早寝記録

隠蔽★トキメキ!


 柊に手を引かれながら暗い空間を進み続け、辿り着いたのは六畳ほどの部屋だった。主が出たまま放置されただろう布団が中央に敷かれている。一応部屋には一つだけ提灯が置かれているが、入って正面の壁に並べて飾られた3つの狐面に当てられている。そのため、室内はほの暗い。下から照らされた狐のお面に表情はないはずなのに笑っているように見え、不気味に思えた。どうしても意識と視線が壁のお面へと行ってしまう。胸の辺りがざわつき、意識を逸らそうと部屋をぐるりと見回した。
 物はあまり置かれていないが、薬箱があったり背の低い箪笥があったり、古風な日本家屋の中にあるような部屋だ。
「あー、なんかすっごい疲れた」
 柊が寝乱れた布団の上に勢いよく腰を下ろし、足を投げ出した。おれはどうしてよいのかわからず突っ立っていたが、すぐに柊の正面に座り、彼を睨み付けた。大人しく付いてきたが、この状況が自分の良しとするものではないことを思い出したのだ。何度も意識的にこう思わなければ自然と状況を受け入れてしまいそうな恐怖があった。だから、強く柊を睨む。そんなおれの視線に気づいたのか、顎を上げて天井を見ていた柊が顔を向ける。お面から見えている口許には相変わらず笑みが浮かんでいる。おれにはそれも気に入らなかった。
「何? 怖い顔しちゃって」
「無理矢理連れて来られてへらへらできるかって」
「いいんじゃないの? へらへらしても。まあ、別に俺はどうでもいいけど。どうせその内気にならなくなるし」
 柊が言う。それはまるでばかにしたような口ぶりで、おれは柊の言葉の内容ではなく態度に嫌悪感を覚えた。
「嫌われちゃった? 残念だな」
 柊がケラケラと笑う。しかし、その笑い声はすぐに引っ込み、口元だけの笑みが復活する。
「けどね、しばらくは俺の部屋にいたほうが良いよ。慣れるまでは危ないし。色んな人がいるからね。信用できる人ができたらその時出て行けば良い」
「その時なんかねえよ」
「どうして? ずっとここにいてくれるの?」
「まさか。俺は帰るんだ」
「どこに?」
 柊の質問にぐっとつまる。
「少なくとも、帰る場所がわからないうちは君、帰れないよ」
 口元に反し、柊はどうでも良さそうに言って、面倒くさそうに立ち上がった。おれは何も言わずに柊を目で追った。彼は押入れを開き、布団を一組抱え出す。そしてよいしょとちいさく掛け声を出し、畳の上へ置いた。
「ぎりぎりだけどもういっこ布団敷けるからどうぞ寝て寝て」
 柊は、元々敷かれていた布団を足でどかし、手に抱えた布団を敷いた。手つきは丁寧だが、シーツには皺が寄り、わずかに掛け布団も曲がっている。どうやら不器用らしい。そういえば、団長も柊は掃除が下手だと言っていた。
「何? なんか不満でもある?」
 柊が尋ねてくる。
「不満はいいだけあるけど」
「……寝床に対しての不満だよ。連れて来られて云々はもう聞かない。男はね、前しか見ちゃいけないよ」
「それをお前が言うのか」
「俺が言うんだ」
 そう言って、柊が着ていた着物を大胆に脱ぎだした。柊が男だとわかっているのに、女物の着物を着ているせいか、上着を脱いで、彼が帯を緩めた瞬間どきりとしてしまった。
「凌平も着替える? Tシャツと短パンでいいならあるけど」
「は?」
「……何、は? って」
 柊が怪訝そうな表情を浮かべる。
「もしかして凌平おっかないタイプの人? 反抗期的な……」
「いや、つうか、Tシャツと短パンで寝てんの? 巫女さんみたいな古めかしい着物着といて」
「そうだよ。異形が作った巫女装束。気分は女装だね」
 柊は慣れた手つきで袴を脱いでいき、最後には上半身裸にパンツ姿になった。
「何そんなに見てんの?」
「いや……」
「ああ、ふんどしだとでも思った?」
 柊が笑う。パンツ姿でお面だけ被ってる姿は滑稽なものだ。
「お面……」
「何?」
 柊は、脱ぎ捨てて散らかった袴や白衣、それから千早をたどたどしい手つきで木製のハンガーへと掛けていく。
「寝る時もお面って外さねえの?」
「外すよ」
 おれの質問に柊はあっさりと答えた。部屋では付けないと言いながら、彼はハンガーを壁際のつっぱり棒に掛け、その足で箪笥へと向かった。おれは彼を無意識に目で追った。箪笥に手を突っ込んで柊が適当に服を出している。
「状況に適応して行ってる自分が恐いと思う?」
 彼の手には皺になったTシャツが二枚。柊の突然の言葉に内心どきどきしながら、放られたTシャツを空中で掴み取る。
「ナイスキャッチだね」
 柊は明るく笑ってから、今度は下段を開いた。
「だって、おかしいよね。無理やり連れて来られてこんなお泊り会みたいな雰囲気になってさ、普通落ち着いて座ってられないよ。まるで夢みたいでしょ。夢ってさ、すごく非現実的なことを現実として受け入れられるもんね」
 柊がよれた短パンを投げて寄越したが、おれは手を伸ばさなかった。実際には伸ばすだけの余裕がなかったのだ。それは切ない音を立て、おれのために敷かれた布団の上に落下した。
「ありゃりゃ」
 柊が楽しそうに、残念な振りをする。彼は自分の短パンを履き、おれの前にしゃがんだ。おれは目の前に来た柊の姿を視界に捉えていたが、彼の言った言葉で頭の中はいっぱいだ。こんなにも状況に適応している自分が恐い。まるで夢みたいと言った柊の言葉は的を射ている。
 途切れぬ提灯の道。無数の箱。光のない空間。おかしな人物たちと、変てこな会話。そしてそれを受け入れてしまっている自分。これが夢ならば全て納得できる。どんなおかしな世界でも夢ならば現実だ。自らの脳が、精神の安定を図るために創りだした幻の世界。
「凌平」
 柊が、優しく小さな声でおれの名を呼ぶ。
「夢だと思えば楽になれるよ」
 それは、誘惑だった。目の前の柊の顔をじっと見る。狐のお面。三日月形の細い目には、ものを見るための小さな穴が開けられている。その向こうには彼自身の瞳がある。
――夢だと思えば楽になれる。
 柊の言葉を何度も反芻する。ゆるゆると手を伸ばし、柊のお面に触れる。冷たい。指先から凍っていく感覚に溺れながら彼の耳に引っ掛けられているお面の紐に手をかける。
 夢は自分の思い通りに行くという。それならば、このお面を取ったら知っている顔があるはずだ。おれの思い通りの顔ならば、このお面の向こうは見知らぬ少年の顔ではない。
 心臓がうるさく脈打つのをどこかで聞きながら、おれは柊の耳から紐を外した。お面が硬質な音を立て畳へと落ちた。