日の夜きたばかりのおれが仲間を作れるはずがないと理解してくれれば良いけど、人間の考えは理解できない分怖かった。
「う、わ――」
突然、強烈な立ち眩みに立っていられなくなり、尻もちを突く。手首は掴まれたままだ。
「拘束しろ」
看守が男に命令する。男は不満げに舌打ちをしたがおとなしく従った。腹の上に男が乗り、両の手を頭の上でひとまとめに掴まれる。
もう拘束されてもされなくても、反抗するという考えはひとつもなかった。
殺したい奴はだいたいやったし、なんだか疲れた。主に下半身と、気持ちが疲れている。体の疲れは寝たら取れると思うけど、気持ちの疲れはどうやったら取れるのかわからない。疲れをはっきりと自覚したのは今日だけど、果たしておれはいつから疲れていたのだろうか。よくわからない。
今はただロゼに迷惑がかからなければそれでいい。
その時、新たに2人の看守が入ってきたのが見えた。その2人の看守は銃を構えながらおれたちに近づいてくる。もちろん、銃口はおれに向けられている。
2人は、地面に這いつくばっている仲間の死体を見て顔を引きつらせた。
「……殺さないの?」
ずっと疑問に思っていたことを尋ねる。もう立ってすらいないし、おれを拘束している男に当てずおれを殺すことはたやすいだろう。しかし、新たに来た奴らもおれを撃とうとはしていない。
「変なの」
返事をもらえず、おれは黙った。
「お前クラスのは、しばらく生かしとかねえとだめなんだよ」
「え? なんで?」
おれを拘束している男が面倒くさそうに教えてくれた。
「知名度あるやつは暫くの間死刑廃止論者とかそういう団体が生きてるか目を光らせてんの」
「しけいはいしろんじゃ?」
「命に取り憑かれたやつら。ここでこいつらがお前を殺したらそいつらから流れる莫大な金の動きが鈍る」
「へ? 金?」
「おい」
背の高い看守がどすの利いた声を振り下ろしおれを拘束している囚人の口を止めようとする。
「別に良いだろ。知ったところでどうなるってわけでもねえんだ」
「ふん。知った顔ででたらめを並べ立てられても困るもんでな」
「……よくわかんね。早く殺せばいいのに」
その時、渋い顔をした背の高い看守が銃を下し、振り向いた。
「来たか。……もう必要ないけどな」
彼が見た方向をおれも向いた。
「あ」
入口にロゼがいる。マスクをしていて顔の半分は見えないけれど、偉そうな看守に連れられてきたのは確かにロゼだ。嬉しさがこみ上げてくる。どうしたら心の疲れが取れるのかわからなかったけど、ロゼを見て疲れが少しとれた。なるほど。心の疲れは、どうやら会いたい人に会うことで取れるらしい。
「メイ……」
ロゼは押し倒されているおれのほんの近くまできてくれた。青い顔をしていて、かわいそうだと思う。でも、嬉しい。また会えたことが本当に嬉しい。
「また会ったね」
できるだけ普通に話し掛けてみる。一度、こんな友好的なセリフを吐いてみたかったのだ。だけど、もちろん今喜んでいるのはおれだけ。
「なんてね。看守に連れて来られた? おれを止めろとか何とかって」
ロゼがあまりに青い顔をして困っているようだからフォローしようと自ら言ってみる。
おれを拘束している男がじっとロゼを見た。また、ロゼが困った顔になる。
「……説明して来いって言われたんだけど」
「説明?」
「下水は人を流すとこじゃねえよって」
「知ってるよ、そのくらい」
困惑しながらも正直に話すロゼがおかしく、思わず吹き出してしまう。ばかばかしい。本当にばかばかしい。何がって、この状況が。自分が無駄に生きて、暴れてたくさんの人を殺した挙句看守までも怯えさせ、ロゼを困らせている状況がバカバカしくて面白かった。ていうか、もうおれは捕まって動けないのだからさっさと殺せばいいのに。囚人の暴動で死んだとかなんとか言ってしけいはいしろんしゃに内緒にして殺せばいいんじゃないの。それとも、銃くらいは避けられるとか思われているのだろうか。至近距離で撃たれた弾なんて避けられやしないのに。
なんて思われているのか知らないが、どうやらおれはあほみたいに強い化け物だと思われているらしい。それほどチカガイを壊したことは衝撃的で、囚人たちを下水に捨てたことは狂ったことみたいだ。
ロゼだってほら、おれを怖がっている。
案内してくれていた時から怖がっていたけど、今はあの時とは違って異常者をみるような目でおれを見てる。だけど、彼のダメなところは、それを隠そうとするところ。こんな所にいたくない、一刻も早く立ち去りたいという気持ちが伝わってくるけど、それを隠そうとしている。
「……下水に人溜まってるよ」
ロゼが言う。
「溜めたから」
答えると、ロゼの表情が呆れたものへと変わった。
「……わかってないじゃん」
「よく、下水に死体が流れてくるって聞いたから、死体ができたから流したんだよ。別に、溜めようと思ったんじゃない」
我ながら意味不明な答え。
「そっか」
それなのに、ロゼは納得したように頷いた。どうしてだろう。怖いから、同意しないとと思ったのかな。でも、それなら下水に人溜まってるとか指摘してこない気がする。本当に、そうかって思ったのかな。変な人。
気がつかない内に高揚していた気分が一気に萎える。
ロゼに迷惑を掛けているという自覚がようやく芽生えた。
ロゼはおれを見つめたまま動かない。彼もやはり早く殺されればいいのにと思いながらおれのことを見ているのだろうか。それ以外の答えはおそらくないのだが、そう思ったら悲しくなった。
「捕まえたんだから殺せば良いのに、ずっとこのままなんだよ。離されても、もう何もしないのに」
「……信用、できるか」
ロゼに言ったのに、反応したのはおれに銃を向けている看守の一人だった。そいつに向かって言う。
「じゃあ、せっかく銃があるなら使えばいいじゃん。別に良いよ、おれ、撃たれても」
「まるで他人ごとだな」
囚人がおかしそうに言う。
「他人ごとだよ。っていうか、君も災難だね。巻き込まれて。名前……は、良いか」
どうせ聞いたって使わない。あの世に持っていくのは、もうロゼの名前だけでいい。迷惑は掛けたけど初めて親切にしてくれた人の名前。これさえあれば地獄でもまあまあ幸せにやっていけるだろう。
「……イヴァン、立たせろ」
そう思ったのに、看守の発言によっておれの上に乗っている奴の名前がわかってしまった。けれど、重要なのはその発言をした看守がロゼのこめかみに銃を突きつけていること。
ロゼにこれ以上の迷惑は掛けられない。
イヴァンが、拘束しながらおれを立たせようとするのを感じ、無抵抗におれも立ち上がる。尤も、彼の拘束は上手く、頑張っても解けないだろうけれど。すっかり立ち上がってもロゼに引き金が引かれることはなく安心する。
「そのまま、独房に向かえ」
偉そうな看守よりも偉そうな、ロゼに銃口を向けている看守が命令する。
そのまま、ということはイヴァンとか言うこの人は、ずっとおれを拘束したまま歩かないといけないのか。災難だ。かわいそう。
独房なんかじゃなくて、ここで殺しちゃえばいいのに。みんなに迷惑しかかけないおれなど、誰もいらないだろう。
「何をぼさっとしている。お前も行くんだ」
「え」
そんなことを思っていると、横でとんでもないやりとりが行われていた。ロゼは関係ないのに、彼もおれのお守りに参加させられるようだ。
「行くぞ」
おれを拘束しているイヴァンが低く言い、ゆっくりと歩き出す。おれたちの歩みに合わせるようにおれに銃を向けた看守たち、それからロゼも歩き出した。
下水から抜け、廊下に出る。朝にロゼと歩いた道を逆走する。あの時は、本当に嬉しかった。こんな風に、困らせるつもりなんてなく、あれっきり会わないと思ったのに……。
足を運ぶ度、後悔の念に押しつぶされそうになる。かつんかつんと響く足音が、まるでおれを懲らしめようと近づいてくる鬼の足音に聞こえた。
「ごめんね」
地下から居住区に抜けるための階段に差し掛かった頃、おれは耐え切れずに謝りながら振り向いた。
「迷惑かけようとかそういう気持ちはなかったんだ」
おれのせいで銃をつきつけられているロゼに向かって微笑む。居住区の廊下にはたくさんの囚人たちが屯していて、みな興味津々におれたちを見ている。
「なんで殺したの」
ロゼが訊いてくる。
侮蔑の感じはなく、身の程知らずにも安堵した。
だけど、ロゼの質問に答えるのはひどく難しい。ロゼと会った時の彼は、別に殺すつもりはなかったのだ。下水で殺した奴らは理由、というか、殺意を持ってやったけど。
「……難しい質問だね」
「そう?」
考えるため、間を稼ぐ。
殺そうとは思ってなかったが、そういえば、チェリン(仮)を『殺したい』とは思っていた。
「理由は、殺りたかったから、かな」
「とんでもない」
ロゼが呆れる。
「そうだよ、とんでもない。けど、あいつ、チェリンだっけ? あれに似てたんだ。一応、殴られるくらいだったら我慢しとこうと思って来たけどさ、なんか失敗しちゃって」
「あいつを捨てたんだ」
「そう。せっかく教えてもらったし、労働始まる前に捨てた」
「下水班なの?」
ロゼが今更なことを聞く。
「あれ? 言ってなかったっけ」
「言ってない」
「じゃあ、死体捨てる場所探してると思われてたのか」
「死体引き摺って労働に行く奴いねえって。みんな処理してから行くよ」
「つうか、殺るなら夜だろ。朝一に殺しは面倒だ」
イヴァンが入ってくる。
「……殺しはするな」
ロゼに銃を突きつけている偉そうな看守が尤もなことを言う。
いつの間にか、居住区を抜けようとしていた。前方には何やら無機質でどこか厳かな扉が見える。その脇には銃を持った看守が控えていた。彼はおれたちが近づくと扉の鍵を開け、そこから現れた小さなパネルを操作した。
すると、扉が左右に開く。
(なんか、すごい……)
おれたちが中に入ると、すぐに扉が閉められた。中は寒く、あかりは少なく、ほぼ完全な暗闇だ。窓はないらしい。そのまま少し進むと、左右への分かれ道に出た。
「ヘル区長、どちらへ」
おれに銃を突きつけている看守が振り向いて尋ねる。
「別区だ」
ヘルの言葉に看守たちが息を呑み、
「特別待遇じゃねえか」
イヴァンもおもしろそうに呟いた。